聞く力のきたえ方

はじめに

以下の2本の記事を立て続けに読みました。

ハーバード大学の有名教授が「話を聞く力の低下」を警鐘 | あの白熱教室のマイケル・サンデルが… | クーリエ・ジャポン

ブコメで寄せられる80%のコメントはバカによるものと思うべき - サブカル 語る。

これらの記事が共通して問題にしているのは、話を聞く、あるいは読みとる力です(以下では単に「聞く力」といいます)。おそらくブログ運営経験者の大半は、こうした力を欠くように見える人のあまりの多さに驚いたことがあるのではないかと思います。

もとよりこの種の問題は、話し手・聞き手の双方がスムーズな意思疎通を行えるよう努力するべきものではあります。しかし本記事は上記2記事を契機として作成を思い立ったものですので、ひとまずは聞き手の側に焦点をあて、そもそも聞く力とはなにか、これをどのようにしてきたえるべきか、といったことについて説明したいと思います。

聞く力とはなにか

聞く力とは、相手の主張を正しく理解する力のことです。そして「相手の主張を正しく理解する」とは、読みとるべきことを読みとり読みとれないことを読みとらないことです。

こう言うと簡単なようですが、できていない人は多いです。特に「読みとれないことを読みとらない」でつまずく人は本当に多い。部分否定を全否定と取り違えたり、全く言及していないことについて言及していると思い込んだり……。私自身の最近の経験で言えば、「Aに対して述べたことをBに対して述べたと誤解された」例や、酷いものでは「私自身はその記事についてブログでもブックマークコメントでも言及していないばかりか、はてなスターやいわゆる無言ブクマすら付けていないにもかかわらず、当該記事へのネットリンチに加わったと難詰された」例などがあります。

相手の主張を正しく理解するのは、意外と難しいことなのです。

聞く力のきたえ方 

基本

それでは、聞く力はどのようにしてきたえればよいのか。この点、聞く力の養成というのは、基本的には国語の学習を通じて行われるものです。したがって、小学校、中学校、高校に通っている人は、まじめに国語の勉強をするのが一番よいと思います。がんばってください。

それ以外の人には、相手の主張の要約をおすすめします。その際に重要なのは、自身の評価を交えず、何についてのどのような提言なのかを、できるだけ正確かつ端的にまとめること。そして可能ならば、相手の主張に対して自らの意見を開陳する前にその要約を相手に提示してください。そうすれば、相手は要約中自身の意図と異なる部分については指摘してくれるでしょう。こうしたやりとりを通じて聞く力は養われていきますし、当該の議論自体も正確な主張内容の把握を前提とした実り深いものとなることが期待できます。

聞く力を低下させる要素の排除

聞く力は常に一定であるわけではなく、さまざまな要素の影響を受けます。聞く力を低下させる要素については、できるだけ排除するよう意識するべきです。ここでは特に重大な影響を及ぼしうるものとして次の2点を挙げておきます。

1つは敵対的な立位置。人間、自身の立場と真っ向から対立するような主張を唱えられれば、ときには必要以上に反発してしまうこともあるでしょう。しかし相手の主張を反駁の対象としてのみ捉えてしまえば、アラ探しばかりに終始して相手の主張を理解しようとする姿勢を欠くことにもなりかねません。相手の主張を理解しようとする姿勢がなければ、聞く力すなわち相手の主張を正確に理解する力が低下するのは当然です。何事も鵜呑みにしない批判的態度は重要ですが、それはまず相手の主張を正確に理解してからのことです。

もう1つは専門知識の欠如。専門分野を持たない人が抱きがちな幻想として、「頭のよい人はどんな問題に対しても鋭い洞察を見せる」というものがありますが、そのようなことは全くありません。どれだけ賢い人であっても、話題が専門性を帯びたときにその分野の知識を持っていなければ、鋭い洞察どころか主張を理解することさえできないものです。話題が専門性を帯びるとき、その分野の知識の有無は聞く力に大きく影響するのです*1。 

こうした要素を完全にではないにせよ排除する実践的な方法としては、「相手の主張は完全に正しく、理解できない場合は自分の能力が不足している」という前提で主張に接することをおすすめします。特に専門性を帯びる話題において相手がその分野の専門家である場合には、相手の主張をなんとか整合的に解釈しようと試みる過程で、単に書籍などを通じて知識を得るよりも立体的な「生きた」理解に到達できることも多く、非常に効果的です。

おわりに 

聞く力とそのきたえ方についていろいろお話ししてきましたが、その多くは実は相手を尊重していれば改めて意識するまでもなく自然に行っているはずのことです。

相手の主張に対して敬意を持ち本当に知りたいと思うならば、相手の主張内容についての自分なりの理解を示して確認もするでしょう。理解が難しい場合にも、簡単に投げ出すのではなく自分自身の見落としなどの可能性を検討するでしょう。

結局のところ聞く力の要諦は、相手を尊重するというきわめてシンプルなことなのかもしれません。

なにかの参考になれば幸いです。

*1:なお、ときおりいろいろな問題についてそれらしい(素人目には鋭く見える)ことを言ってまわる人がいますが、それらの多くは単なる半可通の与太です(少なくとも私の専門分野に関してはそうです)。彼らは主張の正確な理解からは最も遠いところにいる人びとなので注意してください。