『憲法主義 条文には書かれていない本質』
内山奈月・南野森『憲法主義 条文には書かれていない本質』を読んだ。
同書は南野の内山に対する講義という形式をとって進められる。人権の歴史的発展の経緯や立憲主義といった重要な部分はおさえつつ、選挙制度や9条の解釈改憲といった巷間で取りざたされる話題についても平易な説明がなされている。憲法入門の前段階で読む本としては、悪くないと思う。
ただし、同書は当然ながら憲法上の論点を網羅的にカバーしているわけではないし、説明内容にもいくつか気になる点がある。同書を読む場合には、この一冊で満足するのではなく、さらに基本書等を読み進めて本格的に憲法を学ぶための足掛かりとするのがよいだろう。
違憲審査権の根拠
さて、同書の説明内容にはいくつか気になる点があると述べたが、そのうちの一つが違憲審査制についての説明である。本記事では、その点について簡単に述べておきたい。
裁判所が行使する違憲審査権の根拠は、どこに求められるのだろうか。
この問題について、同書は、違憲審査制の根拠規定として憲法81条を挙げたうえで、「憲法に定められているから、最高裁判所は法律を無効にすることができる。この規定がなかったら、民主主義国家で、違憲審査制を正当化することはできない」と述べている*1。
81条を引用する。
第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
確かにこの規定は違憲審査権について定めた条文である。しかし、この条文がなければ裁判所は違憲審査権を行使することができないのだろうか。
そのような見解が成り立たないわけではないと思うし、同書がいかなる意味で81条がなければ「民主主義国家で、違憲審査制を正当化することはできない」と述べているのかも必ずしも明確ではないため、同書の記述が誤っていると言うつもりはない。しかし、少なくとも 誤解を招きやすいものであることは確かだろう。
違憲審査権の根拠規定について述べた最高裁判所昭和23年7月8日大法廷判決(刑集2巻8号801頁)を引用する。
現今通常一般には、最高裁判所の違憲審査権は、憲法第81条によって定められていると説かれるが、一層根本的な考方からすれば、よしやかかる規定がなくとも、第98条の最高法規の規定又は第76条若しくは第99条の裁判官の憲法遵守義務の規定から、違憲審査権は十分に抽出され得るのである。
このように、最高裁は、たとえ81条の規定がなくとも、98条又は76条若しくは99条から、違憲審査権は十分に導き出せるとしている。これらの条文についても引用しておこう。
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
率直に言って、98条1項単独では、違憲審査権を他ならぬ裁判所が行使できる根拠として不十分であるようにも思われるから、上記判決中の「又は」という接続詞については議論の余地があるかもしれない。
しかしともあれ、裁判所としては、81条がなくとも、98条又は76条若しくは99条を根拠として違憲審査権を行使できると考えていることは明白である。また私自身も、(98条1項単独ではやや厳しいにせよ)これら3つの条文から裁判所が行使する違憲審査権を根拠づけることは十分に可能であると考える。
すなわち、98条1項は憲法に抵触する法令等が無効であると規定しており、裁判官は99条によりかかる憲法の尊重擁護義務を負う(裁判所も同様の義務を負うことは明らかである)。
そして、裁判所は76条1項によって司法権を与えられている。「司法」とは、簡単に言えば「具体的な争訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用」のことである*2。したがって、具体的事件に対する法の解釈・適用は裁判所の権限に属するものである。
してみれば、(具体的事件において)法令等が憲法に抵触する可能性が認められる場合、違憲審査権を行使して当該法令等の適用の可否を判断できなければ、憲法尊重擁護義務を負う裁判所としては 、(具体的事件に対して)妥当な法の解釈・適用ができないことになってしまう。そのため、(具体的事件における)違憲審査権の行使もまた、法の解釈・適用を行ううえで必要なものとして裁判所の権限に属すると考えられる。
よって、81条がなくとも裁判所が行使する違憲審査権を導き出すことは可能であり、それは憲法及び法律にのみ拘束される裁判官が独立してその職権を行う(76条3項)という形で現れることになるのである。
結論
以上のとおりであるから、81条がなければ裁判所の違憲審査権が認められないようにも読める『憲法主義 条文には書かれていない本質』の記述は適切でないと考える。なお、私が「具体的事件において」等の括弧書きを付して、具体的事件における違憲審査権行使に関する議論であることを強調している点にご留意いただきたい。