川崎市新条例の明確性について

前回に引き続いて、ヘイトスピーチへの対策等を定めた川崎市の新条例*1についてお話しします。今回は、本条例12条の明確性について簡単に検討したいと思います。

憲法31条が保障する罪刑法定主義は、刑罰法規が明確であることを要求します。

予め罪となるべき事項を明確に告知することによって、国家による恣意的な処罰を防ぎ、また国民において(問題のない行為についても「これは罪となるかもしれない」と考えて控えてしまうといった)無用な萎縮が生じることを防ぐためです。

もっとも、刑罰法規は不特定多数人を名宛人とした一般的な規範ですから、その内容がある程度抽象的になってしまうことは避けられません。そこで判例*2は、刑罰法規に求められる明確性について以下のように述べています。

ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

これは、デモ行進を行おうとする者に対し、「交通秩序を維持すること」その他の事項を守らなければならないとしたうえで、これに違反した者に刑罰を科することを定めていた徳島市公安条例の合憲性が問題となった事件です。

ここに「交通秩序を維持すること」とはかなり抽象的で不明確ではないかとも思われるところですが、この点について判例は、上記の判断基準を示したうえで、大要次のように述べて憲法31条には反しないとしました。すなわち、「交通秩序を維持すること」とは、一般的な集団行進等に随伴する程度を超え殊更な交通秩序をもたらすような行為を避けるべきことを命じるものであり、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において自己の行為が殊更な交通秩序の阻害をもたらすものかどうか判断することに、通常さほどの困難はないはずだとしたのです。

さて、判例において要求される明確性というのがこの程度のものであるということを念頭において、本条例を見てみましょう。

第12条 何人も、市の区域内の道路、公園、広場その他の公共の場所において、拡声機(携帯用のものを含む。)を使用し、看板、プラカードその他これらに類する物を掲示し、又はビラ、パンフレットその他これらに類する物を配布することにより、本邦の域外にある国又は地域を特定し、当該国又は地域の出身であることを理由として、次に掲げる本邦外出身者に対する不当な差別的言動を行い、又は行わせてはならない。
(1) 本邦外出身者(法第2条に規定する本邦外出身者をいう。以下同じ。)をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知するもの
(2) 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知するもの
(3) 本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱するもの

本条例において刑罰の対象となり得るのはこの12条に規定する行為なのですが、ここでは以下の3つが掲げられています*3

  • 本邦外出身者をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知する
  • 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知する
  • 本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱する

いずれも具体的な行為が規定されていることが分かると思います。なお、ここに「本邦外出身者」とは、いわゆるヘイトスピーチ解消法*42条に規定する「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」のことです。

この規定の明確性は、ヘイトスピーチ解消法と比較すると分かりやすいかもしれません。同法は、その3条において、「国民は、……本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない」と定めており、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」については2条で次のように定義しています。

(定義)
第2条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

一見すると似ているように感じるかもしれませんが、この法律では危害の告知や著しい侮蔑は単なる例示にとどまるものであり、定義としては、「本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」ということになります。

もとより、ヘイトスピーチ解消法は理念法であり、違反者に対する刑罰を予定するものではありません。したがって、刑罰法規と同等の明確性が要求されるわけでもなく、あえてこうした定義をとっている面があるのですが、ともあれ、仮にこの定義を本条例が刑罰規定に関する部分で採用していれば、「地域社会から排除」とは具体的にどのような行為を指すのかが分かりにくく、不明確であると評する余地もあったかもしれません。

しかし本条例は、随所においてヘイトスピーチ解消法を意識しつつも、刑罰規定に関する部分では「地域社会から排除」といった抽象的な表現を排し、禁止対象を具体的な行為として規定しました。この結果、本条例12条は、明確性の点では、問題のないものになっていると評してよいでしょう。

以上、今般成立した川崎市の条例12条の明確性についての考察でした。

*1:川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例。

*2:最大判昭和50年9月10日(刑集29巻8号489頁)。

*3:柱書部分については、規制態様等について論じる際に言及します。

*4:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律。