その不安を切り捨てるのはちょっと

三橋順子のこんな記事に接しました。

なぜ2019年の日本で、トランスジェンダー女性たちが攻撃されているのか | 文春オンライン

お茶の水女子大がトランスジェンダー女子を受け入れる方針を発表したこと等に対する一部フェミニストの反発を批判する内容です。

私は、お茶の水女子大のトランスジェンダー女子受け入れ方針については、基本的に賛成です。しかし「トイレ、更衣室はどうするんだ」といった不安を、三橋のように「女子として受け入れる以上、トイレや更衣室をことさらに分けるのは論理的におかしい」などと簡単に切り捨ててしまうことは容認できません。

みなさん都合よく忘れられているようですが、お茶の水女子大のこのニュースが最初に報じられたとき、百田尚樹はなんと言いましたか。

冗談にしてもおぞましいのですが、「(百田自身が)お茶の水女子大学に入学を目指す」、そう言い放ったのです。百田はたまたま著名であるから目についただけで、同じような発想をする者はほかにも大勢いるでしょう。百田のこのおぞましい発言は看過される一方で、こうした発言があることに照らせば十分に理由があるはずの「トイレ、更衣室はどうする」といった不安は「トランスジェンダー差別」だとされ、ほとんど袋叩きに近いような激しい攻撃にさらされる。きわめて歪な状況です。

誤解してほしくないのですが、私は三橋のようなトランスジェンダーの当事者が上記のような不安を根拠なきものだとして棄却しようとすること自体は理解できるのです。ただその一方で、いわゆる「普通」の女性もまたこの問題の当事者であり、彼女らの不安も十分配慮に値するはずのものであるにもかかわらず、それがあまりにも軽視されすぎてはいないでしょうか。これが私の言いたいことなのです。私の過去のブックマークコメントを再掲しておきます。

フェミニストとしてトランス差別・排除に反対します。 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

性の平等を推し進める立場からこう主張されるのは理解できる。だが例えば男性器を持つ方に女湯の利用を遠慮頂くのは社会として仕方ない部分もあろう。相当激しい主張なのにツイフェミ憎しで同調されすぎていないか

2019/02/08 22:30

b.hatena.ne.jp

 

ちなみに、お茶の水女子大はトランスジェンダー女子の受け入れにあたって、トイレや更衣室などを整備するようですので、上記のような不安についてはクリアされるものと思われます*1。私がお茶の水女子大の受け入れ方針に賛成するのは、そのことも大きな理由の一つです。

それにしても、この問題では「ポリコレ」云々と大騒ぎする人は現れないんですね。「トランスジェンダーを差別するな」なんていうのはまさに「ポリコレ」ど真ん中だと思うのですが。