「大義なき解散」を考えるために
はじめに
少なくとも憲法改正との関係で言えば、今回の解散総選挙が(改憲勢力にとって)一歩後退であることは間違いないだろう。一時はほとんど憲法改正不可避と言ってよいような情勢であったことを思えば、安倍政権下での憲法改正阻止をかかげる野党はまずまずの成果をあげたものと評したい。
しかしそれとは別の問題として、今回の解散には「大義なき解散」であるとして強い批判が寄せられている。この「大義なき解散」について考えるために、本記事ではまず衆議院の解散について基礎的な知識をまとめる。そのうえで、今回の解散をめぐる主張について、思うところを簡単にだけ述べておきたい。
衆議院の解散について
衆議院の解散とは
衆議院の解散とは、任期満了前に衆議院議員の資格を失わせる行為である*1。
衆議院解散権の所在とその根拠
日本国憲法には衆議院解散権の所在を明示した規定がない。そのため、衆議院解散権の所在とその根拠については早くから問題となってきた。
この問題を考えるにあたっては、解釈の手がかりとされる条文が主に2つある。憲法7条3号と憲法69条である。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一~二 (略)
三 衆議院を解散すること。
四~十 (略)
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
ここで、天皇の「国事に関する行為」とは本来すべて形式的・儀礼的行為であり、「助言と承認」 はそのような形式的行為に対して行うことが要求されているのであるから、「助言と承認」は行為の実質的決定権を含まないとする立場をとる場合、憲法7条を衆議院解散権の根拠とすることはできず、別に根拠を求めることになる。こうした立場をとるものとして有名なのがいわゆる69条限定説で、これは憲法69条を衆議院解散権の根拠として、内閣は衆議院の不信任決議が可決された場合にのみ衆議院を解散できるとする考え方である*2。
もっとも、現在の通説・実務*3は、内閣が「助言と承認」を行う前提として行為の実質的決定を行っても、その結果として天皇の国事行為が形式的・儀礼的なものになるならば憲法の精神に反しないとして、内閣に憲法7条を根拠とする衆議院解散権を認めている*4。
なお、憲法7条柱書で「助言と承認」の主体が「内閣」とされていることからも分かるとおり、衆議院解散権は内閣に存する。したがって、「解散は首相の専権事項」、すなわち衆議院解散権が(内閣でなく)内閣総理大臣に専属するとの表現は不正確である。こうした表現が用いられるのは、内閣総理大臣が他の国務大臣の任免権を有しており*5、閣議において反対する閣僚があればこれを罷免することが可能である以上、実質的に内閣総理大臣が解散権を有しているとも考えられるとの理由によるようだ*6。しかし、たとえば三木武夫内閣では、首相の三木が解散を図ったものの、多数の閣僚が反対したためにこれを断念するに至っている。このような例に照らしても、「解散は首相の専権事項」との表現は、やはり不適当であると考える。
衆議院解散権行使の限界
衆議院解散権の根拠を憲法7条に求める立場をとれば、解散権の行使は必ずしも憲法69条、すなわち衆議院で不信任決議案が可決された場合に限られないことになる。そこで、かかる立場をとる政府は、たとえば以下のように述べて、解散権の行使についてなんら制約はないものと解している*7。
○政府委員(味村治君) まず、解散権に制約があるかどうかということでありますが、これは憲法七条の規定によりまして、内閣の助言と承認によりまして天皇が「衆議院を解散すること。」というふうになっておりまして、その際に実質的に解散を決定するのは内閣であるということは、もう従来から御答弁申し上げているところであります。
そして、じゃどういう場合に解散権を行使するのかと申しますと、これは国政の重大な局面において内閣の判断においてするということでございまして、その解散権の行使について制約はないものというふうに承知をいたしているところでございます。
しかし、衆議院解散権の行使が憲法69条の想定する場合に限られないとしても、なんらの制約も存しないとまで言えるかどうかは、別途検討を要する問題である。
この点について論じたものとして一般にも有名なのが、いわゆる保利見解である。これは昭和53年、当時衆議院議長を務めていた保利茂が、ときの首相福田赳夫の周辺からとなえられる早期解散論を批判するべく、衆議院法制局の意見なども参考にして作成したものだ*8。そこでは、以下のようなことが主張されている*9。
主権者たる国民の直接選挙によって選ばれた衆議院議員の地位を任期途中で失わせる解散という行為はきわめて重大なものである。したがって解散は、立法府と行政府の対立によって国政が麻痺するといった重大な事態に立ち至ったときに、行政の機能を回復するためのいわば非常手段として認められたものであり、憲法69条はそうした場合の典型的なケースを規定したものに他ならない。
そうであれば、内閣がその恣意的な判断によって一方的に解散を行いうると考えるのは憲法の精神を解しないものであって、いわゆる69条解散以外の場合でも、内閣が解散権を行使しうるのは、憲法69条の想定するところと同一視できるような(立法府と行政府の対立によって国政が麻痺するような)場合、たとえば予算案や内閣の公約である重要法案が否決されたなどの場合か、さもなければ、直前の総選挙でまったく想定されていなかった重大案件が生じ、これについて国民に信を問うような場合に限られると解するべきである。
要するに、(憲法69条の想定する場合を除けば)立法府との対立による国政停滞を打開するためか、あるいは新たに発生したまったく想定外の重大案件について国民の判断を仰ぐためにのみ衆議院解散権の行使は許されるということであり、穏当な見解であると言ってよいだろう。憲法学者の芦部信喜も以下のような類似の見解をとる*10。
解散は、憲法69条の場合を除けば、①衆議院で内閣の 重要案件(法律案、予算等)が否決され、または審議未了になった場合、②政界再編等により内閣の性格が基本的に変わった場合、③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題(立法、条約締結等)に対処する場合、④内閣が基本政策を根本的に変更する場合、⑤議員の任期満了時期が接近している場合、などに限られると解すべきであり、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である。
今回の解散をめぐる主張について
今回の解散について、安倍は「国難突破解散」と銘打ったようだが、これを真剣に受け取る者は少数だろう。安倍政権を支持していると目される方でも、さすがに今回の解散に大義があると強弁することはためらわれるようで、「大義など必要ない」「これまでの解散でも大義などなかった」「問題だと思うなら憲法を改正しろ」といった類の主張が主流のようだ。順に簡単にだけコメントを加えていきたい。
まず「大義など必要ない」について。そもそも「大義なき解散」とは何を言わんとするものか。もちろん真意は各人に尋ねてみなければ分からないが、「大義なき解散」との批判は、解散をするに足りる相当の理由がないというほどの意味であるように思われる。しかるところ、上記のとおり、解散を行うに足りる理由として、単なる党利党略をはるかに超え「立法府との対立による国政停滞」や「想定していなかった重大案件の発生」といった重大な局面に立ち至ることさえ要求する見解は存在する、というよりむしろそうした見解が多数であるように思われる。私自身、解散を行うに足る相当の理由として単なる党利党略にとどまらずそれ相応の事情を要求することは、保利見解も述べる解散権の趣旨や国権の最高機関にして唯一の立法機関たる国会*11の議員たる地位を任期満了前に失わせるという重大性等に照らして妥当であると考える。「大義など必要ない」との主張には賛同しかねる。
次に「これまでの解散でも大義などなかった」について。まず大前提として、「他の人もやっているから自分もやってよい」という主張はとおらない。それは子どもの理屈である。本件に限らず、昨今は(政治家も含め)この種の子どもの理屈を振りまわす者が多くなったように思われ、非常に残念である。そのうえでいくつかの例を挙げると、たとえば有名ないわゆる郵政解散は、郵政民営化法案が参議院で否決されたことを受けて解散が行われたものである。両院協議会等を経ることなく解散が行われた点に強い批判はあるものの、小泉純一郎内閣の重要法案であった郵政民営化法案について「立法府との対立」状況を打破するために行われたものであることは間違いなく、支持者でさえ党利党略以外の理由を挙げるのに苦しむ今回の選挙とは異なり、いちおうの「大義」はあると言えよう。記憶に新しいところでは、野田佳彦内閣のいわゆる近いうち解散も、いわゆる国会のねじれ状況下において、野党自民党から法案成立と引き換えに解散を求められ、これに応じて行ったものである。やはりその実質において「立法府との対立による国政停滞」を打開するために行われたことは明らかであり、「大義」はあると言えよう。「これまでの解散でも大義などなかった」などとは言えないように思う。
最後に「問題だと思うなら憲法を改正しろ」について。衆議院解散権について明確な規定を設けた方が明快であることは確かだ。上記のとおり、通説では現在衆議院解散権の根拠を天皇の国事行為について規定した憲法7条に求めているところ、私は将来的には天皇制度を廃止するべきだと考えているので、この点にかかる憲法改正が行われる暁には、衆議院解散権についても整備されることが望ましいだろう。もっとも、現行憲法下においても、恣意的な衆議院解散権の行使が許されるものでないと考えることはすでに述べてきたとおりである。また、衆議院解散権の行使に手続的な限定をかけることは、憲法によらずとも立法によって可能である。この点については、平成29年3月23日衆議院憲法審査会における憲法学者木村草太の発言が参考になるので引用しておく。
現行憲法下で解散の前例が慣行や習律を形成できなかった一因は、内閣が解散の理由を議会で丁寧に説明したり、公式の解散理由を文書化し、明確にする手続がなかったところに大きな原因があるというふうに思われます。法律で、解散権を行使する場合には、解散の宣言から解散まで一定の時間を置き、衆議院で解散理由についての審議を行うなどの手続を設ければ、少なくとも解散理由が不明確なまま総選挙に突入するという事態は防ぐことができるように思われます。
こうした法律をつくる場合、解散権の行使を法律で制限することは合憲かということが問われることになりますが、この点、もともと憲法七条は内閣に完全に自由な解散権を認めているわけではなく、合理的な制約を法律で設けることは許されるという憲法解釈に立つのであれば、こうした法律に違憲の疑いは全く生じません。
また、仮に憲法が内閣に自由な解散権を与えているという解釈をとったとしても、今述べた法律は、内閣の解散権それ自体を制限するものではなく、慎重な手続を要求するだけのもので、憲法違反とは評価されないものと思われます。
おわりに
以上、衆議院の解散について基礎的な知識をまとめたうえで、今回の解散をめぐる主張について思うところを簡単にだけ述べた。なにかの参考になれば幸いである。
*1:芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第5版、2011年)324頁。
*2:芦部前掲書49頁。
*3:なおこの問題について、最高裁はいわゆる統治行為論を展開して判断を放棄している(最大判昭和35年6月8日(http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/530/053530_hanrei.pdf))。
*4:芦部前掲書49頁、50頁。
*6:http://www.huffingtonpost.jp/abematimes/dissolution-election_a_23218731/
*7:昭和62年12月11日参議院予算委員会における味村治内閣法制局長官の発言。
*8:公表は没後の昭和54年。
*9:『朝日新聞』昭和54年3月21日参照。私の要約である。
*10:芦部前掲書325頁。
一般の方の共謀罪に関する誤解
はじめに
一般の方*1が共謀罪についてどのように考えているかをうかがうことのできる記事に接した。id:ukitaxさんの以下の記事である。
共謀罪賛成だけど共謀罪反対デモに参加してみた - 痩せるコーラ
いろいろと誤ったイメージを持たれているようで、やや意地の悪い見方をするならば政府の印象操作が功を奏しているということなのかもしれない。一般の方の目に共謀罪がどのように見えているかを知ることは有益であると思うので、ここに紹介させていただきたい。記事では、「2:そもそも共謀罪って何?」において、
という3つの項目をたてて共謀罪に関する理解が示されているので、これに沿って適宜私のコメントを加えつつ紹介する。
なお、この点は是非とも強調しておきたいのだが、私にukitaxさんを貶める意図はない。記事タイトルからも明らかなようにukitaxさんはデモに参加されており、賛否いずれの立場であれ、自分なりに考え、実際に行動を起こすのは素晴らしいことだ。私自身は一度シンポジウムに出たきりで最後までデモに参加することはなかったので、ukitaxさんに対しては敬意を抱いている。通常たわいない誤り等については黙殺するところ、こうして記事をたてて(私なりに)丁寧に説明するのは、その敬意の表れであると理解していただきたい。
共謀罪って何?
ukitaxさんは、共謀罪について、簡単に言うと「事件の起こす前に逮捕できる法律」だとしたうえで、例えば次のように変わるのだと説明する*2。
現状↓
犯罪者A「あーオタクとかキモいし殺してぇな…」
犯罪者B「コミケに爆弾しかけりゃいいんじゃね!」
犯罪者C「そ れ だ !」
犯罪者A「さっそく爆弾作るべ」
~コミケ当日~
爆弾「ぼっかーん(爆発)」
オタク「ち~ん(死)」
犯罪者達「やったぜ。」
警察「逮捕や!逮捕!」
とこんな風に実際に爆弾を設置しない限り、逮捕できない。
それが共謀罪適用後だとこうなる↓
犯罪者A「あーオタクとかキモいし殺してぇな…」
犯罪者B「コミケに爆弾しかけりゃいいんじゃね!」
犯罪者C「そ れ だ !」
犯罪者A「さっそく爆弾作るべ」
警察「逮捕や!逮捕!」
~コミケ当日~
犯罪者達「ち~ん(逮捕)」
警察「やったぜ。」
オタク「新刊ください!」
オタク「なのは完売!」
と爆弾を設置される前に逮捕できる。
現状では実際に爆弾を設置しない限り逮捕できないが、共謀罪ができれば爆弾を設置される前に逮捕できるというのである。しかし、このような理解は明確に誤っている。爆発物取締罰則1条および同罰則4条を引用する。
第一条 治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的ヲ以テ爆発物ヲ使用シタル者及ヒ人ヲシテ之ヲ使用セシメタル者ハ死刑又ハ無期若クハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第四条 第一条ノ罪ヲ犯サントシテ脅迫教唆煽動ニ止ル者及ヒ共謀ニ止ル者ハ三年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
同罰則4条に「第一条ノ罪ヲ犯サントシテ……共謀ニ止ル者ハ三年以上十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とあるとおり、現状でも共謀があれば爆弾の設置を待たずに犯罪は成立する。かかる事例に限らず、テロ対策は既存の法令によって十分可能だというのが共謀罪に反対する多くの者の主張するところであり、国会審議においてもそのことはくり返し指摘された。
共謀罪なんで必要なの?
共謀罪の必要性にかかるukitaxさんの主張は以下のようなものだ。
結論を言うと
「遠まわしに海外から『作ってくれ』って言われたから」
日本は世界の殆どの国が入っている犯罪集団を取り調べる国際条約の「国際組織犯罪防止条約」に入っていない。
理由は共謀罪がないから。
いかなる国(機関)のいかなる発言(行動)をもって「『作ってくれ』って言われた」としているのか定かではないが、「作ってくれと言われたから作る」というのでは、主権国家としてあまりにも情けないように思う。
あるいはその後の文章もふまえて好意的に解釈するならば、ukitaxさんの主張は、「わが国も国際組織犯罪防止条約(以下、「TOC条約」という。)を締結する必要があるところ、共謀罪を創設しないとTOC条約を締結することができない(から共謀罪を創設する必要がある)」といったところだろうか。政府はおおむねそのような説明をしているため、ukitaxさんの主張がかかる趣旨のものであるとするならば、誤りであるとまでは言わない。
しかし周知のとおり、こうした政府の説明に対して、共謀罪に反対する多くの者は、「共謀罪を創設せずともTOC条約を締結することは可能である」と主張している。ここでその主張の詳細にまで立ち入ることはとてもできないが、上記の爆弾設置の例に絡めて簡単にだけ言及しておくと、現行法はテロに対応するための規定をすでに十分備えている。すなわち、予備罪37、準備罪8、共謀罪13、陰謀罪8、計66の罪が設けられており、さらに共謀に基づいて予備行為が行われれば共謀に加わった(予備行為を行っていない)者についても予備罪が成立する、予備罪の共謀共同正犯という考え方が解釈上確立している*3。かかる国内の状況をふまえれば、新たな立法措置をとるまでもなく、TOC条約第5条が要求するところである組織犯罪への未遂以前の段階での対応を可能とする立法の整備はなされており、TOC条約を締結することになんら支障はない、というのがその根拠の一つだ。なおその他の根拠も含めた主張の詳細については、国会審議(会議録)のほか、日弁連の主張*4が充実している。いずれにせよ、こうした反対者の主張に一切目配りをすることなく、政府の説明をそのまま受容するかの如き態度はあまりよろしくないように思う。
どういう場合に適用されるのか?
ukitaxさんの主張は以下のとおり。
結論を言うと
「犯罪組織が犯罪計画をした時」
犯罪組織の定義は以下の通り
多数人の組織(1人じゃダメ)
指揮命令系統や役割分担がある組織(サークルじゃダメ)
今まで何回も犯罪を犯している組織(初犯じゃダメ)
そして犯罪計画の定義は以下の通り
二人以上で計画。
計画しただけでは罪ではない。計画者の誰かが準備行為(武器の購入、場所の下見)をした場合に適用。
脱落している議論についてまで指摘する余裕はないため、ukitaxさんが掲げる「犯罪組織の定義」なるものが正しいかどうかという点についてのみ検討しておく。組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律2条1項および同法6条の2第1項柱書を引用する*5。
(定義)
第二条 この法律において「団体」とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。
2~7 (略)
(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 (略)
二 (略)
2 (略)
「多数人の組織(1人じゃダメ)」?
同法6条の2第1項を一見すれば明らかなとおり、テロリズムその他の組織的犯罪集団(ukitaxさんがいうところの「犯罪組織」。以下、「組織的犯罪集団」という。)は、団体である。そして、同法2条1項が 掲げる団体の定義には、多数人の結合的複合体という要素が含まれている。したがって、「多数人の組織(1人じゃダメ)」は正しい。ただし、1人ではダメだが、少なくとも3人以上であれば組織的犯罪集団にあたりうることは指摘しておく。
「指揮命令系統や役割分担がある組織(サークルじゃダメ)」?
上記のとおり組織的犯罪集団とは団体である。そして団体の定義には、指揮命令関係や任務の分担といった要素が含まれている。したがって、「指揮命令系統や役割分担がある組織(サークルじゃダメ)」のうち、「指揮命令系統や役割分担がある組織」という部分は正しい。しかし、「サークルじゃダメ」とする部分は誤りである。
国会審議において政府はくり返し「通常サークルは組織的犯罪集団にあたらない」との趣旨の説明をしているため、誤解されるのもやむを得ないところではあるが、サークルが組織的犯罪集団から除外されるものでないことは条文上明らかである。国会審議も、注意深く見れば、政府はあくまでも「通常」サークルは組織的犯罪集団にあたらないと述べているにすぎないことが分かるはずである。たとえば、平成29年4月21日衆議院法務委員会における林眞琴法務省刑事局長の発言などは、明らかにサークルが組織的犯罪集団にあたりうることを前提としてなされている。
「今まで何回も犯罪を犯している組織(初犯じゃダメ)」?
上記のとおり、団体たる組織的犯罪集団の共同の目的は重大な犯罪の実行である。そして団体の定義に は、目的を実現する行為の全部または一部が組織により反復して行われることがその要素として挙げられているが、これは「今まで何回も犯罪を犯している」ことを要求するものではない。つまり、「今まで何回も犯罪を犯している組織(初犯じゃダメ)」は誤りである。この点については、平成29年3月21日衆議院法務委員会において、民進党の階猛が、金田勝年法相から答弁を引き出しているので引用しておく*6。
○階委員 同じことの繰り返しですけれども、今も通常という言葉もおっしゃいました。通常ではない例外的な場合もあるということですから、確認しますけれども、反復継続性がなくても組織的犯罪集団に当たる場合はあり得るということは間違いないですね。お答えください。
(略)
○金田国務大臣 申し上げれば、団体の意思決定に基づいて、犯罪行為を反復継続するようになるなどの状態にならない限り、組織的犯罪集団に該当すると認められることは想定しがたい。けれども、あり得るかとぎりぎり聞かれた場合に、あり得ないとは言えないと思います。
おわりに
以上、共謀罪に関する一般の方の誤解等について、ukitaxさんの主張を見ながら解説してきた。本記事が誤解を解く一助となれば幸いである。
なお、最後に老婆心ながら申し上げておくと、デモとは示威運動のことであるから、そのような場でなされる主張の詳細についてまで云々しようというのは、率直に言って少々間が抜けている。共謀罪に反対する主張の理論的な面に興味がおありなら、むしろ勉強会やシンポジウム等に参加された方がよいのではないかと思う。
共謀罪に関する世論調査の結果が分かれていることについて
共謀罪の賛否について報道各社が実施した世論調査の結果が分かれていることを伝える朝日新聞の記事*1を読んだ。記事によれば、日経新聞・テレビ東京の調査では賛成58パーセント、反対23パーセントであるのに対し、朝日新聞の調査では賛成35パーセント、反対33パーセントとなっており、大きな開きがある。
本稿では、上記記事に加え、朝日新聞の平成29年2月に実施した世論調査の質問文等を紹介する記事*2および毎日新聞の平成29年4月に実施した世論調査等にかかる2記事*3、そして日経世論調査アーカイブ*4を参照して、質問文と賛否の割合との関係をまとめた。質問文について着目したのは、
- 「テロ等準備罪」の文言が用いられているか
- 「従前の共謀罪に比して要件を厳格化した」との説明がなされているか
- 捜査への懸念に言及されているか
の3点である。なお、本来であればすべての世論調査について質問文を直接確認するのが望ましいのはもちろんであるが、私にそこまでの余裕がないため、質問文の内容は上記の記事等をもとに判断し、不明な場合は「?」とした。
「テロ等準備罪」の文言 | 「要件厳格化」との説明 | 捜査への懸念に言及 | 賛成:反対(賛否を表明した者に占める賛成者の割合) | ||
---|---|---|---|---|---|
1 | ○ | -(○) | × | 58:23(71.6%) | |
2 |
読売新聞(4月14~16日) |
○ | ○ | × | 58:25(69.9%) |
3 |
産経新聞・FNN(4月15~16日) |
○ | ○ | ○ | 57.2:32.9(63.5%) |
4 |
朝日新聞(2月18~19日) |
○ | × | × | 44:25(63.8%) |
5 |
朝日新聞(4月15~16日) |
× | × | × | 35:33(51.5%) |
6 |
毎日新聞(3月) |
× | ×(?) | ○ | 30:41(42.6%) |
7 |
毎日新聞(4月22~23日) |
○ | × | × |
49:30(62.0%) |
8 |
共同通信(4月) |
× | ×(?) | ○ |
41.6:39.4(51.4%) |
9 |
NHK(4月) |
○ | ×(?) | ? |
45:24(65.2%) |
共謀罪をテロ対策であるとするアピールや要件を厳格化したとの説明が、賛否に大きな影響を与えることを如実に示す結果となった。「テロ等準備罪」との文言を用いたうえで従前の共謀罪よりも要件を厳格化していると説明した場合、賛否を表明した者に占める賛成者の割合はなんと約7割という驚くべき数字である。
しかし、過去記事においてすでに述べているとおり、「テロ等準備罪」との呼称は必ずしもその実態を適切に反映したものではなく、共謀罪を「テロ等準備罪」と呼んでテロ対策との側面を過度にアピールすることには疑問がある。また、「要件の厳格化」が処罰のために準備行為を要求したことをいうものであるとすれば、準備行為は「ATMから現金を引き下ろす」等のなんら危険性を有しないものであるうえ処罰のためにこれを要求することは従前の共謀罪審議でも検討されており、要件を厳格化したと言えるかどうかもきわめて疑わしい。こうした実態にそぐわない印象が広められることによって議論が特定の方向へと誘導されることのないよう、いっそうの努力が必要だろう。私自身も、微力ながら力を尽くしていきたい。
日経新聞・テレビ東京の質問文について
ところで、日経世論調査の質問文は以下のようなものである。
政府は、殺人などの重大犯罪の計画に関与しただけで処罰の対象となる「共謀罪」の内容を見直し、犯罪を目的にする集団のみを対象にした「テロ等準備罪」を設ける組織犯罪処罰法改正案を今国会に提出しました。あなたはこの法案に賛成ですか、反対ですか。
この質問文からは、「テロ等準備罪」と喧伝される今回の共謀罪が、犯罪を目的とする集団のみに対象を限定することによって、従前の共謀罪よりも要件を厳格化したものであるかのような印象を受ける。私がまとめた上記の表で、日経新聞・テレビ東京の世論調査の、「要件厳格化」との説明があったか否かについての項目を、括弧つきながら○としたのはそのためである。
しかし、この点において今回の共謀罪は従前よりも要件を厳格化するものではまったくない。従来の共謀罪も、今回の共謀罪も、適用対象に違いはない。このことは、平成29年4月19日衆議院法務委員会において、法務省の林真琴刑事局長が明言している*5。今回の共謀罪が仮に要件を厳格化したものだと言いうるとしても、それは処罰のために準備行為を要求したことなどを理由とするのであって、「適用対象の限定」は理由とならない。日経世論調査の質問文は、ミスリーディングで不適切なものである。
*1:http://www.asahi.com/articles/ASK4P3HFYK4PUZPS001.html
*2:http://www.asahi.com/articles/ASK4P3HFYK4PUZPS001.html
*3:https://mainichi.jp/articles/20170424/ddm/002/010/117000c,
https://mainichi.jp/articles/20170424/ddm/007/010/154000c
*4:https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/cabinet-approval-rating/
*5:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017041901001231.html
カテゴリーの新設等
新たに「共謀罪」のカテゴリーを設けることにした。
これに伴って、以下の3記事はカテゴリーを変更した。
共謀罪がわが国における刑法の基本原則を覆すということ - U.G.R.R.
また、ブログデザイン(背景画像)を変更し、サイドバーに「注目記事」を追加した。
「テロ等準備罪」という印象操作
はじめに
いわゆる共謀罪について、政府は「共謀罪」との呼称を用いることをまったくの誤りであるとして強く批判する一方、「テロ等準備罪」との呼称を用いて盛んにテロ対策の側面を強調している。
本ブログでは、すでに「共謀罪」との呼称が誤りとは言えないことについてすでに論じており、あえて「テロ等準備罪」との呼称の妥当性についてまで述べるつもりは必ずしもなかったのだが、金田勝年法務大臣から看過できない発言があったため、簡単にだけふれておくことにする。
TOC条約
政府は、TOC条約を締結し、国際社会と協調してテロ等の組織犯罪とたたかうために、今回の法案*1で共謀罪を新設する必要があるのだと説明する*2。
しかし、よく知られているように、同条約はそもそもマネーロンダリングや人身売買を防止するための条約として成立したものである。テロリズムを同条約の対象とすることについては、日本を含む多くの国が反対し、結果として同条約にはテロに言及する規定は設けられていない*3。
当初法案に「テロ」の文言なし
これもまたよく知られているところだが、平成29年2月28日に報じられた今回の法案の原案に、「テロ」との文言は一切入っていなかった*4。政府は、報道等からいっせいにこの点を指摘され、原案において「組織的犯罪集団」としていたところを「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」とする急ごしらえの修正を行ったにすぎない。
しかも、その後の審議*5において、「テロリズム集団その他の」との文言の有無でなんら解釈上の変更を生じないことは、法務大臣自身の口から明言されている。同審議における仁比と金田とのやりとりを引用する*6。
○国務大臣(金田勝年君) 改正後の組織的犯罪処罰法第六条の二の、ただいま御指摘いただきましたテロリズム集団その他の文言は、この部分の文言は組織的犯罪集団の例示であります。(略)したがって、テロリズム集団その他のがある場合とない場合とで犯罪の成立範囲が異なることはないものと考えております。
○仁比聡平君 いや、つまり、あってもなくても意味は変わらないと、そういうことですね。
あってもなくても変わらない十文字あまりをちょいちょいと付け足して、これでテロ対策でございと差し出したというわけだ。面の皮の厚いことである。
テロに関係する犯罪は4割程度
共謀罪の対象となる277もの犯罪のうち、いったいどの程度がテロに関係するものなのか。この点にかかる金田の発言のあまりの酷さが、あえて本記事を作成することとした理由である。平成29年4月17日衆議院決算行政監視委員会における山尾志桜里と金田とのやりとりを引用する*7。
○山尾 277あるいはそれ以上と思われる今回の対象犯罪のうち、テロ対策の犯罪はいくつあるんですか。
○金田 277ございますが、それが、テロ対策として、直接にあるいは資金源として、あるいはそういう考え方で、関わりがあるかという風におうかがいをいただければ、関わりがほとんどあると、このように申し上げるべきであると、このように考えております。
まことに驚くべき発言だ。
「関わりがほとんどある」
金田は確かにこう言った。共謀罪の対象犯罪277のほとんどはテロ対策と関わりがあると、金田は臆面もなく言い放ったのである。
関わりがある? あるのかもしれない。ただしそれは、風が吹けば桶屋がもうかる、という程度の「関わり」だ。審議ではきのこ採りの例などが挙げられていたが、一度私心を去って対象犯罪のリストを眺めてもらいたい。これらのほとんどが、健全な社会常識として想定されるような意味で「テロ対策と関わりがある」と、本当に思うのか。あまりにも人を馬鹿にした、ふざけた発言である。
なお報道では、共謀罪の対象犯罪のうちテロ実行に関するものは4割程度とされている*8。
おわりに
以上のとおり、「テロ等準備罪」との呼称は、必ずしもその実態を適切にあらわすものであるとは言いがたい。以前の記事で述べたとおり、今回の法案が新設する罪は、従前の審議との連続性もあり、内容的にも「共謀罪」と呼んでなんら差し支えのないものである。そうであるにもかかわらず、従前用いていた「共謀罪」との呼称をまったくの誤りであると排撃し、必ずしも実態を適切にあらわしているとは言えない「テロ等準備罪」との呼称をあえて用いることは、印象操作との謗りを免れないのではないだろうか。
*1:組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案(第193回国会閣法第64号)。
*2:平成29年1月30日参議院予算委員会における金田の発言など。
*3:平成29年3月22日参議院法務委員会における仁比聡平の発言など。
*4:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201702/CK2017022802000125.html
*6:引用者において一部省略した。
*7:引用者において一部省略した。
*8:http://www.jiji.com/jc/article?k=2017022700806&g=pol
「君が代強制せず」はほんとうに嘘になる
国旗国歌法の制定過程で、くり返し唱えられてきた呪文がある*1。
政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。
日の丸・君が代について強制はしないしこれまでと変わることはないとの印象を与える説明だ。
もちろん、実際には「これまでと変わることはない」などということはまったくなかった。同法成立の後に発出された悪名高き「10.23通達」と起立斉唱の職務命令によって、大量の不起立教員が処分され、結果的に同法成立前と状況が一変してしまったことは周知のとおりである。
ただ、きわめて姑息なやり口ではあるが、こうした不起立教員の大量処分をもって、直ちに政府が同法の制定過程において虚偽を述べたとすることはできない。というのも、学校教育法および学校教育法施行規則に基づいて教育課程の基準として定められた学習指導要領には「入学式、卒業式においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」との趣旨の記載がある。そこで、教員に対しては、国旗国歌法がなくとも、かかる学習指導要領をふまえて起立斉唱の職務命令を発することができる、というのが、実は政府の立場だったからだ。つまり、もともと職員に対して日の丸・君が代にかかる義務づけはなしうるので、国旗国歌法によって運用が変わるわけではない、ということだ。
こうしたごまかしによって国旗国歌法は成立した。しかし現在その実態は、ごまかしによってなんとか保とうとした「虚偽を述べない」との姿勢さえかなぐり捨て、(教員のみならず)生徒に対しても起立斉唱を強制するに近いものとなりつつあるようだ。週刊金曜日ニュースの記事*2より引用する。
都教委は今年1月に開かれた校長連絡会と副校長連絡会で、「生徒への指導が適正か、教職員の指導状況を確認するように」と指示した。各校が作成し都教委に提出する卒業式の進行表(台本)に、「起立しない生徒がいたら司会が起立を促す」「全員の起立が確認できたら式を始める」といった記載がないと受け取ってもらえず、都教委から強い指導を受けるようになったという。
「全員の起立が確認でき」るまで式を始めないというのでは、事実上の強制であると言わねばならない。
また、式典は本番の一度きりしか行われないわけではなく、予行が重ねられるものだろう。その過程で、生徒に対して「指導」の名を借りた強制まがいの行為がなされることもある。田中伸尚『ルポ 良心と義務――「日の丸・君が代」に抗う人びと』(岩波新書、2012年)より引用する*3。
それでも「君が代」を歌うみんなの声はあまり元気がなく、先生たちは「大きな声で」とくり返し、必死に歌わせようとした。教室でも、声が出ていない、小さいといわれ、放課後も練習させられた。
(略)
六年生になると、「指導」がぐんときつくなった。
歌っている声が小さいと教頭の声が飛んできた。
「もうすぐ中学一年生でしょ。だんだん大人になっていくんだから――。この歌が歌えないと一人前じゃないんだよ」
前の六年生が言われていた「君が代」が歌えないと一人前になれない、をくり返した。(略)ある日の練習では、教頭が治さんの近くまで来て大きな声で言った。「歌いなさい」「大きな声で」と。
「(君が代を)歌えないと一人前じゃない」 などと、歌わない者の人間性を否定するかのような言葉を浴びせかけ、もっと「大きな声で」歌えと放課後にまで練習をさせる。これがはたして「指導」と言えるのだろうか。
私には、このような行為は「指導」の域を超え、強制にあたると判断されうるものであるように思われる。そして、そうであるならば、当該行為は内心に干渉するものとして憲法19条との抵触という深刻な問題をはらむ。したがって、これを行った教員に対してはなんらかの処分が検討されてもよいし、少なくとも通達・通知等によって、かかる「指導」を行わないよう周知を図る程度のことはしなければならないだろう。
ところが現実には、大量の不起立教員は処分されても、こうした「指導」を行う教員が処分される例などない。むしろ週刊金曜日ニュースの上記記事などからも垣間見えるように、起立斉唱しない生徒がいることの方を問題視し、かなり強引な手段を用いてでも起立斉唱させることをよしとするような空気が、現場を包んでいる。だからこそ、教員らは上の意向を忖度し、学習指導要領や通達等で求められている以上の「指導」を行うのだとも言える。
政府の国旗国歌法制定過程における説明には、「教師への強制はもともと可能である」との立場を極力隠すというきわめて姑息な方法によってではあったが、それでもいちおう虚偽を述べまいとする姿勢が看取できた。しかしいまや、日の丸・君が代の強制は生徒にまで及ばんとしており、「君が代強制せず」との政府の説明は、ほんとうに嘘になりつつある。正直さが蔑ろにされ、平気で嘘がまかりとおる社会は、おそろしいと思う。
inspired by tadataru
なお、本記事はtadataruさんの以下のツイートに触発されて作成したものである。
子供のころ嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で泣き叫ぶ子も続出した原爆映画を毎年毎年強制視聴させられて、これは平和のためなんだと教え込まれて、それが全部イデオロギーにまみれた大人のエゴでしかなかったと知った時の怒りと絶望がお前らにわかるか。
— tadataru (@tadataru) 2017年4月20日
イデオロギーがどうのこうのという手垢のついた平和教育批判にはまったく与しないが、原爆映画を見るのが本当に嫌であれば、それを拒否する自由は保障されるべきだと思う。tadataruさんを含め原爆映画の鑑賞を強制されること*4に疑問を感じる向きは、日の丸・君が代の強制についても一度考えていただければと思う。
「共謀罪」との呼称は誤りか
はじめに
いわゆる共謀罪について、政府は「テロ等準備罪」との呼称を用いて盛んにテロ対策の側面を強調している。
呼称など些末と言えば些末な問題ではある。
ただ、安倍晋三内閣総理大臣は、同罪について「共謀罪」と呼ぶことを「全くの誤り」であるとまで断じる一方、自らは「オリンピックを三年後に控え、テロ対策は喫緊の課題」などと突如オリンピックまで持ち出して同罪が専らテロ対策を目的とするかのような印象づけに傾注している*1。
このように、内閣総理大臣によって、特定の呼称を用いることへの強い批判と同罪の性質についての印象づけが行われている以上、同罪の内実を検討し、かかる批判や印象づけの当否を考えることにも一定の意義はあろう。本記事では、まず「共謀罪」との呼称が誤りかどうかを検討する。
「共謀罪」は誤りか
政府の主張
政府が「共謀罪」との呼称を誤りだとする根拠は単純だ。今回は準備行為があってはじめて処罰することとしているので、共謀のみによって処罰することとしていた従前の共謀罪とはまったく異なるものだというのである*2。このような政府の主張は妥当だろうか。
「準備行為」の性質
準備行為自体は「悪いこと」とは言いがたい
先日の記事ですでに説明したとおり、共謀罪の最大の懸念は、わが国における刑法の基本原則が「悪いことを行ったから罰する」から「悪いことをたくらんだから罰する」へと変更されるのではないかという点にある。政府の主張は、こうした懸念をふまえて処罰のために共謀のみならず準備行為を要求したことによって、今回の法案が「たくらみ」を処罰するものではない、すなわち「悪いことを行ったから罰する」との基本原則を揺るがすものでないことは明確になった、との趣旨を述べているものと理解できる。
しかし、今回要求されている「準備行為」なるものは、ATMから資金を引き下ろす、関係場所の下見を行う等の、それ自体としてはなんの危険もなく「悪いこと」とは言いがたい行為であって、その実質においてむしろ「たくらみ」に着目していることは明らかだ。277もの多数の犯罪について、かかる準備行為が誰か一人によって行われれば計画に加わった者全員を一網打尽にできるとすることは、やはりわが国における刑法の基本原則を「悪いことを行ったから罰する」から「悪いことをたくらんだから罰する」へと変更するものと評せざるを得ないだろう*3。一般的にも、「処罰のために準備行為を要求している」などと説明されても、その準備行為自体は「悪いこと」でないというのでは、共謀のみで処罰されるのとさして変わらないと感じるのではないだろうか。
準備行為は処罰条件?
さらに今回の法案*4では、組織犯罪集団の活動として一定の犯罪を二人以上で計画した者が、計画した者のいずれかによって「準備行為が行われたとき」、刑に処されるとの規定になっている。準備行為が構成要件ではなく処罰条件として位置づけられているのであれば、問題である。
ここで、平成18年4月25日衆議院法務委員会における大林宏法務省刑事局長の発言を引用する。当時の国会でも共謀罪についての議論が行われており、与党修正案は処罰条件として「その共謀に係る犯罪の実行に資する行為」を求める内容であった。引用の発言は、共謀の嫌疑さえあれば犯罪の実行に資する行為の有無にかかわらず捜査は可能か、という柴山昌彦からの質問に答えたものである。
共謀が行われたという嫌疑があるのであれば、犯罪が行われた嫌疑があるということになりますので捜査を行うことは可能です
一読して明らかなとおり、ここでは共謀の時点ですでに犯罪が成立し、捜査が可能であるとの見解が示されている。発言はその後、共謀段階で逮捕等を行えばその後「犯罪の実行に資する行為」が行われることはないのだから、現実問題としてそうした捜査が行われることはないと考えられる、と続くのだが、通信傍受等、本人に了知されない形での捜査というものは十分考えうるし、金田勝年法相も将来的にいわゆる共謀罪を通信傍受の対象犯罪とする可能性を否定していない*5。ともあれ、準備行為を単なる処罰条件と位置づけているのであれば、ここでもやはりその実質において、準備行為よりもむしろ「たくらみ」が着目されているものと言える。処罰は準備行為があってからだが犯罪は共謀の時点で成立しているというのであれば、それを「共謀罪」と呼ぶのは自然な感覚であろう。
従前の共謀罪との連続性
従前の共謀罪が共謀のみで処罰するものであって今回の法案とはまったく異なるとする点も、その実態に照らして疑問がある。
共謀罪については、これまでに3度審議が行われ、3度とも廃案となったことはよく知られている。ここで、3度目の審議において、与党側から提出され、平成18年6月16日衆議院法務委員会会議録にも掲載された修正案を引用する*6。
第三 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規則等に関する法律の一部改正についての修正
一 (略)
二 組織的な犯罪の共謀の罪の成立要件の限定等(第六条の二関係)
1 (略)
2 組織的な犯罪の共謀をした者は、その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合に限り、処罰されるものとすること。
3~5 (略)
三 (略)
一読して明らかであって説明の必要もないと思うが、従前の共謀罪審議においても、処罰の条件として共謀に加えて準備行為を要求することは検討されていたのである。従前の共謀罪が共謀のみで処罰することを所与の前提としていたかのような説明は誤解を招くものであるとの批判を免れない。今回の法案は、金田勝年法相の言うように「過去御審議をした際とは全く発想を変え」*7たものなどと評することはまったくできず、従来の共謀罪審議の延長線上、というよりはほとんど一歩も進んでいない地点に位置するものにすぎない。
おわりに
以上検討してきたとおり、今回の法案で新設される罪は、処罰のために必要とされる準備行為の(それ自体は「悪いこと」とは言いがたいという)性質等に照らしても、また過去の共謀罪との連続性が保たれているという点に照らしても、「共謀罪」と呼んでなんら差し支えのないものであると考える。むしろ今回の法案で新設される罪を「共謀罪」と呼ぶことに対し、「全くの誤り」であるなどと非難する態度こそが、悪質な印象操作であると言わざるを得ない。