約70年越しで実現した平等
横田啓子のベアテ・シロタ・ゴードンに対するインタビュー「私はこうして女性の権利条項を起草した」(井上ひさし・樋口陽一編『『世界』憲法論文選』に収録のもの。初出は『世界』1993年6月号)を読んだ。周知のとおり、ベアテ・シロタ・ゴードンは憲法草案の作成に関与した女性文官である。
恥ずかしながら、私は日本国憲法の成立経過については通り一遍の知識しかなく、これまで知らなかったのだが、上記インタビューによれば、運営委員会によって削除されてしまったが、ベアテ・シロタ・ゴードンらがまとめた草案には、以下のような条文があったのだという。
「国家は、妊婦及び育児にかかわる母親を、既婚、未婚を問わず保護し、必要な公的扶助を与える義務を負う。非嫡出子は法的な差別を受けず、身体的、知的、社会的環境において嫡出子と同じ権利と機会を与えられる。」
条文の後半は、嫡出子と非嫡出子との平等を定めたものである。
この問題に関しては、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1と定めた(改正前)民法900条4号ただし書きをめぐって、長い戦いがあったことはご存知だろう。
最高裁判所平成7年7月5日大法廷決定*1は、「民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものである」などという理由によって、同規定を憲法14条1項に反するものではないと判断し、国連からの度重なる勧告にもかかわらず、同規定は放置され続けてきた。その後、最高裁判所平成25年9月4日大法廷決定*2がようやく、同規定は「遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していた」との判断を示し、これを受けて行われた民法の一部改正によって、非嫡出子の相続分差別は解消されるに至ったのである。
憲法草案の作成から約70年。当時ベアテ・シロタ・ゴードンが書き込むことのできなかった「平等」が、約70年という時を経て実現されたことにある種の感慨を覚えたので、ここに書きとめるものである。