等身大の公民権運動

エヴァ・デュヴァネイ監督『グローリー/明日への行進』(2014年公開)を見た感想を記す。内容への言及を含む。

グローリー/明日への行進 [DVD]

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黒人の選挙権をめぐるセルマでの運動から、公民権運動の集大成とも言うべき1965年の投票権法成立までを描く。

公民権運動の指導者キング牧師は、高潔な人物として描かれがちである。それは無論誤りではないが、しかし彼も人間である以上、いついかなるときも清く正しく生きられたわけではない。家庭内の不和に苦悩し、投獄に弱音をもらし、かつて悪しざまに罵られたマルコムXへのわだかまりを吐露し、山積する困難に直面して困憊する。キングも一人の弱い人間なのである。そんな彼の指導する運動もまた、清く正しいばかりのものではない。運動内部での意見対立もあれば、他団体との縄張り争いもある。運動の中では警官による暴力にさらされ、ときには死亡する者もあり、しかも悲しいことに、それらの「犠牲」は運動に必要なものとして織りこみずみでさえある。彼の運動は、たとえば悪名高いユージン"ブル"コナーや本作にも登場したジム・クラークなどのような差別主義者による暴虐と非暴力とを対置することによって、注目と支持とを取りつけようとするものだからだ。それはある意味で残酷なことであるが、それでも黒人たちは、自らの運命をその手に取り戻すために立ち上がり、そしてそれを勝ち取った。本作はそうした等身大のキング牧師公民権運動とを見事に描ききった佳作である。

ただし、さすがに本作の邦題については苦言を呈しておきたい。「グローリー」は本作のクライマックスでキングが連呼する「グローリー・ハレルヤ」からとったものであろうが、南北戦争を勇敢に戦ったアメリカ合衆国初の黒人部隊を描くエドワード・ズウィック監督『グローリー』(1989年公開)という超有名作品がある以上この語を安易に用いるのはどうかと思うし、なによりも「明日への行進」という副題である。上記のとおり、本作が扱うのはセルマの行進なのだが、このような副題を付けられれば、ほとんどの者が「私には夢がある」の演説であまりにも有名なワシントン大行進を思い浮かべると思われ、ある種詐欺的ですらある。原題『Selma』をそのままカタカナ表記にした方がよほどよかったのではないか。