自己責任論などについてとりとめもなく

プチ鹿島さんの記事を読みました

プチ鹿島さんの以下の記事とそれに対する反応を読みました。

14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? | 文春オンライン

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今回の件では新聞が自制的であったという上記記事の指摘には同意します。私がいま購読しているのは読売新聞ですが安田さんに対する声高な批判は見られず、上記記事で紹介されている2004年当時の読売社説などと比べたとき、まさに隔世の感を禁じ得ません。彼らもさすがに多少は当時のことを反省しているのでしょう。けっこうなことです。

「自己責任」の普及自体はもう少し前かも

上記記事は、「自己責任」の語がイラクで拘束された人質らに投げかけられ流行語大賞のトップテン入りした2004年を自己責任論の起点と捉えており、別にそれで間違っていないと思います。

ただこの語が一般に普及した時期自体はもう少しさかのぼれるようですね。斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書、2004年)で、自己責任論の起源について簡単な調査がなされているのを読んだ記憶があります。『読売新聞』のデータベースを検索すると、90年代初め頃まで「自己責任」は金融・証券市場以外で用いられていなかった。それが93、94年頃から少しずつ一般的な用法が広まっていき、98年には桜井哲夫『〈自己責任〉とは何か』(講談社現代新書、1998年)という格好の啓蒙書も刊行されている。そんな内容でした。

少なくとも、2004年に自己責任論が登場するための土壌は、ずいぶん前から整えられていたとは言えそうです。

安田さんへのバッシングもありましたね

上記記事への反応を見ていると、2004年の自己責任論は人質家族の要求に対して出てきたものだ、とする意見がいくつかあるようです。それも必ずしも誤りではないでしょう。

ただ、当時拘束されたのは3名だけではないんですよね。2004年4月7日に3名が拘束され、その1週間後の4月14日に安田純平さんら2名も別の武装グループに拘束されている。 

政府に対する要求を行っていたのは先に拘束された3名の家族ですから、安田さんらは関係ないはずですよね。……というよりも、安田さんらはそもそも人質ですらなかったようです。その身柄に代えて何かを要求するのが人質の役割ですが、安田さんらを拘束したグループの目的は単なる身元確認であり(スパイ容疑)、グループが日本の家族や政府等に対してなんらかの要求を行うことはなかったとされているからです*1。したがって安田さんらを人質扱いすることは一歩間違えればデマにもなりかねないはずなのですが、そんなことに頓着しない当時の人びとは安田さんらを「人質」と呼んでいましたし、要求を行った家族とは関係なくとも自己責任論をぶつけていました*2

「2004年の自己責任論は人質家族の要求に対して出てきたものだ 」とする方は、このように事実認識もあやふやなまま安田さんらにぶつけられた自己責任論をどのように考えるのでしょうか。もしそれは見ないふりをする、ということであれば、よくないと思います。

なんにせよ

安田さんが無事に帰ってこられて本当によかったですよね。私としては、そのことをただ喜べる社会であってほしいと願うばかりです。 

*1:安田純平『誰が私を「人質」にしたのか イラク戦争の現場とメディアの虚構』(2004年、PHP研究所)9頁以下。

*2:前掲安田書14頁以下。