「自称中立」でした

少し前にかつて「ネット右翼」だったという琉球新報記者についての記事がありましたが、私も10代のころは、「ネット右翼」ではないにせよ、少なくとも「自称中立」とか「冷笑主義」などと批判されるタイプの人間でした。私は幸いこんにちではそうした考え方から脱却できているつもりでいますが、なぜかつては「自称中立」「冷笑主義」だったのか、またどのようにしてそこから脱却できたのか、について語ることは、現在「自称中立」「冷笑主義」などと批判されている方、あるいはこれらを批判している方などにとって多少なりとも参考になるのではないかと思い、恥を忍んでふりかえってみます。

まずなぜかつては「自称中立」「冷笑主義」だったのか。

これは責任をなすりつけるような言い方になってしまうのでとてもいやなのですが、やはり社会のせい、というのはきわめて大きいと思います。丸山眞男が「日本の思想」において指摘した「思想が蓄積され構造化されることがない」というわが国の「伝統」は、ポストモダンが告げた「大きな物語」の終焉と結びついて、極端なシニシズムをもたらしました。小説、漫画、アニメ、ドラマ、バラエティ番組、音楽、とにかくほとんどあらゆるメディアにおいて「絶対的な正義などない」というようなことが喧伝され、「正義を唱えること」にはどこか一面的で浅い見方だとして軽んじられるような雰囲気がつきまとうようになりました。現在ネット上では、「正義」を唱えるやいなや「正義の暴走」だとか「お花畑」などと「批判」される方が次から次へとわいてきます(まさに彼らの行動こそが「暴走」と評されるにふさわしいのではないかと思われることもしばしばです)。個々の「批判」の当否は措くとしても、こうした状況それ自体が、わが国においていかに「正義を唱えること」への嫌悪感が強いかを示しています。そしてこれは昨日今日にはじまったことではなく、私がこどものころからずっとそうでした。違いはその舞台がネット上ではなかったというだけです。そのような社会で育った私が、何事に対しても斜にかまえ、相対化しては悦に入る「自称中立」「冷笑主義」的な人間になることは自然であったと思います。

もう1つ、「自称中立」「冷笑主義」が、楽して賢いつもりになれる立場だから、ということもあるかもしれません。何であれ、きちんとやるというのは大変なことです。世の中でいわゆる「普通の人」が論じる問題の多くは社会科学の分野に属するものだと思いますが、社会科学系の学問においてある程度まともなことを言おうと思えば、過去の議論を参照し、自身の主張あるいは批判対象となる主張がその中でどのように位置づけられるのか、といったことを確認するのが必須の作業となります(これが、「思想が蓄積され構造化される」ということの意味です)。ところが、「自称中立」「冷笑主義」の立場をとればその必要はない。ひたすらに抽象化と相対化をくり返すことによってその主張は蓄積された議論の文脈から遊離していく。これは、少なくとも社会科学の分野においては学問的意義を失うということに他なりませんが、同時に自らには議論の蓄積がないという事実と向き合わずにすむということでもあります。そしてそのようにして吐き出された放言でも、議論の蓄積がない発言者自身にとっては、議論の蓄積をふまえたまっとうな主張との質の差は分からない。だから、それで十分なにかたいしたことを言っているような気になれる、というわけです。わざわざ個々の議論の背景について勉強したうえで批判するよりも、楽してそれっぽいことを言える「自称中立」「冷笑主義」の立場をとることも、やはり自然であったと思います。

今からふり返ってみると、私が「自称中立」「冷笑主義」であったのは、おおむねこのような理由によるのではないかな、という気がします。では私はいかにしてそこから脱却できたのか。次にこの点について語っていきたいと思います。 

私が「自称中立」「冷笑主義」から脱却できたのは、大学時代の勉強(社会科学系です)のおかげだと思います。ただし、私が完全に自由な興味にしたがって勉強をしていたとすれば脱却は難しかったでしょう。たしかに、社会科学系の学問をしっかり修めたうえで社会についてまじめに考えるならば、「自称中立」「冷笑主義」は既存の努力によって築き上げられたものへのフリーライドであり、自らは何も生み出そうとしない無責任な立場であるという結論に至ることが多いだろうとは思うのですが、では単に社会科学分野の知識を与えられれば、あるいはこれに接する機会を持てば、「自称中立」「冷笑主義」から脱却できるのかというと、自身を省みても、そう簡単なものでもないような気がするのです。クラッパーは『マス・コミュニケーションの効果』において、人々の先有傾向を変化させるのはパーソナル・コミュニケーションであって、マス・コミュニケーションは先有傾向を補強するにとどまる、と指摘しました。これは乱暴に言ってしまえば、外部(ここでは身近でない者、というほどの意味です)からどれだけ知識を与えても、それが当人にとって気に食わない内容であれば聞く耳をもたれない、ということです。それがいかなる帰結をもたらすか、分かりやすく示した記事がこちら。自身の見解を補強する情報ばかりを収集し、批判は無視する。これではとうてい学びとは言えません。ここまで極端でないとしても、自由な興味にしたがって勉強すれば、どうしても知識は自身の見解に合致するものに偏りがちになるし、そうでない知識についても批判の材料として受け取られることが多くなるでしょう。しかし、批判の材料として受け取られるとはつまり、知識が手段として断片化されるということです。すでに述べたところからも明らかなとおり、社会科学系の学問を修めるとはつまりその体系(=蓄積された議論とその構造)を理解するということですので、断片的な知識をどれだけ収集しても、社会科学系の学問についての理解が深まるということは、残念ながらあまりないように思います。私の場合は、大学に入ってからある資格をとることを決め、その資格取得のためにある社会科学系の学問を修めなければならなかったので、否応なく体系的な知としてのそれに向き合うこととなったのがよかったのでしょう。

なぜかつては「自称中立」「冷笑主義」だったのか、またどのようにしてそこから脱却できたのか、ということについてお話ししてきました。最後に、関連するはてな用語について一言。はてなには、「たましいがわるい」という言葉があるようです。その語をめぐる議論をリアルタイムで追っていたわけではないので合っているかどうか不安ですが、私はこれを、「どれだけ前提知識を与えても、平易な言葉で説明しても、理解しない(できない、ではない)人はいる。その種の人の不理解は、結局のところ当人の心性に起因するのだ」ということをいうものだと理解しました。そのような趣旨であるとすれば、これはかなりの程度おっしゃるとおりだな、と思います。私自身の活発でないブログ運営においてさえ、そのように感じることは何度かありました。ただ同時に、「どれだけ前提知識を与えても」という点には、留保が必要だとも思います。その知識が断片的である、あるいは断片的なものとして受け取られる限りにおいては、たしかにどれだけ与えても意味がないかもしれません。しかし、体系的な知、学問の一部としての知識であれば、それは相手の心性をも変化させ理解に導く可能性があるような気がします。少なくとも私はそうだったのですから。もちろん、そのようなものを、そのようなものとして、相手に受け取ってもらう、というのがきわめて難しいということもすでに述べたとおりですが。私自身も失敗ばかりですし、人にものを伝えるのは本当に難しいな、と思います。とりとめもなくなってきたので、このあたりで。なにかの参考になればうれしいです。