「黒人差別を扱った」映画2本

下記の2本の映画を見た感想を記す。

内容への言及を含む。

 

まず、『夜の大捜査線』について。 

夜の大捜査線 [DVD]
 

未だ黒人差別色濃いミシシッピ州スパータで起きた殺人事件を、都会から偶然訪れていた敏腕の黒人刑事バージルシドニー・ポワチエ)と町の警察署長ギレスピー(ロッド・スタイガー)の2人が調査する。

人種差別問題を扱った社会派の作品として紹介されることが多いが、その点を強調されるのは監督の本意ではないのではないか。少なくとも私には、本作における「差別」は、登場人物の個性を際立たせたりストーリーの流れを良くしたりするための小道具として用いられているように感じられた。

もちろん、社会派の作品でないことと作品の評価とはまったく関係がない。魅力的な2人の主人公、浮かんでは消える容疑者。文字通りラスト5分まで犯人が明らかにならない展開は観る者を決して飽きさせない。監督は自覚的に「楽しませる」ことに力を尽くし、見事にそれに成功している。良い映画だと思う。

本作を一言で表現するならば、「画の良い火曜サスペンス劇場」といったところだろうか。

 

次に、『ミシシッピー・バーニング』について。 

1964年、ミシシッピー州で起こった3人の公民権運動家の行方不明事件にFBI捜査官のウォード(ウィレム・デフォー)とアンダーソン(ジーン・ハックマン)が挑む。

『夜の大捜査線』を意識した作りだが、より差別問題に焦点があてられており、こちらはまさに社会派といった印象。

作中、人種差別主義者によってなされた「私はミシシッピを愛している」「(黒人解放は)伝統・文化の破壊だ」「我々の土地を黒人のものにはさせない、黒人の好き勝手は許さない」などの主張は、最近わが国でも見かける機会が増えた。約30年前の映画ではあるが、いま改めて見ることで感じるところもあるかもしれない。

しかし本作の「差別」の描き方は、私にはついていけない。誤解を恐れずに述べると、差別者による残酷で苛烈な迫害をたっぷりと盛り込むことで、刺激を求める観客の欲望に応えるとともに分かりやすい悪役を作り出そうとしているようにすら見える。社会派の衣をまとった作品にしては、「差別」の理解がやや皮相的なのではないか。

私は『夜の大捜査線』の方が好きだ。