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訂正勧告と大学教員のあり方などについての雑感

はじめに

以下の記事とそれに対するブックマークコメントを読んだ。

「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月についての見解 on Strikingly

はてなブックマーク - 「安倍はやめろ」「学長やめろ」で停職3ヶ月についての見解 on Strikingly

記事によれば、大学が、教員であるハヤシザキカズヒコさんに対し、授業中に「戦争法案絶対反対」等のコールを呼びかけたことなどを理由として、停職3月という懲戒処分を行ったということらしい。

私はこの件について詳細を把握しておらず、そのような状態で言及するのは適切ではないかもしれないが、ブックマークコメントで早期に訂正されるべきだと思われる誤情報が流されているので、取り急ぎ指摘しておく。またあわせて、あくまでも一般論としてではあるが、大学教員のあり方等について感じたことを記しておきたい。

訂正勧告

まず最も重要な点について。

本記事に対するブックマークコメントで、id:cider_kondoさんは以下のように述べている。

本文見てシラバスで「人権・同和問題論」を検索したが、他教官の物はちゃんと表示されるがこの人は出てこない。なお、http://scholar2.fukuoka-edu.ac.jp/sran5/の教員一覧にも名前なし。ちゃんと事務に書類出してるんだろうか?

 

はてなブックマーク - cider_kondoのブックマーク - 2015年11月28日

福岡教育大学の教員一覧にハヤシザキカズヒコさんの名がないとするのは、誤りである。「学校教育講座」の項の9番目に、「林嵜 和彦」の記載がある。

cider_kondoさんに他意はなく、「嵜」がよく用いられる「崎」でなかったために見落としただけだとは思うが、ハヤシザキカズヒコさんの名誉にもかかわる可能性のある事柄であるため、速やかに謝罪・訂正をされた方がよいと思う。

大学教員のあり方など

それにしても記事に対する反応を読んでいて驚いたのは、「授業をやれ」「カリキュラムに沿った内容でなければ授業料詐取」といった類の声が意外なほど大きかったことだ。

これが義務教育であれば話は分かる。生徒が十分な批判能力を有せず、教師の影響を受けやすい義務教育段階では、生徒を「偏った」思想・主張にふれさせることには問題もあろう。また、生徒の側に教師を選択する余地が乏しいことや、全国的に均等な教育の機会を提供するという義務教育の目的に照らしても、予定されたとおりの内容の授業を行う必要性は高いと言えるかもしれない。

しかし、本件で問題となっているのは大学の授業である。もう成人しようかという青年が十分な批判能力を備えている(べき)ことは当然であるし、受講科目はもちろん、進学する大学についても、基本的には自由に選択できる立場にもある。そして、最も重要なことだが、大学における教育とは、高等教育である。高等教育の要諦は、単なる知識の伝達にあるものではない。まずなによりも、学生の知的探究心を惹起すること。そして、その探究心を充足するための手段を示唆し、ときには与えることにこそある。少し長くなるが、内田樹大学における教育-教養とキャリア (内田樹の研究室)より引用する*1

繰り返し申し上げますけれど、高等教育の目指すべきことは一つしかありません。それは「どうしたら学生たちの知性が活性化するか」について創意工夫を凝らすことです。学生たちの目がきらきらと輝き始めるのはどういう場合か、学生たちが前のめりになって人の話を聞き、もっと知りたい、もっと議論したい、もっと推理したいというふうになるのはどういう場合か。それについて集中的に考えるのが大学での教育だろうと僕は思っています。知性というのは情報や知識のような「もの」ではありません。このような、「前のめりの欲動」のことです。前のめりの運動性なのです。

(略)

一度脱皮し、知的なブレイクスルーを経験した学生たちは、後は自分で勉強します。学びの本質は自学自習ですから、後はもう放っておいても構わない。本を貸してくれと言われたら貸し、学会に行きたいと言われたら連れていき、会いたい人がいると言われれば紹介する。それから後の教師の仕事は「点をつなぐ」だけです。ひとたび「学びたい」という状態になった学生に対して教師がする仕事はもうそれだけで十分なんです。ですから、教師にとっての問題はどうやって「学びたい」という思いを起動させるか、それだけです。

このような視点に立てば、決められたカリキュラムに沿って淡々と知識を伝えるという以外の授業の形もありうることになる。最初に述べたとおり、私は本件についてまったく詳細を把握していないのであくまでも一般論にはなるが、現在社会で行われているデモ活動やそのコールの特徴*2を紹介し、その特徴を体感させるべくコールを呼びかけることも、学生の知的探究心を惹起するためのアプローチとして考えられないわけではないと思う。

……などと、ここまで建前論を展開してきたが、より率直で素朴な感覚として、そもそも大学の講義など適当であったり奇矯であったりするのが当然ではないか、という思いが私の中にはある。私より年長の方々から授業のほとんどが雑談だったという類の話を聞く機会は多いし、私自身も、そこまで極端ではないものの、講義における雑談の割合がかなり大きい先生に教わったことはある。何の事前連絡もなく突然休講となり*3、補講等の措置もとられなかったという経験も数回ある*4。大学の講義など、そもそもがそういうものなのだから*5、あまり小さなことに目くじらをたててカリキュラムからの逸脱だ、授業料詐取だ、などと騒ぎ立てることもないのではないかと思う。

懲戒処分

もう一点、本件について停職3月は当然であるとか、むしろ軽すぎるとかいった意見が多いことにも私は違和感を覚えた。

停職3月は、きわめて重い処分である。たとえば、出張旅費等の架空請求を行った教員には停職6月の懲戒処分*6が、タクシーの車内で女性職員の身体に触る等の悪質なセクハラ行為をくり返した教員には停職2月の懲戒処分*7が行われている。停職の対象となるのは、多くの場合犯罪又はそれに準ずる行為その他のかなり悪質な行為なのである。

もちろん再三述べるとおり私は本件の詳細をまったく承知していないので、あくまでも一般論にはなるが、上記のような傾向に照らせば、記事から読みとれる限りやや個性的な授業を行ったにすぎない人物が、仮に個性的すぎて許容できる限度を超えていたとしても、停職3月などという懲戒処分を受けるのは、いかにも重いという印象を受ける。

おわりに

以上、とりとめもなく述べてきたが、本記事において重要なのは、「訂正勧告」の部分のみである。それ以外の記述は、十分な情報に基づいて具体的に本件について言及するものではなく、あくまでも一つの感想として受けとっていただきたい旨、改めて申し上げておく。

*1:なお、引用者において一部文章を省略した。

*2:ハヤシザキカズヒコさんの記事ではラップ調であるという特徴がとりあげられている。

*3:連絡がないので、学生の多くは教室で20分から30分戸惑いながら待ち続ける。

*4:それぞれ別の先生であった。

*5:なお、お前の大学の程度が低かっただけだとのご批判があるかと思うので予め述べておくが、私の出身大学は一流と言われる国立大学である。

*6:http://blog.university-staff.net/archives/2015/02/11/httpwww-9.html

*7:http://blog.university-staff.net/archives/2008/12/28/post-1685.html