芦田修正について

※本記事における引用にあたっては、読みやすさを考慮して表記等を改めた部分がある。

芦田修正とは何か

憲法9条の解釈にあたっては、いわゆる芦田修正が問題とされることがある。

周知のとおり、芦田修正とは、帝国憲法改正案委員小委員会が帝国憲法改正案、とりわけその9条に加えた修正を指す。

昭和21年6月25日、衆議院本会議に提出された帝国憲法改正案において、戦争の放棄を定めた9条は以下のような文言であった。

第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。

2 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

これに、衆議院の帝国憲法改正案委員会に設置された、芦田を委員長とする小委員会が検討を加え、以下のように修正した*1。この修正を、芦田修正と呼ぶのである。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

芦田修正の何が問題となるのか

芦田修正が憲法9条の解釈にあたって問題になるというのは、おおむね以下のような理屈である*2

すなわち、上記のとおり、芦田修正によって、9条2項には、「前項の目的を達するため」との文言が加えられた。そして、9条1項が放棄するのは、「国際紛争を解決する手段として」の戦争や武力による威嚇または武力の行使であって、つまり侵略行為である。したがって、9条2項は、前項の目的、つまり侵略行為の放棄という目的を達するために戦力を保持しないことを定めたものであり、自衛のための戦力保持を禁ずるものではない、というのだ。

率直に言って、これは本来一顧だにされないような牽強付会の論であるように思われるが、当の芦田本人が、後年になってくり返し上記のような意図の下に修正を行ったのだと主張したために、現在もなお一定の影響力を有しているようだ。

果たして芦田は、真にそのような意図の下にかかる修正を行ったのだろうか。

芦田修正の意図 

「説明をすれば修正が許される見込みはなかったから」という釈明

芦田修正が行われた意図は、これが行われた小委員会での議論*3を見ることによって明らかになるというのが常識的な考え方であろう。そして小委員会での議論では、芦田が後年になって主張する上記のような(9条2項は自衛のための戦力保持を禁じていないという)見解は、まったく現れてこない。

このことについて芦田は、「明確に説明すると、憲法委員会においてかような修正を加えることが許される見込みはなかつた。諸般の情勢から見て、とうていかような修正案を憲法委員会に出すことを認められるような可能性はなかつた。従つて私がこの修正案を出したときには、委員会においても何らの説明を行わなかつた。速記録をごらんくだすつても、私は一言も説明を加えておりません。幸いにして質問もなかつたので、これに答える必要もなかつたわけです。」といった釈明をしている*4。説明をすれば修正が認められる見込みはなかった。だからあえて説明を行わなかった、というのだ。

当初試案

しかし、小委員会での議論の経過を追えば、このような釈明が真実でないことは明らかである。 というのも、芦田が最初に「前項(掲)の目的を達するため」という文言を提案したとき、その試案の文言は以下のようなものだったからだ。

第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。

2 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

上記のとおり、9条2項が自衛のための戦力保持を禁じていないとする主張の核心は、同条項にいう「前項の目的」を「国際紛争を解決する手段として」の戦争(=侵略戦争)等の放棄と解し、同条項は「(侵略戦争等の放棄という)前項の目的を達するため」という一定の条件下で戦力を保持しない旨を規定するにすぎない、とする点にある。ところが、当初試案では文言の順序が逆転しており、戦力の不保持は1項、「国際紛争を解決する手段として」の文言は2項にあったのだ。これでは、「前項(掲)の目的」を「国際紛争を解決する手段として」の戦争等の放棄と解する余地はないし、そもそも「前項の目的を達するため」という一定の条件下における戦力不保持を定めたにすぎないとの論理自体が成り立たない。芦田が当時すでに後年主張するような意図を秘めていたのであれば、このような提案をするはずがない。

結局、この当初試案については他の委員との協議等も経て変更され、現在芦田修正として知られている形の条文にまとまるのであるが、その際もやはり、9条2項は「(侵略戦争等の放棄という)前項の目的を達するため」に戦力不保持を定めるにすぎず、自衛のための戦力保持は禁止していないと解することになる、といった話はまったく出てこない。むしろ芦田自身は、趣味の問題であるとしながらも、自身が提案した当初試案の順序に、議論の終盤までこだわっているのである。

小委員会における芦田の発言

その他の小委員会における芦田の発言を見ても、芦田は単に後年主張するような意図を説明していないというにとどまらず、むしろこれとは相容れない発言を重ねている。

すでに述べたとおり、芦田自身が提案した当初試案において、戦力の不保持は1項、「国際紛争を解決する手段として」の文言は2項にあった。そして芦田は、この順序については「その人の趣味」にすぎず、試案の眼目は、戦力を「保持してはならない」とする原案の文言の修正にあることを明らかにしている。すなわち、「保持してはならない」という原案の文言は、「日本国民全体が他力で押さえ付けられるような感じを受ける」ので、これを「保持しない」と修正したい。しかし、なぜこのような修正を行うか、という点について「一応の理屈を述べなくてはならない」から、「前文のような形容詞を付けて」、「日本国民は誠実に平和を希求するが故に戦力を保持せず」*5という形にしたというのである。

「前掲の目的」の文言にかかる芦田の説明は、より直截だ。

前項のというのは、実は双方ともに国際平和を念願して居るということを書きたいけれども、重複するような嫌いがあるから、前項の目的を達するためと書いたので、つまり両方ともに日本国民の平和的希求の念慮から出ているのだ、こういう風に持っていくにすぎなかった。

「前掲の目的」とは、「国際平和を誠実に希求」 することであると明言しているのである。

つまり芦田は、当初試案の意図が「(戦力を)保持してはならない」との文言を修正する点にある旨を述べ、「前掲の目的」が国際平和の誠実な希求であることを明言していた、ということになる。

小括

以上のとおり、小委員会における芦田の言動は、単に後年主張するような意図を説明しないというにとどまらず、むしろこれと整合しないものであったことが明らかである。芦田の釈明はとるを得ず、当時芦田に後年主張するような意図はなかったものと解するべきであろう。

芦田修正と実務感覚

ここまで小委員会での議論を追いながら検討してきたが、そもそも芦田修正を根拠とした(9条2項は自衛のための戦力保持を禁じていないという)解釈論は 、本来ならば直感的にそのいかがわしさを感じとるべきものだ。

条項作成の段階で意図的に曖昧な文言の条項案を起草するなどというのは、ほとんど考えられないと言ってよいほどの例外的な行動である。曖昧な文言があれば明確化する。明確化した内容に問題があるならば条項の削除や変更を検討する。それが実務的な常識であって、自らを利する意図を秘して曖昧な条項案を作成することなどまずない。そのような行為はむしろ自らに不測の不利益をもたらす危険があるからだ。

本件で俎上にあがっているのは憲法改正案であり、これについて「利害を有する」諸外国との関係は不可避的に継続的・長期的なものとなるため、不測の不利益が生じる可能性は高くならざるを得ない。まして9条解釈にあたっては、小委員会に先立つ昭和21年6月26日の衆議院本会議において、当時の首相吉田茂が、「本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条2項において一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄した」*6と述べており、これを覆すというのであれば当然に十分な議論と説明が必要となるところである。

ところがすでに見たとおり、当の芦田自身でさえ、この点について小委員会で明示的に議論・説明を行っていないことを認めているのであり、昭和21年8月21日に開かれた衆議院帝国憲法改正案委員会においても、小委員会での審議経過について、以下のように報告するのみである。

法第9条において第1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」と付加し、その第2項に「前項の目的を達するため、」なる文字を挿入したのは戦争抛棄、軍備撤退を決意するに至つた動機が専ら人類の和協、世界平和の念願に出発する趣旨を明らかにせんとしたのであります。

第二章の規定する精神は人類進歩の過程において明らかに一新時期を画するものでありまして、我らがこれを中外に宣言するにあたり、日本国民が他の列強に先がけて正義と秩序を基調とする平和の世界を創造する熱意あることを的確に表明せんとする趣旨であります。

一読して明らかなとおり、自衛のための戦力保持の可能性にはまったく触れておらず、むしろ留保なく「軍備撤退を決意」と述べるなど、一切の軍備を廃するものと読むほうが自然な報告内容となっている。

こうしたおおまかな流れを追うだけでも、「芦田修正の真の意図」だとか、「芦田修正によって自衛戦力の保持が肯定された」だとかいった類の言説が常識から外れたものであることは明白だ。そうであるにもかかわらず、こうした言説が未だに一定の影響力を有しているあたりに、芦田の強弁の罪深さを感じずにはいられない。 

*1:これが現在の憲法9条の文言となっている。

*2:http://www.sankei.com/life/news/131109/lif1311090026-n1.html

*3:http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/090/1450/main.html

*4:昭和27年3月18日両院法規委員会での発言。

*5:強調は引用者。

*6:強調は引用者。