意味のない批判をやめよう

ネット上での誹謗中傷をなんとかしないといけない、という機運が生まれつつあるようです。

ネット上の誹謗中傷、規制検討へ 与野党「ルール化必要」 木村花さん急死で - 毎日新聞

それ自体は誠に結構なことなのですが、しかし「誹謗中傷」だけに目を向けていては見落とされてしまうものがあると、私は考えています。

たとえば、この話題が注目されるきっかけとなった女子プロレスラー急死に関し、彼女を非難していたアカウントが急死のあと次々と削除されているというニュースを見かけましたが*1、そこで紹介されている非難のコメントというのは、「やめろ」「気分悪い」「消えろ」といったものでした。

率直に言ってこれらのコメントは、もちろん執拗さその他の条件にもよりますが、基本的には、刑事はおろか、民事上の不法行為にあたるとすることも少し難しいのではないかという印象です。法的な意味に限定しない広義の「誹謗中傷」にあたる可能性はあるにせよ、今回寄せられた一つ一つのコメントの悪質さはそこまででもなかった……かもしれないと、私は思っています。

しかし、当然ですが、私は「だからこんなことで死ぬ方がおかしい」と言いたいわけではありません。というより、そもそも現時点では彼女が自殺であるかどうかさえ必ずしも明らかではないですから、私は本件自体についてつっこんだ話をつもりは全くありません。そうではなく、一つ一つは大したことのないコメントであっても、それが一斉になされることによって受け手に大きな打撃を与えることはありうるのだ、と言いたいのです。

このことについては、かつて小野ほりでいさんが下記記事で分かりやすい表現をされていました。

善意で話をややこしくする”関係ないのに怒る人”の恐怖とは? - トゥギャッチ

記事内容自体に全面的に賛同するものではありませんが、「インターネットの1000回怒られシステム」という表現はなかなか秀逸だと思います。今回急死した女性プロレスラーに対して寄せられたコメントは、その悪質性がいかほどであるかはともかく、攻撃的であること自体は間違いなく、広義の「誹謗中傷」にあたる余地はあるものだったのかもしれません。しかし、仮にコメントが不必要に攻撃的でなく、内容的にも正しい全く穏当なものであったとしても、1000人から一斉になされればその打撃は大きなものとなりうるのです。「誹謗中傷」を行わないことはむろん大事ですが、ことインターネットでの発言に関しては、さらにこの「1000回怒られ」問題にどう対処するかということについても考える必要があるでしょう。

さて、それではこの「1000回怒られ」問題にはどう対処するべきなのか。このことについてはすでに何度か書いてきているのですが、基本的には「意味のない批判をやめる」ということに尽きるのだと思います。

ここで、「意味のない批判」とはいったいどのようなものでしょう。

些末な点に固執する批判?

的外れな批判?

それともその問題に関する基礎的な知識さえ備えていないような批判でしょうか?

そうではありません。これらの批判は、誤っていたり、その結果として顧みられることがなかったりするかもしれませんが、それによって批判自体に意味がないということにはなりません。たとえ内容が誤っていても、独自の視点・観点に基づく批判を提出するということは、それを乗り越える契機になるという点において、意義を有するものなのです。そして、このように考えていくならば、意味のない批判がどのようなものであるかも自ずと見えてくるでしょう。意味のない批判、それは独自の視点・観点を含まない批判――端的に言えば、(主として)「すでになされている批判」です。

最近の例で言えば、いわゆる「自粛警察」に対するブックマークコメントでの批判などは分かりやすいかもしれません。「自粛警察」に対して寄せられる非難のブックマークコメントは、理路すらない単なる誹謗中傷(これは論外なのでわざわざとりあげません)のほかは、その8割がたが「正義の暴走」 に対する懸念をさまざまに言い換えたにすぎないものだったというのが私の印象です。この(最初になされたものを除く)8割がたの非難コメントが、基本的には私のいう意味のない批判です。

すでに述べたとおり、ここでいわゆる「自粛警察」に関する話題を見て「正義の暴走」に対する懸念を抱くこと自体が正当であるかどうかは、あまり関係がありません。仮にその懸念が正当とは言えないものだったとしても、最初にそうしたコメントをつけた方については、その批判はそれまでに現れていない視点・観点を提示するものですから、意味あるものだということができるでしょう。一方、二番目以降にそうしたコメントをつけた方については、基本的には*2、すでに現れている視点・観点をくり返しているにすぎませんから、懸念が正当であるか否かにかかわらず、意味のない批判をしているということになるでしょう。そういう意味のない批判を控えることが、「1000回怒られ」を防ぐには重要なのだと思います。

もっとも、たとえすでに同旨の指摘があるとしても、自分の立場を表明しておきたい、という方もいるかもしれません。そうした方は、少なくともはてなブックマークにおいては、はてなスターを活用するという解決策をとることが考えられます。自身の主張と同旨の指摘があれば、そのコメントにスターをつけて黙って去る(無言ブックマークでもよいでしょう)。そうすれば、自身の立場を表明することもできますし、「怒られ」る側も、1000の否定的なコメントが並ぶよりは、大きな打撃を受けずに済むと思います。はてなスターの活用方法については、はてなでも必ずしも議論が深まっていないように感じられるので、この機に一考してくださればうれしいです。

以上、今後のいわゆるネット言論の進むべき道について、思うところを記しました。そもそもの問題として、すでに誰かが言っていることを大声でくり返すというのは、少々みっともない行為だと思います。そうした感覚が、広く共有されることを望みます。

【2020年5月28日追記】

けんすう(id:kensuu)さんが本記事と同じ問題意識に基づく記事を書かれていました。

誹謗中傷かどうかよりも、批判の量のほうが問題じゃないかなという話|けんすう

記事中でけんすうさんは対応法を思いつかないとおっしゃっていましたが、本記事は対応を考える一助になるかもしれないと感じたので、いちおうお知らせさせていただきます。たとえばけんすうさんの記事のこの部分。

投稿時に「その投稿、誹謗中傷じゃない?」と出すとかの案も見ましたが、しているのが正当性のある批判の場合、それも乗り越えて投稿されちゃいます。

「誹謗中傷じゃない?」を「もう言われてない?」に変えれば、(どれだけの効果があるかとか、やりすぎではないかといった問題はともかく、)正当性のある批判であっても乗り越えられないとは思います。

なお、この問題についてより細かく検討した拙記事として、以下のものがあります。

ネットリンチについて - U.G.R.R.

よければ、こちらも参考にしていただければと思います。

*1:https://hochi.news/articles/20200523-OHT1T50198.html

*2:視点・観点を深化させるということは一応観念できるので、例外はありうるでしょう。もっとも、100字程度の短文でそれをなしとげることは、実際には相当難しいと思いますが。