記事非公開化のお知らせ

本日午後9時51分に、京都新聞の広告についての千住博の声明文を紹介する記事(以下、「本件記事」といいます)を公開しましたが、午後11時30分に再び同声明文が掲載されていたウェブサイトにアクセスして声明文を確認したところ、(大意としては同じであるように思えましたが)文章が全面的に改められていました。

今後も声明文の文章に変更が加えられたり削除されたりする可能性が否定できませんので、本件記事は当面非公開とします。いちおう「当面」ということにしておきますが、おそらく再公開はしないと思います。

関西テレビの放送倫理違反について

はじめに

BPOが、女性作家の差別的な発言を編集でカットすることなく報道した関西テレビの番組について、放送倫理違反があったと認定する意見を公表した旨の報道に接しました。

韓国人への差別的発言は「放送倫理違反」 BPOが意見:朝日新聞デジタル

本件については、問題とされた「手首切るブスみたいなもん」との発言に関し、韓国人でなく韓国という国に対するものであったとする主張があるようです。当該発言は単に国の政治姿勢を批判しただけだ(からセーフだ)というわけです。そこで本記事では、BPO放送倫理検証委員会の「関西テレビ胸いっぱいサミット!』 収録番組での韓国をめぐる発言に関する意見」*1(以下、「BPO意見」といいます)に基づいて発言に至る経緯等を確認することを通じて、かかる主張の当否を検討したいと思います。

発言に至る経緯等

「手首切るブスみたいなもん」という発言は、当該番組の2019年4月6日放送回と同年5月18日放送回の2回にわたって行われています。このうち、特に5月18日放送回のやりとりが分かりやすいので、BPO意見の認定に基づいて紹介します。

5月18日放送回では、韓国国会議長が改元に際し新天皇に送った祝電が槍玉にあげられました。祝電の中には天皇訪韓を期待する旨の記載があったのですが、このことがかつて同議長が慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要だと述べたことと結びつけて問題とされたのです。曰く、「文面が思い上がっている」「祝電は送り返すだけでなく、悲惨な目にあわせないと駄目だ」云々。

本題から外れますが、当然のことながら、その祝電は、新元号である「令和」が意味する美しい調和の実現や韓日関係の発展等を願う内容で、なんら攻撃的なものではありませんでした(友好の象徴として天皇訪韓を期待することも、少なくとも攻撃的であると評価されるようなものとは全く言えないでしょう*2)。また同議長は上皇に対しても「韓国に対し、痛みに寄り添い和解と協力を強調されてこられたことに感謝する」旨の電報を送ったということです*3。こうして示された祝意に対して、感謝するどころか「文面が思い上がっている」などと非難を浴びせ、「祝電は送り返すだけでなく、悲惨な目にあわせないと駄目だ」とまで述べるのは、あまりにも品位を欠く行為だと思います。

ともあれ、このような話の流れを受けて、番組MCが女性作家に「Xさん、ご主人が韓国の方ということで韓国人気質というのはよく分かっていると」と話を振ります。これに対して女性作家が、「いやー、こないだも言いましたけど、とにかく手首切るブスみたいなもんなんですよ。手首切るブスというふうに考えておけば、だいたい片づくんですよ」と述べた。これが発言に至る経緯です。なお、参考までにBPO意見の該当箇所を引用しておきます。

VTRは、「慰安婦問題の解決には天皇(注:現在の上皇)の謝罪が必要だ」「その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか」などと主張して上皇への謝罪を要求していた文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長が、改元の際、謝罪要求から一転、日韓関係の発展と天皇陛下訪韓に期待を示す祝電を送ったことなどを説明する。

これに対して、出演者の女性タレントが「文面が思い上がっている。韓国に送り返せばいい」と“クレーム”を述べてスタジオトークが始まる。 この女性タレントは「戦争犯罪の主犯の息子と呼んでね、(元慰安婦の)おばあさんの手をとって謝罪すれば慰安婦問題は解決されるなんて言ってね」と口火を切る。男性タレントも、天皇に戦争責任がないというのが日本の立場であり、天皇に謝罪しろというのは内政干渉である、祝電は送り返すだけでなく、悲惨(ヒサン)な目にあわせないと駄目だ、などと応じる。

ここで、MCがX氏に「Xさん、ご主人が韓国の方ということで韓国人気質というのはよく分かっていると」と話を振る。これに対してX氏は、動作を交えながら、「いやー、こないだも言いましたけど、とにかく手首切るブスみたいなもんなんですよ。手首切るブスというふうに考えておけば、だいたい片づくんですよ」と語る。 

韓国か韓国人か

ここで重要なのは、問題の発言が番組MCの「ご主人が韓国の方ということで韓国人気質というのはよく分かっていると」との「フリ」 を受けてなされたものだったということです。発言が国の政策に対してなされたものであるならば、「ご主人」という個人は何の関係もないはずです。さらに番組MCは明確に「韓国人気質」というものに言及して話を振っています。これで「韓国人」でなく「韓国」についての話をするのは、やりとりとして明らかにチグハグであるというべきでしょう。BPO意見も、以下のように述べて問題の発言は韓国(の外交姿勢)に対してなされたものにすぎないとする主張を退けています。

発言は、韓国のことを「手首切るブスみたいなもん」というものであり、「手首切る」と「ブス」という2つの言葉をもって例える内容であった。そして、その発言が「外交姿勢の擬人化」にとどまらず、広く韓国籍を有する人々などを侮辱する表現であって、公共性の高いテレビ番組では放送されるべきではなかった(略)。 

おわりに

結局、問題の発言が韓国人でなく韓国という国に対するものであったなどとする主張は、明らかに無理のある、単なる言い訳にすぎないと見てよいと思います。関西テレビには、BPOの意見を真摯に受け止め、改善に努めてもらいたいところです。

*1:2020年1月24日放送倫理検証委員会決定第32号。

*2:人によっては不躾だと感じるくらいのことはあるのかもしれませんが(なお、私自身はそのようには感じません)。

*3:https://www.sankei.com/world/news/190501/wor1905010017-n1.html

離婚後共同親権について

離婚後共同親権(以下、単に「共同親権」といいます)についての以下の記事に接しました。

リベラルのための離婚後共同親権に関する説明 - 誰かの妄想・はてなブログ版

正直なところ、共同親権を主張している方がどのような考えを持っているのかということについては、よく分からない部分もあります。scopedogさんは信頼できる論者だと思っているので、説明の記事を精力的にものしてくださるのはありがたいです。

上記記事については、「漏れがあれば、別途追加していくつもり」とのことなので、追加の際にいくらかでもとりあげられることを期待して、私が共同親権の主張について気になっているところをまとめておきます。

そもそも親権とは何か。

ご承知のとおり親権については民法818条以下に規定があります。それらを読むと、親権とは大ざっぱに言えば次の2つの権利だということが分かると思います。

  • 子の監護・教育等を行う権利(民法820条ないし823条)
  • 子の財産を管理し、これに関する法律行為について子を代表する権利(民法824条)

共同親権の主張とはつまり、これらの権利行使を両親が共同して行うべきだとするものであると理解しています。しかし、権利行使を「共同して行う」ということは、一方の親だけで勝手に行えないということでもあります。現実問題として、共同親権とは言っても一方の親は子と離れて暮らざるを得ませんが、いちいち離れて暮らす親と相談のうえ共同して親権を行うのは、たとえ良好な関係であってもかなり煩瑣なように思えます。加えて、離婚にまで至るような場合、両親の関係はむしろ険悪であることの方が多いでしょう。そのようなときに、一方の主張に対して他方が感情的なしこりから常に強硬に反対するために親権を行うことができない事態に陥るという懸念は、相当強く存するように思われます。

さらに、子の監護・教育等を行う権利については、そもそも離れて暮らす親に関わらせることが妥当なのかという問題もあるでしょう。監護・教育の主なものとしては身の回りの世話やしつけなどが想定されます。こうしたことを離れて暮らす親が適切に行うことは難しく、基本的には子と生活をともにしている親に任せるべきではないかとも思われるところです。

私が共同親権についてまず気になるのはこうした点です。共同親権を主張する方には、こうした点についてどのように考えておられるのかということを説明してもらいたいです。またこのことと関連しますが、共同親権を主張する方が、具体的にはいったいどのような形での関与を想定しておられるのかという点も、よく分かりません。あくまでも私の印象になってしまいますが、大半の方は、「連れ去り親」を槍玉にあげて、「非親権者は一方的に子を奪われ、会うことさえ許されない。共同親権にすれば面会の機会も確保されるのだ」といった類の主張しかされていないように思います。言うまでもないことですが、面会交流は親権とはまた別の話です。この点について状況を改善したいというだけでは、共同親権を主張する十分な理由にはなりません。面会交流だけを問題にしているわけではないということであれば、現状のどのような点に足らざるところを感じており、それを共同親権によって具体的にどう改善しようとしているのか(≒いかなる場面においてどのように子と関わることを想定しているのか)、ということを説明してもらいたいです。

以上、共同親権の主張について私が気になっているところをまとめました。多少でも参考にしていただければ幸いです。

センター試験当日を狙って痴漢するのは当然

試験時間に遅れることができない受験生を狙って痴漢をしようと呼びかける輩がいるそうで。

センター試験 受験生を痴漢から守れ! | NHKニュース

私個人は心底下劣だと思いますが、しかし考えてみれば今日の社会が持て囃す「絶対的な正義/悪などない」「人の数だけ正義はある」といった類の思想(笑)から導かれる当然の帰結かもしれません。

「絶対的な正義/悪などない」のだとすれば、当然ながら痴漢についても悪だと決めつけられる謂れはありません。「人の数だけ正義はある」のならば、痴漢行為も人助けも、道義的には等価というべきでしょう。

痴漢は犯罪だから許されない? 犯罪かどうかを決めるのは多数派によって制定される法律です。それは今日の社会が持て囃す思想(笑)からすれば多数派の正義にすぎません。他者の権利を侵害する行為だから許されないという類の主張もほぼ同じです。そもそも保護されるべき権利とは何かということ自体が多数派の価値観によって決せられるものですし、その権利を具体的に保障するための法律も、上記のとおり多数派が制定するものだからです。

結局、今日持て囃されている思想(笑)からすれば、痴漢行為は特段恥じるべきものでも糾弾されるべきものでもなく、その行為が抑止されるのはただこれに対して刑罰が定められているからにすぎません。もう少しわかりやすく言い換えるなら、「悪いことだから」しないのではなく、「罰を受けるのが嫌だから」しないというだけなのです。こうした発想の手合いが、時間に遅れることができず被害を訴える可能性の低いセンター試験当日の受験生を狙って痴漢を行おうとするのは、当然のことだと言えるでしょう。

社会として一定程度「何が良くて何が悪いか」ということについての価値観を共有していないと、人びとは恥の感覚を失います。そして恥の感覚を失った人びとは、自制することがなくなり、ただ強制力を伴う法によってしか統制できなくなるでしょう。そのような社会はあまりにも浅ましいと私は思いますし、常に人びとを監視して完全な取締りを行うことなど不可能である以上、自制を期待できる社会よりはるかに治安が悪くなることも確実です。それで本当によいのかということを、もう大分手遅れの感がありますが、一度まじめに考えてみるのもよいかもしれませんね。

川崎市新条例の明確性について

前回に引き続いて、ヘイトスピーチへの対策等を定めた川崎市の新条例*1についてお話しします。今回は、本条例12条の明確性について簡単に検討したいと思います。

憲法31条が保障する罪刑法定主義は、刑罰法規が明確であることを要求します。

予め罪となるべき事項を明確に告知することによって、国家による恣意的な処罰を防ぎ、また国民において(問題のない行為についても「これは罪となるかもしれない」と考えて控えてしまうといった)無用な萎縮が生じることを防ぐためです。

もっとも、刑罰法規は不特定多数人を名宛人とした一般的な規範ですから、その内容がある程度抽象的になってしまうことは避けられません。そこで判例*2は、刑罰法規に求められる明確性について以下のように述べています。

ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

これは、デモ行進を行おうとする者に対し、「交通秩序を維持すること」その他の事項を守らなければならないとしたうえで、これに違反した者に刑罰を科することを定めていた徳島市公安条例の合憲性が問題となった事件です。

ここに「交通秩序を維持すること」とはかなり抽象的で不明確ではないかとも思われるところですが、この点について判例は、上記の判断基準を示したうえで、大要次のように述べて憲法31条には反しないとしました。すなわち、「交通秩序を維持すること」とは、一般的な集団行進等に随伴する程度を超え殊更な交通秩序をもたらすような行為を避けるべきことを命じるものであり、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において自己の行為が殊更な交通秩序の阻害をもたらすものかどうか判断することに、通常さほどの困難はないはずだとしたのです。

さて、判例において要求される明確性というのがこの程度のものであるということを念頭において、本条例を見てみましょう。

第12条 何人も、市の区域内の道路、公園、広場その他の公共の場所において、拡声機(携帯用のものを含む。)を使用し、看板、プラカードその他これらに類する物を掲示し、又はビラ、パンフレットその他これらに類する物を配布することにより、本邦の域外にある国又は地域を特定し、当該国又は地域の出身であることを理由として、次に掲げる本邦外出身者に対する不当な差別的言動を行い、又は行わせてはならない。
(1) 本邦外出身者(法第2条に規定する本邦外出身者をいう。以下同じ。)をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知するもの
(2) 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知するもの
(3) 本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱するもの

本条例において刑罰の対象となり得るのはこの12条に規定する行為なのですが、ここでは以下の3つが掲げられています*3

  • 本邦外出身者をその居住する地域から退去させることを煽動し、又は告知する
  • 本邦外出身者の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを煽動し、又は告知する
  • 本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱する

いずれも具体的な行為が規定されていることが分かると思います。なお、ここに「本邦外出身者」とは、いわゆるヘイトスピーチ解消法*42条に規定する「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」のことです。

この規定の明確性は、ヘイトスピーチ解消法と比較すると分かりやすいかもしれません。同法は、その3条において、「国民は、……本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない」と定めており、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」については2条で次のように定義しています。

(定義)
第2条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

一見すると似ているように感じるかもしれませんが、この法律では危害の告知や著しい侮蔑は単なる例示にとどまるものであり、定義としては、「本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」ということになります。

もとより、ヘイトスピーチ解消法は理念法であり、違反者に対する刑罰を予定するものではありません。したがって、刑罰法規と同等の明確性が要求されるわけでもなく、あえてこうした定義をとっている面があるのですが、ともあれ、仮にこの定義を本条例が刑罰規定に関する部分で採用していれば、「地域社会から排除」とは具体的にどのような行為を指すのかが分かりにくく、不明確であると評する余地もあったかもしれません。

しかし本条例は、随所においてヘイトスピーチ解消法を意識しつつも、刑罰規定に関する部分では「地域社会から排除」といった抽象的な表現を排し、禁止対象を具体的な行為として規定しました。この結果、本条例12条は、明確性の点では、問題のないものになっていると評してよいでしょう。

以上、今般成立した川崎市の条例12条の明確性についての考察でした。

*1:川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例。

*2:最大判昭和50年9月10日(刑集29巻8号489頁)。

*3:柱書部分については、規制態様等について論じる際に言及します。

*4:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律。

川崎市新条例はなぜ日本人へのヘイト(笑)を罰しないのか

はじめに

前回に引き続いて、ヘイトスピーチへの対策等を定めた川崎市の新条例*1についてお話しします。

周知のとおり、本条例が刑事罰の対象としているのは「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動です*2。今回は、「なぜ本邦外出身者への言動だけが対象なのか」という点について説明したいと思います。

立法に際して注意するべき点

まず前提として、立法をするに際しては次の2点(だけでもないのですが)に注意する必要があります。
1点は関連法令との整合性に意を用いること。そしてもう1点は、立法事実による裏づけを確保することです。

2点目については、少し説明しないと分かりにくいかもしれませんね。立法事実とは、ある法の立法目的およびそれを達成する手段の合理性を裏づける社会的・経済的・文化的な一般事実のことです*3。大変おおざっぱな言い方をしてしまえば、次のようなことです。すなわち、ある法を制定するためには、そうした法がぜひとも必要だと言えるような社会状況にあることが求められる。ここで、「そのような社会状況にあること」が立法事実である、というイメージです。立法事実がないのに、法を制定して人びとの権利を制約してしまうことは許されません。

関連法令との整合性

ヘイトスピーチ解消法

たとえば、いわゆるヘイトスピーチ解消法を見てみましょう。同法は、正式名称を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」といいます。この正式名称からも分かるように、同法は少なくとも一次的には、「本邦外出身者」に対する差別の解消を目指すものです。

ところで、この「本邦外出身者」については同法2条に定義があり、「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」をいうとされています。同法の審議過程では、このような定義だとアイヌ民族等が「本邦外出身者」に含まれないこととなり、こうした者への差別を容認するものとも読まれかねないとの問題意識に基づくものと思われる指摘が、共産党の仁比聡平からなされました。これに対して、発議者の一人である自民党西田昌司は次のように答えています*4

まず、いわゆるこのヘイトスピーチですけれども、現在も問題となっているヘイトスピーチ自身は、いわゆる人種差別一般のように人種や人の肌とかいうのではなくて、特定の民族、まさに在日韓国・朝鮮人の方がターゲットになっているわけですよね。ですから、そういう立法事実を踏まえて、この法律に対して対象者が不必要に拡大しないように、立法事実としてそういう方々が中心となってヘイトスピーチを受けているということで、本邦外出身者ということを対象として限定しているわけでございます。

ここにおいて西田は、同法(案)が在日韓国・朝鮮人ヘイトスピーチの標的になっているという立法事実をふまえて対象を本邦外出身者に限定した旨を明言しています。そして同法は、附帯決議において、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであることが確認されたものの、「本邦外出身者」という文言やその定義については、一切変更を加えられることなく成立しました(なお、附帯決議がなんらの法的拘束力も有しないのは周知のことかと思います)。

以上のとおり、ヘイトスピーチ解消法は、在日韓国・朝鮮人に対する深刻な被害が発生しているという立法事実をふまえて、対象を「本邦外出身者」への差別に限定したものだったのです。

川崎市新条例

そして、今般成立した川崎市の新条例が、このように対象を「本邦外出身者」への差別に限定したヘイトスピーチ解消法をふまえたものであることは明らかです。

本条例では、「不当な差別的言動」や「本邦外出身者」といった重要な用語についてヘイトスピーチ解消法の定義に従っていますし*5、本条例11条ではより直截に、市が「法4条2項に基づき」*6市の実情に応じた施策を講ずることにより、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消を図る旨を規定しています。

こうしたヘイトスピーチ解消法と本条例との関係性に照らせば、本条例がひとまず刑事罰の対象をヘイトスピーチ解消法に倣って「本邦外出身者」への一定の差別的言動に限定したのは、自然なことと言ってよいでしょう。

立法事実

さらに、本条例を制定した川崎市には在日コリアンの集住地域があり、彼らを標的としたヘイトデモがくりかえされてきたという経緯もあります。

たとえばヘイトスピーチ解消法が成立*7するまでの3年間を見てみると、平成25年に3回、平成26年に4回、平成27年に3回のヘイトデモが、川崎市で行われているようです*8

さらに最近でも、平成30年6月、在特会*9の元会長桜井誠通名)を党首とする日本第一党の最高顧問瀬戸弘幸が立ち上げた団体が川崎市の教育文化会館で集会を開こうとし、反対する市民らとの間で激しいもみ合いになった事案があります*10。なお、この団体は、その後同年12月*11、翌平成31年2月*12にも差別的言動を行わないよう同市から「警告」を受けながら、同市の公の施設において集会を開いています。

このように、川崎市は他所と比べても特に本邦外出身者の被害が深刻な自治体なのです。今回の条例は、こうした立法事実に鑑み、特に「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動に限って、刑事罰の対象としたものと考えられます。

言うまでもないことですが、本条例は表現の自由憲法21条1項)に対するかなり強度な制約です。ですから、その対象となる行為はできるだけ限定する必要があります。そうした見地からすれば、刑事罰の対象となる行為を「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動に限ったのはむしろ自然で、立法事実が存するわけでもない者に対する言動まで対象としていれば、それこそ違憲の疑いが濃くなっていたでしょう。日ごろ「君の意見には反対だがそれを主張する権利は命をかけて守る」とおっしゃっているような方々は、「日本人に対する差別表現*13の自由までは制約されなかった」と喜ぶべきところだと思います。当然のことですが、念のため。

まとめ

本条例が「本邦外出身者」への(一定の)言動のみを刑事罰の対象としている理由は、以上のとおりです。まとめると、

  • ヘイトスピーチ解消法が対象を「本邦外出身者」への差別に限定していることとの整合性
  • 川崎市において、特に「本邦外出身者」が深刻な被害を受けているという立法事実

の2点ということです。

本条例の附帯決議について(蛇足)

蛇足ながら、最後に本条例の附帯決議について軽くコメントしておきます。

本条例では、自民党から附帯決議案が出されており、その中には当初次のような文言がありました*14

本邦外出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、本邦外出身者のみならず、日本国民たる市民に対しても不当な差別的言動が認められる場合には、本条例の罰則の改正も含め、必要な施策及び措置を講ずること。

これは、以下のように修正されたうえで可決されました。

本邦外出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、本邦外出身者以外の市民に対しても、不当な差別的言動による著しい人権侵害が認められる場合には、必要な施策及び措置を検討すること。

修正は主に3点。

まず、当初は「不当な差別的言動が認められる場合には……措置を講ずる」とされていたのが、「不当な差別的言動による著しい人権侵害が認められる場合には……措置を検討する」と改められた点。これは、立法事実としてきちんとしたものを求めるという趣旨でしょう。

次に、当初は「本条例の罰則の改正も含め、必要な施策及び措置を……」とされていたところ、「本条例の罰則の改正も含め」との文言が削除された点。これは上記のとおり表現の自由に対する強度の制約となる罰則については、慎重に臨む必要があるとの考慮に基づくものでしょう。

そして最後に、「日本国民たる市民」が「本邦出身者以外の市民」に変更された点。この変更の意味するところは、本記事を読んでこられた方なら容易に了解できると思います。修正後の文言は、ヘイトスピーチ法解消法の制定過程において問題となった「アイヌ民族等への差別」を明確にフォローしているのです。

これらの修正は、おおむね妥当なものだと思います。特に「日本国民たる市民」から「本邦出身者以外の市民」への修正は良いですね。すでに指摘した「アイヌ民族等への差別」のフォローという点で良いのはもちろんですが、感覚的にも、「日本人差別」という類の言葉は、一部の人びとによって反差別をくさしマイノリティを攻撃する道具に貶められてしまっている印象があるので、そうした言葉を避けているという点でも気分が良いです。

*1:川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例。

*2:本条例12条ないし14条、23条、24条。

*3:芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第5版、2011年)372頁参照。

*4:平成28年4月19日参議院法務委員会における発言。

*5:本条例2条、12条参照。

*6:なお、ここに「法」とはヘイトスピーチ解消法を指します。本条例2条参照。

*7:平成28年5月26日。

*8:前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体 ―共犯にならないために―』(三一書房、2019年)15頁の「川崎市のヘイト・スピーチ関連略年表」を参照しました。

*9:在日特権を許さない市民の会

*10:https://www.kanaloco.jp/article/entry-31089.html

*11:https://www.kanaloco.jp/article/entry-39949.html

*12:https://www.kanaloco.jp/article/entry-149154.html

*13:(笑)。

*14:なお、附帯決議案については、当初のもの、修正後のものともに、自民党川崎市議会議員矢沢たかお公式サイトの記事「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例の制定について④」(https://yazawa-t.jp/kawasakishijinkenjyourei-4/ )中で紹介されているものを参照しました。

川崎市新条例と罰則のない禁止規定について

川崎市で、ヘイトスピーチ等への対策を定めた条例が成立しました。

差別根絶条例が成立 全国初、ヘイトスピーチに刑事罰 | 政治・行政 | カナロコ by 神奈川新聞

本条例が注目を集めているのは、なんと言っても日本で初めてヘイトスピーチへの刑事罰を規定したという点でしょう。その点についてはおって考察するとして、まずは「罰則はないけれど禁止」を定めた部分について簡単にコメントしておきたいと思います。具体的に言うと、本条例5条についてです。

(不当な差別的取扱いの禁止)
第5条 何人も、人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的指向性自認、出身、障害その他の事由を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならない。

同条では、「何人も、……不当な差別的取扱いをしてはならない」と規定されています。
これはそれなりに意味のある点だと私は思っていて、たとえば本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(いわゆるヘイトスピーチ解消法)3条と比較すると分かりやすいかもしれません。

(基本理念)
第3条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。

違いが分かるでしょうか。
簡単に言えば、「してはならない」と「努めなければならない」の違いです。
ヘイトスピーチ解消法においても、(罰則は設けないにせよ、)「不当な差別的言動をしてはならない」ことをきちんと言明するべきではないかとの指摘はかなり強くなされたのですが、結局は与党側の主張が押し通され、「努めなければならない」とする現在の同法3条の形になったという経緯がありました*1
今回はこの点について、「不当な差別的取扱いをしてはならない」とはっきり言明する、禁止規定の形がとられたのです。

もっとも、本条例5条の違反に対する罰則は設けられていないので、同条が規定する「不当な差別的取扱い」をしても罰せられることはありません。それではどのような点に影響が生じうるのかというと、ヘイト集会等のための公の施設の利用拒否などがその主なものではないかと思います。

刑罰の対象となり得る本条例12条に規定された行為がなされる危険性が高い場合、もちろん公の施設の利用は拒否されることになるでしょう。しかしそのような限られた場合にとどまらず、たとえ罰則はないとしても、本条例5条が明確に「不当な差別的取扱いをしてはならない」と宣言した以上、こうした「してはならない」行為のために公の施設を利用すること自体が目的外利用であるという余地も生じるはずです。また、施設の管理条例等で申請拒否事由として定められていることの多い「公の秩序をみだすおそれ」などがあるともいいやすくなるでしょう。

たとえば本条例の制定された川崎市に関して言うと、すでに公の施設の利用許可についてのガイドライン*2が策定されています。

ガイドラインでは、公の施設の利用を不許可とできるのは、「当該施設利用において、不当な差別的言動の行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合(言動要件)」であり、かつ「その者等に施設を利用させると他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険のあることが客観的な事実に照らして明白な場合(迷惑要件)」に限られるとされています。

しかし今般、本条例は「不当な差別的取扱いをしてはならない」ということを明言したわけです。そうすると、不当な差別的言動の行われるおそれが具体的に認められるにもかかわらず施設利用を許可するということは、自らが管理する施設を自らがしてはならないと宣言している(=禁止している)行為のために提供するということにもなりかねないところです。そのような態度は、二律背反的なものとして混乱を招くのではないか。他の利用者に迷惑を及ぼすか否かにかかわらず、不当な差別的言動がなされるおそれが具体的に認められるのであれば、施設利用を不許可とするべきなのではないか。つまり、不許可の要件から「迷惑要件」を削除し、「言動要件」のみとするべきではないか。こういったことが問題となり得るように思われます。

川崎市より後に策定されたガイドラインの中には、たとえば京都府の「京都府公の施設等におけるヘイトスピーチ防止のための使用手続に関するガイドライン」のように、「迷惑要件」に該当する要件を設けていないものもあります。そのような事実をふまえたとき、本条例の成立を受けて、川崎市ガイドラインが今後どのように運用されるのかということは、それが改訂されるのか維持されるのかといった点も含めて、注意深く見守る必要があるでしょう。

以上、今般成立した川崎市の条例に寄せて、まずはある種周辺的な部分についてのコメントでした。

*1:たとえば、平成28年4月26日参議院法務委員会における議論などを参照してください。

*2:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律に基づく「公の施設」利用許可に関するガイドライン