「被害者の命と加害者の命どちらが大切なのか」
死刑廃止の主張に対して、こうした問いかけがなされることがある。
この問いは、被害者の命と加害者の命との比較衡量を迫るものである。
比較衡量は、基本的には、一方の利益を保護することによって他方の利益が損なわれてしまうという場面において行われる。
あちらを立てればこちらが立たぬという状況下で、対立する利益の調整を図る手法が比較衡量なのだ。
ところが、刑罰が科されるとき、すでに犯罪は行われ、被害は生じてしまっている。
加害者に死刑を科したところで、被害者の命が戻ってくるわけではない*1。
死刑を科さなかったとしても、それによって被害者の命が奪われるわけでもない*2。
一方の利益を保護することによって、他方の利益が損なわれるという関係にはないのだ。
したがって、死刑の存廃は、被害者の命と加害者の命との比較衡量が要求されるような性質の問題ではないということになる。
以上をふまえれば、被害者の命と加害者の命との比較衡量が真に必要な場面も自ずと明らかになる。
加害者の命を奪わなければ、被害者の命が失われるような場面。
すなわち、まさに加害者によって被害者に対する攻撃が行われようとする状況下において、その比較衡量は要求されることになる。
このような場面で、わが国はいかなる態度を示しているのだろうか。
関連する刑法の条文を引用する。
(殺人)
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
(正当防衛)
第三十六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
被害者が、加害者に殺されそうになり、身を守るために加害者をやむなく殺したとしよう。
この被害者の行為も、「人を殺」すものに他ならない。
殺人罪(刑法199条)の構成要件に該当することは明らかである。
しかし、被害者は今まさに加害者に殺されようとしている。
「急迫不正の侵害」に身をさらされているのである。
そこで被害者は、身を守るためにやむなく加害者を殺した。
つまり、自らの生命に対する権利を「防衛するため」、「やむを得ずに」、「人を殺」すという「行為」をしたのである。
この場合、被害者の行為は刑法36条1項によって違法性が阻却される。
その意味するところは明らかであろう。
本来、被害者の命も加害者の命もともに保護されるべきものである。
だからこそ、加害者を殺した場合にも原則的には殺人罪に問われる。
しかしどちらか一方しか選べない状況下では、被害者の加害者を殺すという行為を非難しない。
つまり、被害者の命を優先する。
わが国は、そのような選択をしているのである。
以上、「被害者の命と加害者の命どちらが大切なのか」という問いに関して、簡単に論じてきた。
正当防衛の要件等についてより詳しく知りたい方は、刑法総論の教科書にあたられたい。