規範と向き合う

 id:dlit さんの以下の記事に接しました。

言語の研究者はことばの規範とどう付き合う(べき)か,についてちょっとだけ - 誰がログ

言語学は規範的ではない」というのは、おそらく*1そのとおりなのでしょう。というよりも、この種のことは大抵の学問領域で言われている気がします。

たとえばウェーバーの価値自由論。事実認識と価値判断とを区別すべきであるとするこの主張は、「この言い方が正しい」とか「このことば遣いは間違っている」といった規範の決定(≒価値判断)を行う仕組みや力は言語学にはないとするdlit さんのご説明と似たことを述べているのだと思います。そうした意味で、「言語学は規範的ではなく記述的である」こと自体は、私にはすんなり飲み込めました。

さて、「言語学は規範的ではない」、それはよいとして、その言明を取り扱う手つきについては少し気になるところです。なお、ここで「気になる」とは必ずしも批判的な意味合いではありません。言語学に限った形ではないですが、私自身日ごろ問題意識を持っているところでもあるので、純粋に興味をひかれたという趣旨です。

たとえば、言語学の規範の考え方や実際に今ある規範がそれほど強固なものではないことについての言明。それ自体は記述的であるこの言明は、しかしその機能として「規範など重要ではない」という価値判断を強化するものとなっています。

誤解のないよう強調しますが、上記の言明が「規範など重要ではない」と述べるものだと言っているのではありません(そう述べているのだとすれば、それは記述的とは言えないのですから)。そうではなくて、上記の言明が、事実上、そうした方向の価値判断を強化する機能を果たすものだと言っているのです。dlit さんの「言語学の考え方を知ってもらうことで……個人個人のレベルで心理的な負担が減ることくらいはあると良いな」との期待も、(自覚的であるか否かはともかくとして)こうした機能をふまえているからこそ抱くものだと思います。

dlit さんもおっしゃるように、専門家や研究者は強い権威・権力として機能してしまう存在です。それゆえ、規範とのかかわりについて慎重であるべきだとする主張は、理解できる。しかし、そのような主張が広く浸透している(ように見える)わりには、「言語学は規範的でない」との規範に少なからぬ影響を及ぼす言明が、あまりにも不用意な手つきでなされてはいないか。これが私の気になったところです。

先に述べたとおり、「××学は規範的でない」というのは、大抵の学問領域に妥当することだと思います。そして、いずれの領域の専門家も、「××学は規範的でない」との言明をかなり気軽に行っているように、私の目には見えます。あらゆる領域の専門家が口をそろえて「××学は規範的でない」と述べることは、規範を弛緩させ、解体する大きな力となるでしょう。その危うさはもっと意識されるべきではないでしょうか。言うまでもないことですが、たとえば言語に関する規範の完全な解体が導くものは、バベルの塔的状況の現出でしかありません。規範は大事なのです。なお、少し文脈は異なるかもしれませんが、規範(人々が何となく共有する社会規範とでもいうべきもの)は大事なのに残念ながら今日の社会においては無視・軽視されているように感じる、という類の話はこれまでにも何度かしてきました。ここでは、さしあたり以下の2記事を紹介しておきます。

太宰メソッドを越えて - U.G.R.R.

明確性なんていらない(いる) - U.G.R.R.

自戒を込めて繰り返しますが、専門家はこれまで、規範とのかかわりを忌避するという態度によって、ある種の規範の強化に無自覚に加担してきたのでしょう。それはとても危険なことです。だからこそ、専門家は各自まさにdlit さんのおっしゃるように規範と「できる限り意識的に関わる(あるいは意識した上で関わらない)」ことが必要なのであり、私自身もその末席に名を連ねる者として真摯に規範と向き合う所存である、という表明をもって、新年の抱負にかえようと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

*1:私自身は言語学に通じていないので、「おそらく」としか言えないわけですが。

ロジハラの起源など

ロジハラという言葉がテレビ番組で取り上げられて話題になっているようです。

犯人「探偵さん、ロジハラですか? やめてください」 →正論で追い詰めるのを「ロジカル・ハラスメント」と言うらしい。 - Togetter

同じテレビ番組をとりあげた東スポの記事*1によると、ロジハラ(ロジカル・ハラスメント)とは、「正論ばかりを突きつけて相手を追い詰めるハラスメント」のことだそうです。まさか東スポをソースに使う日が来るとは思いませんでしたが、まあこういうお世辞にも品があるとは言えない話題にはむしろふさわしいかもしれません。

簡単に調べてみたところ、「ロジハラ」という言葉の起源はこの辺りのツイートに求められそうです*2

このツイート以前に「ロジハラ」という言葉の使用が全くないわけではないものの、その数はきわめて少なく、一般に浸透しているという感じではありません。虫のように群がってきたまとめサイトが上記のツイートをあげつらうスレッドをこぞって紹介したことが、この言葉が広く認知されるきっかけとなったものと思われます。参考までに、そうしたまとめサイト記事の1つを紹介しておきます*3

[B!] 女「正論ばかりの人は『ロジカルハラスメント』と呼んでます。」 : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ

ところで、上記まとめサイト記事のタイトルでは、ロジカルハラスメントを糾弾する主体は女になっています。ちなみに主体が女となっているのは他のまとめサイト記事の大半でも同じで、「女」「女さん」「まんさん」「ツイ子」などとされています。 これは、上記ツイートを行った方のアカウント名に「おばさん」という語が含まれていたためでしょう。そして、発端においてこうして女の発した言葉として紹介されたためか、こんにちにおいても「ロジハラ」を糾弾するのは女である、というようなイメージを伴ってこの言葉が用いられることが多いように感じられます。

しかし、上記ツイートをした方の他の発言も確認してみると、どうもこの方女性ではないようなんですよね。「メンズおばさん」は診断メーカー「アダ名をつけるっター」でつけてもらったとのことであり*4、「君の肌は男性にしてはすごくスベスベしていて触ってるだけで癒される」とベテラン風俗嬢に言われたといったエピソードなども紹介しておられるので*5、普通に男性なのだと思います。

つまり、ロジハラ云々はもともと男性の発言なのに、まとめサイト等が勝手に勘違いして女の発言として喧伝し、女叩きの道具にしたという……。ま、驚きはしません。そういうレベルの低い連中だということはよく知っているので。ただ、このエピソードはちょっと象徴的だな、とは感じますかね。ロジックをやたらありがたがる人って、けっこうな確率で物事と誠実に向き合おうとする姿勢に欠けている気がします。地道な調査なり勉強なりといったことを怠って、聞きかじりの知識と中学生みたいな斜に構えた屁理屈を開陳して悦に入る、みたいな。このエピソードも、「オレサマの深い洞察(女は論理性に欠けるw)」に合いそうなツイートを見つけたのでまともに確認もせずに安易に両者を結びつけた結果、盛大に誤爆かましたって面があるんじゃないですか。完全な印象論ですが。

*1:https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2268504/

*2:なお、念のために述べておくと、私はこのツイートに特段の問題があるものとは考えていません。

*3:まとめサイトへのアクセスに貢献する必要もないと思うので、ブックマークページにしました。

*4:https://twitter.com/choku_nyu/status/943048412349566976

*5:https://twitter.com/choku_nyu/status/961612368533848064

タグの付与

はてなブログでタグを付けられるようになり、キャンペーンをやっているようです。

タグはあれば役に立つ場面もあると思うので、いくつかの過去記事に付けてみました。

まず、以下の3記事に「ヘイトスピーチ」のタグを付けました。

川崎市新条例と罰則のない禁止規定について - U.G.R.R.

川崎市新条例はなぜ日本人へのヘイト(笑)を罰しないのか - U.G.R.R.

川崎市新条例の明確性について - U.G.R.R.

また、以下の2記事に「天皇」のタグを付けました。

天皇制を終わらせたいという気持ち - U.G.R.R.

天皇は得する側だろ、という視点も持ちたい - U.G.R.R.

今後も、気が向いたら過去記事にタグを付けることがあるかもしれません。

わいせつ教員を教壇に戻さない話

以下のニュースに接しました。

「わいせつ教員を教壇に戻さない方向で法改正を」文部科学相 | 教育 | NHKニュース

多分きちんと調べればなかなか興味深い問題なのですが、残念ながら今はちょっと調べていられません。ただ、上記ニュースへの反応*1を見ているとどうもよく分かっていない人が多そうなので、これがどういう話なのかについてだけ簡単に説明しておきます。

上記ニュースでは、児童や生徒へのわいせつ行為で懲戒処分を受けて教員免許を失効した教員について、処分から3年が経過すれば教員免許を再取得できる仕組みを見直す動きが報じられています。ここで言われている「処分から3年が経過すれば教員免許を再取得できる仕組み」とは教育職員免許法*25条1項4号および5号のことです*3

(授与)

第五条 普通免許状は、別表第一、別表第二若しくは別表第二の二に定める基礎資格を有し、かつ、大学若しくは文部科学大臣の指定する養護教諭養成機関において別表第一、別表第二若しくは別表第二の二に定める単位を修得した者又はその免許状を授与するため行う教育職員検定に合格した者に授与する。ただし、次の各号のいずれかに該当する者には、授与しない。

一、二 (略)

三 禁錮以上の刑に処せられた者

四 第十条第一項第二号又は第三号に該当することにより免許状がその効力を失い、当該失効の日から三年を経過しない者

五 第十一条第一項から第三項までの規定により免許状取上げの処分を受け、当該処分の日から三年を経過しない者

六 (略)

2~7 (略)

ちなみに、法5条1項4号で言及されている法10条が免許状の失効、法5条1項5号で言及されている法11条が免許状の取上げについて定めた条文です。すべて紹介しているとダラダラと長くなってしまうので、法10条だけ引用しておきます。

(失効)

第十条 免許状を有する者が、次の各号のいずれかに該当する場合には、その免許状はその効力を失う。

一 (略)

二 公立学校の教員であつて懲戒免職の処分を受けたとき。

三 公立学校の教員(地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二十九条の二第一項各号に掲げる者に該当する者を除く。)であつて同法第二十八条第一項第一号又は第三号に該当するとして分限免職の処分を受けたとき。 

2 (略)

これらの条文をふまえて、教員免許再取得の仕組みについて改めて確認してみましょう。以下では、話を分かりやすくするためにわいせつ行為によって懲戒免職処分を受けた公立学校教員の例を用いて考えることにします。

わいせつ行為によって懲戒免職処分を受けた公立学校教員は、法10条1項2号によって、教員の免許状の効力を失います。この者がなおも教員として働きたいと考える場合、教員は法が定める相当の免許状を有する者でなければなりませんから*4、教員免許の再取得を目指すことになります。

ところで、法5条は教員免許の授与について規定した条文ですが、同条1項柱書ただし書きは「次の各号のいずれかに該当する者には(教員免許を)授与しない」*5と定め、続く1号から6号に教員免許の授与を受けることができない者が列挙されています。そして、その4号には「第十条第一項第二号……に該当することにより免許状がその効力を失い、当該失効の日から三年を経過しない者」が挙げられているところ、すでに見たとおり、わいせつ行為によって懲戒免職処分を受けた公立学校教員は、まさに法10条1項2号によって免許状が効力を失った者です。したがって、わいせつ行為によって懲戒免職処分を受けた公立学校教員は、免許状の失効の日から3年間は教員免許の授与を受けることができません。

もっとも、これは裏を返せば、わいせつ行為によって懲戒免職処分を受けた公立学校教員であっても、失効から3年を過ぎれば「失効の日から3年を経過しない者」から外れ、教員免許の授与を受けうるということでもあります。上記ニュース中にいう「処分から3年が経過すれば教員免許を再取得できる仕組み」とは、このことを指しているのです。

さて、ここで1つ注意しなければいけないことがあります。教員免許の授与を受けることができない者を列挙した法5条1項各号をもう一度見返してみてください。そうすると、その3号に「禁錮以上の刑に処せられた者」が挙げられていることに気づくと思います。

当然ですが、一口にわいせつ行為と言っても、 その内容は必要以上の身体への接触という程度のものからレイプのようなものまで、さまざまです。そして、シャレにならないような酷いわいせつ行為については、もちろん刑事裁判にかけられ、刑罰が科されます。たとえば、強制性交等の法定刑は5年以上の有期懲役*6。強制わいせつの法定刑は6月以上10年以下の懲役です*7。なお、懲役は基本的に禁錮以上の刑です*8

したがって、シャレにならないわいせつ行為で懲役を食らった公立学校教員は、3年が経過しても教員免許を再取得することはできません。禁錮以上の刑に処せられた者」として法5条1項3号に該当するからです。「処分から3年が経過すれば教員免許を再取得できる」のは、わいせつ行為を行ったものの罰金程度ですんだ、あるいは起訴に至らなかった、といった場合の話なのです。本件について考える際には、まずこのことを念頭においておく必要があるでしょう。

しかし、懲役を食らった公立学校教員も、永久に教員免許を再取得できないというわけではありません。刑法34条の2第1項に次のような規定があるからです。

(刑の消滅)

第三十四条の二 禁錮以上の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで十年を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う。罰金以下の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで五年を経過したときも、同様とする。

2 (略)

禁錮以上の刑に処せられても、その執行後罰金以上の刑に処せられることなく10年が経過すれば、刑の言渡しは効力を失います。 ここに「刑の言渡しは、その効力を失う」とは、刑の言渡しに基づく法的効果が将来に向かって消滅するということです*9。したがって、懲役を食らった公立学校教員も、オツトメを終えて10年間おとなしくしていれば、刑の言渡しが効力を失い、法5条1項3号にいう「禁錮以上の刑に処せられた者」にあたらなくなる結果、教員免許の再取得が可能となります。

一定の場合に刑の言渡しの効力を失わしめることは、スティグマの回避という意味で、合理性を有するものと言えます。このような可能性をも否定して、永久に教員免許の再取得を不可能とする制度を構築するなら、それは職業選択の自由を定める憲法22条1項に反して違憲となる可能性がかなり高いと思われます。そこで、こうした違憲の問題に目配りをしつつ、なおもわいせつ教員を教壇に戻さない方策を考えるとすれば、広く裁量の認められる採用段階で「工夫」をするということになるでしょう。下記のニュースで報じられている動きも、そうした方向での「工夫」の一環であると理解できそうです。

教員免許失効情報 検索できる期間 3年から40年に延長へ 文科相 | 教育 | NHKニュース

それでは、このような「工夫」に問題はないのか。どの程度まで「工夫」は許されるのか……といったあたりは、なかなか興味深く、ぜひ調べてみたいのですが、 冒頭述べたとおり残念ながら今はちょっと無理なので、ひとまずここで話を終えます。ここまでのお話が多少でも参考になれば幸いです。 

*1:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200929/k10012639511000.html

*2:以下、「法」といいます。

*3:太字強調は引用者による。以下同じ。

*4:法3条1項。

*5:()内は引用者において補足。

*6:刑法177条。

*7:刑法176条。

*8:刑法10条1項、9条参照。

*9:最判昭和29年3月11日(刑集8巻3号270頁)。

トランス女性と女性専用スペースをめぐる問題の整理

はじめに

書こうと思いながら、なかなか手をつけられず時間ばかりが経ってしまいました。この件についてです。

wan.or.jp

できればきちんとしたものを書きたかったのですが、そうした心算でいるといつまでたっても手つかずのままになってしまいそうなので、不十分ではあってもともかく書き上げて公開してしまうことにします。

本記事は、トランス女性による女性専用スペースの利用をめぐる「TERF」と「TERF」批判者との議論の整理を目的とするものです。この議論は、

  1. 性別による区分の是非
  2. 女性とはだれか
  3. 女性であることをいかに証明するか

という3つの問題に分けることができると思います。以下、順に見ていきます。

なお、本記事では便宜上「」付きでTERF(Trans Exclusionary Radical Feminist)の語を用いますが、私自身は「Trans Exclusionary」という形容が必ずしも適切でないと考えていることを、念のために断わっておきます。

性別による区分の是非 

まず、公衆浴場や更衣室等、性的自律に関わるような態様での利用が想定される一定の施設について、性別による区分を設け、割り当てられた性別の者のみが利用できるとすることが正当であるかという問題があります(第一の問題)。つまり、たとえば公衆浴場であれば男湯・女湯を分けること自体が不当(差別)であり、混浴とするべきではないかという問題です。

この点については、おおむね「正当である」ということで意見が一致しており、異論は少ないと思います。

女性とはだれか

第一の問題をクリアできるのならば、「女性用の浴場や更衣室等を設け、女性のみがこれを利用できるようにすること」自体は正当であるとして合意できるはずです。そうすると、次に問題となるのは「女性とはだれか」ということです(第二の問題)。

この点については、(理屈としては)あくまでも生物学的な性に着目すべきだとする立場から性自認こそが重要だとする立場まで、いろいろな考え方がありうると思います。多くの人は、この点に「TERF」と「TERF」批判者の対立――生物学的な性を重視する「TERF」と性自認を重視する「TERF」批判者というような――があると認識しているように見えます。

しかし、このような認識は必ずしも正しくありません。私の見る限り、「TERF」側も性自認を重視する立場が主流であり、トランス女性を女性として扱うことに異議を唱える者は多くはないようです。

女性であることをいかに証明するか

それでは、両者の間で真に対立が生じている問題は何なのか。

仮に第二の問題について、性自認を重視する立場で一致できたとしましょう。そうすると、次に問題となるのは「女性であることをどのように証明するか」ということです(第三の問題)。そしてこの第三の問題こそが、「TERF」と「TERF」批判者との間で真に対立を生じている点なのです。

当然のことですが、互いに面識のない不特定多数者によって利用されることが一般的である浴場や更衣室等について、「女性用設備は女性のみが利用できる」環境を構築し維持するためには、利用者の側に女性であることの一応の証明を求めざるを得ません。これは原理的には、トランス女性であるか「普通の」女性であるかにかかわらず、すべての女性に求めるべきことです。

このとき、生物学的な性と性自認とは一致する例が多いことから、生物学的に女性である者についてはその事実をもって一応の証明があるとしてもよいかもしれません。一方でそうでない者に対しては、性自認が女性であることを他のなんらかの手段によって一応証明してもらう必要があります。その証明はいかなる手段によるべきか。これはとてもこの場で簡単に論じられるようなことではありません。

厳格さを求めるなら、マイナンバーカード等によって(変更された)戸籍上の性別を示してもらうのが確実でしょう。もっとも、戸籍上の性別を変更するためにはかなり厳格な要件が求められますから、それでは厳しすぎると見ればより緩やかな他の手段も考えられるかもしれません。また、同じ女性用設備でも、たとえば局部まで晒すことになる浴場と下着程度にとどまることが多いであろう更衣室とでは、女性のみの利用が確保されなかった場合に生じる不利益にも差がありうるでしょうから、そうした設備ごとの特性に着目して求める証明の程度を変えてみるのも一策です。いずれにせよ、自己申告のみで証明が十分であるということは難しいでしょう。くり返しになりますが、公衆浴場や更衣室といった設備の多くは互いに面識のない不特定多数者によって利用されるものです。そのような身上を把握することのできない不特定多数者の言が真実であるかどうか、確かめる術はないからです。

この難題について適切な解決策を見出すための議論を、「TERF」は求めている。ところが「TERF」批判者の側ではその要求を「トランス女性が女性であることを否定するものだ」と受け取っている。これが「TERF」と「TERF」批判者との間に生じている対立の実態なのだと思います。

おわりに

以上をまとめると、「TERF」が求めているのは、基本的には第三の問題、すなわち「女性専用設備は女性のみが利用できる」環境をいかにして構築・維持するかという点についての議論です。ここにいう「女性」にトランス女性が含まれること(第二の問題)を、彼(女)らは必ずしも否定していないように、私の目には映ります。ところが、「TERF」批判者の側ではこれを、「TERF」が生物学的に女性でない者を女性と認めていないという第二の問題として受け取っているように見える。ここに両者の不幸な行き違いがあるのではないでしょうか。

「女性専用設備は女性のみが利用できる」環境が確立されることは、トランス女性も含めたすべての女性の利益となることだと思います。本記事が、そうした環境を確立するための議論の一助となることを期待します。

記事タイトルの変更

過去記事「田嶋陽子と私のフェミニスト批判」のタイトルを「『本人が望むなら』でごまかさない」に変更しました。本文の変更はありません。

「本人が望むなら」でごまかさない - U.G.R.R.

ちきりんがブコメ非表示にした経緯って

規約違反

はてな匿名ダイアリーの以下の記事(以下、「増田記事」といいます)に接しました。

ちきりんも残念な人になったな

本文にはちきりん(id:Chikirin)さんのブログ記事へのリンクがはってあるだけ。ちきりんさんのブログ記事はブックマークコメント(以下「ブコメ」といいます)非表示設定となっているのですが、どうもこの増田記事はそこの潜脱を意図するもののようです*1

くり返し述べていることですが、はてな匿名ダイアリーで個人に言及することは基本的に規約違反であり、本件もその例にもれません。削除を申し立てればきちんと対応されるので、ちきりんさんはわずかでも不快なら削除申立てをされればよいと思います。

増田での個人への言及は基本規約違反です・再論 - U.G.R.R.

増田での言及に対する削除申立ての方法 - U.G.R.R.

ちきりんブログがブコメ非表示設定になった経緯 

それはそれとして、上記増田記事等へのブコメをざっとながめていてると、「ちきりんは批判が嫌でブコメ欄を閉じたのだ」との趣旨をいうものが散見されました。

うーん……。

これ、必ずしも誤りとは言えないにせよ、実態はそれらのブコメがイメージしているものと少しニュアンスが違うかもしれないな、という気がします。歴史の片隅に埋もれてしまう前に、ちきりんさんのブログがブコメ非表示設定になった経緯について、私なりの理解を示しておこうと思います。

私が記憶する限り、ちきりんさんのブログは以下の記事公開時点までは、ブコメが表示される設定でした。

TPOに合わせた服装 実践クイズ - Chikirinの日記

ちきりんさんが対談した相手の名前一覧を紹介し、あわせて対談相手の名前は伏せつつ対談の際の服装を紹介する。そのうえで、どの服装の時にだれと対談したかあててみてほしい、というクイズを出した記事です。この記事に対して、id:Midas という人物が以下のようなブコメをつけました。

TPOに合わせた服装 実践クイズ - Chikirinの日記

ひでーファッションセンスwwwなんにも着てないほうがまだマシなレベルwwww

2012/01/30 18:15

b.hatena.ne.jp

「そのボロキレは何?」などのタグまで使用したきわめて侮辱的な内容で、私は当時そのあまりの無礼さに唖然とするばかりでした。この後すぐにちきりんさんのブログはブコメ非表示設定となったので、少なくともブコメ非表示設定の直接的な原因は、このMidas という人物の無礼なブコメにあると私は思っています(誤りがあればご指摘ください)。

この無礼なブコメも批判だというなら、「ちきりんは批判が嫌でブコメ欄を閉じたのだ」という主張は誤りでないと思いますが……、 どうですかね。「批判が嫌でブコメ欄を閉じた」と主張する方々のイメージするところと合致しているでしょうか。少なくとも、私はこのような罵詈雑言にうんざりしてブコメ欄を閉じたとしても、それは至極自然なことだと思います。

ブコメ非表示設定は自由でしょ 

なお念のために述べておくと、ブコメ非表示設定に関する私の意見は以下のブコメのとおり。 

ブクマカ「ブコメを非公開にするのは卑怯」

ブコメ非公開が卑怯」は本当にバカげてる。人様の記事に寄生させていただいてる自覚がないのかね。身の程を知れ

2020/07/18 18:27

人様の記事に寄生させてもらっている分際で文句をたれるなどあまりにおこがましい。上記のような事情の有無にかかわらず、ブログ運営者は自由にブコメ非表示設定にしてよく、そのことによって非難される筋合いなど全くないと思います。

*1:ちきりんさんの記事へのブコメをこの増田記事につけることによって、ちきりんさんの記事へのブコメが表示されているのと同じ状態をこの増田記事で達成しようとするものであるようだ、ということです。