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緊急事態条項と押しつけ憲法論

雑記

はじめに

今夏の参院選では憲法改正が争点になる。改正の具体的な項目については不確定な部分もあるが、おそらくは緊急事態条項が俎上にのせられることになるのだろう。そこで、夏までにいくつか緊急事態条項に関する記事を書こうと思う。今回は、その制定経過に照らしても、現行憲法は十分に緊急事態を想定しこれに対する備えを持つものである、ということを述べる。

制定経過

周知のとおり、松本案に若干の加筆改訂を施した日本側の憲法改正要綱は、天皇主権を維持しようとするきわめて保守的なものであった。そのため、総司令部はこれを全面的に拒否し、日本側に対して、総司令部案に基づく改正案の作成を求めたのであった。

これをうけて日本側が起草したのが、いわゆる三月二日案である。もっとも、同案には、総司令部案にはない以下のような規定が置かれていた。

第76条 衆議院ノ解散其ノ他ノ事由ニ因リ国会ヲ召集スルコト能ハザル場合ニ於テ公共ノ安全ヲ保持スル為特ニ緊急ノ必要アルトキハ、内閣ハ事後ニ於テ国会ノ協賛ヲ得ルコトヲ条件トシテ法律又ハ予算ニ代ルベキ閣令ヲ制定スルコトヲ得。

これは、閣令による緊急事態への対処を定めた規定である。この規定については、総司令部からの反対が強く、昭和21年3月6日に発表された憲法改正草案要綱では削除されている。

しかし、日本側は引き下がらなかった。解散等の理由によって国の最高機関が機能を停止するのは不都合であるとして、これに対処するため常置委員会を設ける案と、参議院に国会の機能を代行させ次の会期において衆議院の承諾を得させる案とを総司令部に提出したのである。

これらの案に対しても、総司令部は当初積極的ではなく、災害等の不測の事態には、内閣の非常権力(emergency power)で処置できると考えていた。なお、ここに「内閣の非常権力」とは、法律の授権によって内閣に与えられた権能をいうものである。

日本側は、総司令部のこのような見解に対して、広汎な委任立法を認めることの問題等を指摘してなおも交渉を続けた。そして、昭和21年4月17日の憲法改正草案において、以下の規定を置くことに成功したのである。一目見れば明らかなとおり、これらは、参議院の緊急集会について定める現行憲法 54条2項および同条3項とまったく同一の文言となっている。

第50条2項 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

第50条3項 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。 

付言するに、これらの規定は、日本側が提出した、参議院に国会の機能を代行させ次の会期において衆議院の承諾を得させる案が採用されたものと言ってよい。したがって、日本側においても当然これによって緊急事態への備えは足りると考えていた。そのことは、昭和21年7月2日に開かれた第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正案委員会第3回において、憲法改正草案になぜ緊急勅令等がないのかという北浦圭太郎の質問に対して、金森徳次郎が以下のように答弁したことにも現れている*1*2

我我過去何十年ノ日本ノ此ノ立憲政治ノ経験ニ徴シマシテ、間髪ヲ待テナイト云フ程ノ急務ハナイノデアリマシテ、サウ云フ場合ニハ何等カ臨機応変ニ措置ヲ執ルコトガ出来マス、随テ緊急ノ措置ヲ要シマスルノハ稍々余裕ノアル事柄デアリマス、シテ見レバ、サウ云フ場合ニハ、臨時ニ議会ヲ召集スルト云フ方法ニ依ツテ問題ヲ解決スルコトガ出来ル、又臨時ニ議会ヲ召集スルコトガ出来ナイ場合ガ考ヘラレマス、ソレハ衆議院ガ解散サレ、末ダ新議員ガ選挙セラレナイ所ノ三、四十日ノ期間ガ予想セラレルノデアリマスガ、其ノ時ニハ何トモシヤウガナイ、ソコデ参議院ノ緊急集会ヲ以テ暫定的ニ代ヘル、斯ウ云フコトガ考ヘラレマス

おわりに

以上のような制定経過に照らせば、現行憲法が十分に緊急事態を想定したうえでつくられたものであることは明らかだろう。

それにしても、制定経過を見るほどに、現行憲法における緊急事態への備えが、日本側の主体的な努力によって形成されたものであることを、実感させられる。現行憲法がある意味で「押しつけ」であるとの問題意識*3のもとに行われる憲法改正論議において、真っ先に俎上にのせられるものと見込まれるのが、これほどに日本側の主体的な努力が見られる緊急事態への対処にかかる条項であるというのも、なかなか面白い話だ。

〈参考文献〉

 佐藤達夫(佐藤功補訂)『日本国憲法成立史 第三巻』(有斐閣、1994年)

日本国憲法成立史〈第3巻〉

日本国憲法成立史〈第3巻〉

 

*1:http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/s210702-i03.htm

*2:引用者において太字強調を施した部分がある。

*3:平成28年2月4日に開かれた衆議院予算委員会において、現行憲法を「押しつけ憲法」と考えるかという大串博志の質問に対し、安倍晋三は、「占領下で連合国軍総司令部(GHQ)に逆らえない中、極めて短期間で作られたのは事実である」という趣旨の答弁をしている。なお、大串によれば、安倍は対談において、より直截に、現行憲法について、「左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが、(中略)短期間で書き上げ、それを日本に押し付けた」と述べているとのことだ。