グローバリゼーションの病弊

フーベルト・ザウパー監督の『ダーウィンの悪夢』(2004年公開)を見た感想を記す。

内容への言及を多く含む。

ダーウィンの悪夢 デラックス版 [DVD]

ダーウィンの悪夢 デラックス版 [DVD]

 

1950年代、ヴィクトリア湖に放たれた肉食の巨大外来魚ナイルパーチが湖畔にもたらした変化、その光と影を描くドキュメンタリー映画。

ヴィクトリア湖に放たれた巨大魚は爆発的にその数を増やし、 地域経済はナイルパーチ漁とその加工業に依存するようになっていった。

ナイルパーチは衛生管理体制の整った工場に運ばれ、加工されてヨーロッパや日本などに輸出されてゆく。加工された切り身を地域の者が食べることはほとんどない。皮肉にも、彼らによる加工の手間が、魚の価値をつり上げるからだ。彼らが食べるのは、工場から出されたナイルパーチの残骸だ。

一方で、ナイルパーチ漁は大きな危険を伴う。毎年多くの漁師が事故などで死に*1、残された女は生きるために売春を行うようになる。結果、湖畔ではエイズが蔓延する。まさに悪夢の連鎖である。

 

ここにはグローバリゼーションの抱える病弊が克明に描き出されている。交通手段の発達等によって資源獲得競争の舞台は一地域から世界全体へと拡大する。その中で、途上国の資源は先進国に吸い上げられてゆく――すなわち、先進国による途上国の資源の搾取である。

先進国は、資源を獲得するにあたり、「投資」「取引」といった形態で途上国に働きかける。そのため、途上国の経済は短期的にはむしろ活性化することさえある。しかし、こうした先進国の誘導によって、既存の産業は破壊され、持続可能性を無視した資源の乱獲が行われるようになることも多い。その行きつく先は資源の枯渇であり、そのとき途上国に残されるものは何もない。

また、「取引」によって生じた(あるいは生じるはずの)利益が、労働者に分配されないということもある。これには、「そもそも先進国が正当な対価を払っているか」という問題と「途上国側に利益が公平に分配されるような仕組みが整っているか」という問題とがあるが、いずれにせよ、こうした点への配慮なしになされた「投資」や「取引」は、途上国にとって却って悪い結果をもたらしかねない。

ヴィクトリア湖畔のケースでは、こうしたグローバリゼーションの負の側面がすべて顕在化していると言ってよいのではないだろうか。本作に対しては、その信憑性について批判もある*2が、見る価値のある映画であると思う。

 

作中、住民参加型漁業をめざす国際ワークショップでナイルパーチによる生態系の破壊や水質の汚染を懸念する映像が流された際、タンザニア代表*3が、「映像は一つの断片にすぎない」「汚染地域ばかりを撮るべきだろうか」などと、懸念が恣意的に「作られた」ものであると示唆するような発言を行う場面がある。

懸念は「作られた」ものだったのか。10年以上が経ったいま、ヴィクトリア湖の現状について以下のような報告があることは大変示唆的である。

ビクトリア湖の汚染とナイルパーチ漁獲量の激減 - Togetterまとめ