死刑事件と手続保障

『自由と正義』66巻8号(2015年8月号)では、「死刑廃止を考える」というテーマで特集が組まれていた。掲載論文は以下のとおり。

  • ティム・ヒッチンズ「死刑制度に関する真剣な議論に向けて」
  • 小川原優之「日本における死刑廃止、死刑執行停止についての議論の現状」
  • 浜井浩一「刑務所から見える日本の刑罰」
  • 笹倉香奈「アメリカ合衆国における死刑制度の現状」
  • 高橋則夫「犯罪被害者(遺族)と死刑制度」
  • 加毛修「死刑廃止に向けた展望と日弁連の課題」

これらのうち、私は、アメリカ合衆国における死刑の急減を紹介した笹倉論文に興味をひかれた。

 

アメリカ合衆国では、近年死刑が急減しているという。笹倉論文よりいくつか数字をあげる。

例えば、1996年には全米で年間315件もの死刑判決が言い渡されていたが、近年では80件前後にとどまる。また、現在死刑を廃止しているのは50州中19州であるが、そのうち7州は2007年以降に廃止したものである。さらに、2011年以降、オレゴンコロラド、ワシントン、ペンシルバニアの各州では州知事が死刑執行の停止を宣言し、カリフォルニア州ニューハンプシャー州などでは死刑廃止法案の可決が現実味を帯びつつあるという。

こうした顕著な死刑急減の動きについて、笹倉はその原因を概ね以下の3点に求める。

  • 近年になって多数の冤罪事例が発見されたこと
  • 死刑制度に多大な費用がかかるとの認識が広まったこと
  • 代替刑としての絶対的終身刑の存在

このうち第2点は、スーパーデュープロセスと呼ばれる死刑事件における手厚い手続保障に由来する。その概要は以下のようなものである*1

  • 事実認定手続と量刑手続との分離及び量刑手続における指針付き裁量性
  • 陪審による裁判及び慎重な陪審員選任等の手続
  • 手厚い資金等の補助*2
  • 自動的な直接上訴
  • 再審査の機会付与*3

こうした手厚い手続保障のために、死刑事件には多大な費用がかかる。カリフォルニア州の最近の研究*4によれば、公判前及び公判手続にかかる費用は死刑1件あたり100万ドルであり、さらに上訴手続や有罪確定後の州及び連邦の手続にかかる費用が追加されるのだという。

さしあたり、わが国で目指すべきはこうした手厚い手続保障の実現であろう。なおこの点、理想としてはすべての刑事事件について手厚い手続保障が実現されるべきであろうが、リソースの問題もあり、ひとまずは冤罪であった場合に最も重大な問題が生ずる*5死刑事件のみに対象を限定することは、やむを得ないものと考える。

死刑制度の問題点として冤罪のおそれを指摘するとき、死刑制度の存置に賛成する者から必ずと言ってよいほど返ってくるのが、「冤罪を減らす努力が必要なのは当然だが、それと死刑制度の存廃とは別問題である」という趣旨の答えである。つまり、死刑制度の存置に賛成する者も、冤罪を減らす努力の必要性については認めているものと考えられる。そして、上記のような手厚い手続保障に比すれば、日本のそれは十分なものであるとは言えない。とすれば、そのことを真摯に説明し、理解を求めていくことで、わが国の死刑事件における手続保障のさらなる充実は実現しうるはずである。

そして、こうした手続保障の充実によって、わが国の刑事司法制度はより良い方向へと向かっていくことになるだろう。

まずなによりも死刑事件における手続保障の充実によって冤罪が減少するのは大変素晴らしいことである。

加えて、手続保障の充実の結果、死刑事件における費用が増大し、死刑が減少・廃止に向かうのであれば、それもまた死刑制度のあるべき姿として評価されるべきである。

なぜなら、第一に、人権ないし適正手続の見地からいっても、十分な手続的保障を与えないままに死刑という重大な刑罰が科されるべきではない以上、手続保障にかかる費用増大のために死刑が減少するのであれば、それはむしろ「本来あるべき」死刑判決の数*6に近づいたものと評するべきであり、さらに進んで死刑制度の廃止に至ったとしても、それは死刑制度の制度設計自体に無理があったことを示すものに他ならないと言い得るからである。

そして第二に、死刑制度の存置に賛成する者も、大半は、冤罪発生防止のための方策を尽くしたうえでの死刑制度存置に賛成しているのであるから、方策を尽くした、すなわち十分な手続保障を与えた結果として死刑が減少・廃止に向かうことは、むしろ死刑制度の存置に賛成する者の意思とも合致するものであって、民主的正統性の確保という観点からも望ましい経過であると言い得るからである。

以上のとおり、死刑事件における手厚い手続保障は、わが国にあっても実現可能であり、また実現するべき課題であると考える。

 

以上、笹倉論文に接して、死刑制度に関してわが国が目指すべき方向について考えたことを、備忘として記しておく。

 

補論

なお、上記のとおり笹倉論文は死刑急減の原因の1つとして絶対的終身刑の存在を挙げるが、私はこの点については懐疑的である。

笹倉論文は、死刑の減少と絶対的終身刑との関係について、テキサス州を例に挙げて以下のように述べる。

例えばテキサス州では2005年に絶対的終身刑を導入したが、その後の死刑判決数は顕著に減少している。

しかし、テキサス州では2005年9月に絶対的終身刑が導入されたのであるが、その後の死刑判決数の推移は以下のとおりとなっている*7

  • 2005年:14
  • 2006年:11
  • 2007年:14
  • 2008年:12
  • 2009年:9
  • 2010年:8
  • 2011年:8
  • 2012年:9

かかる推移を、死刑判決が「顕著に減少」していると評価することはできないだろう。

 

このように絶対的終身刑と死刑判決数の増減との因果関係が必ずしも明らかではないことに加え、絶対的終身刑は実質的な厳罰化につながるおそれが大きい。笹倉論文でも、アメリカでの「絶対的終身刑の言渡し数の増加は、死刑判決・執行の減少をはるかに上回る。つまり、実質的な厳罰化がもたらされている。」と指摘されているところである。その他、絶対的終身刑についての詳細な議論は別の機会に行いたいと考えているが、結論だけ述べておけば、私は、死刑制度を廃止して代わりに絶対的終身刑を導入するという場合に限り、絶対的終身刑の導入に賛成する。死刑制度を存置したまま絶対的終身刑を導入することには反対する。

*1:笹倉香奈「死刑と適正手続」龍谷法学47巻4号832頁以下。

*2:多くの州では被告人が使える公的弁護費用に制限はなく、死刑弁護の経験がある2名の弁護人が付き、専門家証人も多い。

*3:州の有罪確定後の手続及び連邦の人身保護請求、州知事による恩赦など。

*4:Arthur L. Alarcon & Paula Mitchell,Executing the Will of the Voters? 44 Loyola L Rev.,41 (2011). ただし、笹倉論文からの孫引きであって、私はまだ直接参照していない。

*5:被侵害利益の大きさに加え、他の刑罰の場合と異なり事後的に補償を受けられないことが予想される(死刑の執行によってすでに死亡しているため。相続人が補償を請求することはできるものの、当然のことながら相続人は本人でないのだから、まったく意味合いが異なるものと言うべきであろう)点で、特に取り返しがつかない。

*6:私自身はそもそも死刑制度自体をあるべきものと言えるかどうかという点に疑問を持っていることを念のために記しておく。

*7:テキサス州終身刑導入と死刑判決数の経緯については、布施勇如「テキサス州における終身刑導入の経過とその後」大阪弁護士会死刑廃止検討プロジェクトチーム編『終身刑を考える』(日本評論社、2014年)74頁以下参照。