国民主権とリベラル(4)

ロールズの理論の背後にあるものと、「国民主権」の意味について説明しました

ロールズの理論の背後にある「何人も、偶然与えられたいかなる有利な条件についてであれ、これを排他的に保持する正当な根拠を有しない」という考え方を多くのリベラルは支持している。一方で、やはり多くのリベラルが支持している国民主権およびその前提としての国民国家という枠組みは、偶然にも国民という属性を有する者にのみ(=排他的に!)国政についての最高決定権を与えるものです。突き詰めていったときに、はたして両者を整合的に解釈することはできるのでしょうか。この点は私の専門外なのであまりふみこみませんが、おそらくいわゆるリベラル・コミュニタリアン論争などとも関連して微妙な問題をはらんでいるのではないかと思います。詳しい方にお話をうかがってみたいところです。

ともあれ、国民主権という考え方は国民のみに国政についての最高決定権を与えているのですから、その決定に対する責任もまた国民のみが負うことになります。ここにおいて国政とは、当該国家の国民が自ら選択しその責任を引き受けるべき、いわば「(当該国家の国民にとっての)自分自身の問題」なのです。そしてそれは、他国の問題についてはその国の国民自身が決定し責任を負うべき「他人の問題」であるという考え方と表裏をなすものです。

リベラルは日本政府に対してはうるさいのに外国の問題にはだんまりだ、という人がいます。私はそうした事実認識自体が必ずしも正しくないと思っていますが、仮にそんな傾向があるとすれば、その理由の一端はリベラルの多くが国民主権という考え方を支持していることに求められるのではないでしょうか*1

参考文献

芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第6版、2015年) 

加茂利男・大西仁・石田徹・伊藤恭彦『現代政治学』(有斐閣、第3版、2007年)

*1:もちろん、あくまでも「一端」であって、それに尽きるものではないでしょうが。