国家は縛るし縛られる

簡単にだけ。

以下の記事に接しました。

官邸の三権分立は違っていたのね、ほんとに|Masaru Seo|note

首相官邸ホームページにある三権分立を説明する図では、内閣から国民に対して「行政」という矢印が向けられており、「内閣が行政によって、主権者である国民を縛る」ことになっている。他の図で表されているように、「国民が世論によって、内閣を縛る」のが正しく、官邸の説明は誤っている、というような内容です。

うーん……。これ、あまり筋のよくない批判なので、ほどほどにしておいた方がいいと思いますよ。まず念のために確認しておくと、憲法65条によって、「行政権は、内閣に属する」こととされています。そして周知のとおり、「行政」とは何かということについてはさまざまに議論がありますが、「法律の執行」がその重要な一内容として含まれることは間違いのないところです*1。国民はこの「法律の執行」の客体となる存在ですから、内閣から国民に対して矢印が向けられるのは別に誤っているわけではありません。ついでに言っておくと、国民に向けられた「行政」の矢印を、「国民を縛る」という意味のみに解するのもやや危ないです。福祉主義を志向する現行憲法下においては*2、(国民を縛るというだけでなく)国民への給付もまた行政の重要な役割であると言いうるからです。

さらに、もう少し根本的なところからもコメントしておきます。ひところはやった立憲主義という言葉をご存じでしょう。これは、「憲法によって国家権力を制限し人権を保障しようとする考え方」などと説明されることが多いと思います。ここで、なぜ国家権力を制限することが人権の保障につながるかというと、国家権力が人権を制約する存在だからです。立憲主義とは、国家権力が個人の人権を制約しうる(これは単に事実としてそうだというにとどまらず、そのような権限を有するということです)ことを前提として、その範囲を画する考え方なのです。したがって、国家権力(の一翼を担う内閣)が国民の人権を制約する、すなわち「国民を縛る」のはあたりまえ。われわれはそのことをふまえたうえで、国家権力による制約が度を越さないように、しっかりと監視する必要があるのです。その意味で、「国民が世論によって、内閣を縛る」という説明も、もちろん誤っているわけではありません。

*1:憲法73条1号参照。

*2:憲法25条以下参照。