「君が代強制せず」はほんとうに嘘になる

国旗国歌法の制定過程で、くり返し唱えられてきた呪文がある*1

政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。

日の丸・君が代について強制はしないしこれまでと変わることはないとの印象を与える説明だ。

もちろん、実際には「これまでと変わることはない」などということはまったくなかった。同法成立の後に発出された悪名高き「10.23通達」と起立斉唱の職務命令によって、大量の不起立教員が処分され、結果的に同法成立前と状況が一変してしまったことは周知のとおりである。 

ただ、きわめて姑息なやり口ではあるが、こうした不起立教員の大量処分をもって、直ちに政府が同法の制定過程において虚偽を述べたとすることはできない。というのも、学校教育法および学校教育法施行規則に基づいて教育課程の基準として定められた学習指導要領には「入学式、卒業式においては、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」との趣旨の記載がある。そこで、教員に対しては、国旗国歌法がなくとも、かかる学習指導要領をふまえて起立斉唱の職務命令を発することができる、というのが、実は政府の立場だったからだ。つまり、もともと職員に対して日の丸・君が代にかかる義務づけはなしうるので、国旗国歌法によって運用が変わるわけではない、ということだ。

こうしたごまかしによって国旗国歌法は成立した。しかし現在その実態は、ごまかしによってなんとか保とうとした「虚偽を述べない」との姿勢さえかなぐり捨て、(教員のみならず)生徒に対しても起立斉唱を強制するに近いものとなりつつあるようだ。週刊金曜日ニュースの記事*2より引用する。

都教委は今年1月に開かれた校長連絡会と副校長連絡会で、「生徒への指導が適正か、教職員の指導状況を確認するように」と指示した。各校が作成し都教委に提出する卒業式の進行表(台本)に、「起立しない生徒がいたら司会が起立を促す」「全員の起立が確認できたら式を始める」といった記載がないと受け取ってもらえず、都教委から強い指導を受けるようになったという。

「全員の起立が確認でき」るまで式を始めないというのでは、事実上の強制であると言わねばならない。

また、式典は本番の一度きりしか行われないわけではなく、予行が重ねられるものだろう。その過程で、生徒に対して「指導」の名を借りた強制まがいの行為がなされることもある。田中伸尚『ルポ 良心と義務――「日の丸・君が代」に抗う人びと』(岩波新書、2012年)より引用する*3

それでも「君が代」を歌うみんなの声はあまり元気がなく、先生たちは「大きな声で」とくり返し、必死に歌わせようとした。教室でも、声が出ていない、小さいといわれ、放課後も練習させられた。

(略)

六年生になると、「指導」がぐんときつくなった。

歌っている声が小さいと教頭の声が飛んできた。

「もうすぐ中学一年生でしょ。だんだん大人になっていくんだから――。この歌が歌えないと一人前じゃないんだよ」

前の六年生が言われていた「君が代」が歌えないと一人前になれない、をくり返した。(略)ある日の練習では、教頭が治さんの近くまで来て大きな声で言った。「歌いなさい」「大きな声で」と。

「(君が代を)歌えないと一人前じゃない」 などと、歌わない者の人間性を否定するかのような言葉を浴びせかけ、もっと「大きな声で」歌えと放課後にまで練習をさせる。これがはたして「指導」と言えるのだろうか。

私には、このような行為は「指導」の域を超え、強制にあたると判断されうるものであるように思われる。そして、そうであるならば、当該行為は内心に干渉するものとして憲法19条との抵触という深刻な問題をはらむ。したがって、これを行った教員に対してはなんらかの処分が検討されてもよいし、少なくとも通達・通知等によって、かかる「指導」を行わないよう周知を図る程度のことはしなければならないだろう。

ところが現実には、大量の不起立教員は処分されても、こうした「指導」を行う教員が処分される例などない。むしろ週刊金曜日ニュースの上記記事などからも垣間見えるように、起立斉唱しない生徒がいることの方を問題視し、かなり強引な手段を用いてでも起立斉唱させることをよしとするような空気が、現場を包んでいる。だからこそ、教員らは上の意向を忖度し、学習指導要領や通達等で求められている以上の「指導」を行うのだとも言える。 

政府の国旗国歌法制定過程における説明には、「教師への強制はもともと可能である」との立場を極力隠すというきわめて姑息な方法によってではあったが、それでもいちおう虚偽を述べまいとする姿勢が看取できた。しかしいまや、日の丸・君が代の強制は生徒にまで及ばんとしており、「君が代強制せず」との政府の説明は、ほんとうに嘘になりつつある。正直さが蔑ろにされ、平気で嘘がまかりとおる社会は、おそろしいと思う。

inspired by tadataru 

なお、本記事はtadataruさんの以下のツイートに触発されて作成したものである。

イデオロギーがどうのこうのという手垢のついた平和教育批判にはまったく与しないが、原爆映画を見るのが本当に嫌であれば、それを拒否する自由は保障されるべきだと思う。tadataruさんを含め原爆映画の鑑賞を強制されること*4に疑問を感じる向きは、日の丸・君が代の強制についても一度考えていただければと思う。

*1:平成11年6月29日衆議院本会議における小渕恵三内閣総理大臣の発言など。

*2:生徒も「国歌斉唱」の強制対象に 都立高校教員らが抗議集会「卒業式はだれのものか」 | 週刊金曜日ニュース

*3:同書4頁以下。引用者において一部省略した。

*4:そのような事例が実際に存するかどうかは措く。