トランス女性と女性専用スペースをめぐる問題の整理

はじめに

書こうと思いながら、なかなか手をつけられず時間ばかりが経ってしまいました。この件についてです。

wan.or.jp

できればきちんとしたものを書きたかったのですが、そうした心算でいるといつまでたっても手つかずのままになってしまいそうなので、不十分ではあってもともかく書き上げて公開してしまうことにします。

本記事は、トランス女性による女性専用スペースの利用をめぐる「TERF」と「TERF」批判者との議論の整理を目的とするものです。この議論は、

  1. 性別による区分の是非
  2. 女性とはだれか
  3. 女性であることをいかに証明するか

という3つの問題に分けることができると思います。以下、順に見ていきます。

なお、本記事では便宜上「」付きでTERF(Trans Exclusionary Radical Feminist)の語を用いますが、私自身は「Trans Exclusionary」という形容が必ずしも適切でないと考えていることを、念のために断わっておきます。

性別による区分の是非 

まず、公衆浴場や更衣室等、性的自律に関わるような態様での利用が想定される一定の施設について、性別による区分を設け、割り当てられた性別の者のみが利用できるとすることが正当であるかという問題があります(第一の問題)。つまり、たとえば公衆浴場であれば男湯・女湯を分けること自体が不当(差別)であり、混浴とするべきではないかという問題です。

この点については、おおむね「正当である」ということで意見が一致しており、異論は少ないと思います。

女性とはだれか

第一の問題をクリアできるのならば、「女性用の浴場や更衣室等を設け、女性のみがこれを利用できるようにすること」自体は正当であるとして合意できるはずです。そうすると、次に問題となるのは「女性とはだれか」ということです(第二の問題)。

この点については、(理屈としては)あくまでも生物学的な性に着目すべきだとする立場から性自認こそが重要だとする立場まで、いろいろな考え方がありうると思います。多くの人は、この点に「TERF」と「TERF」批判者の対立――生物学的な性を重視する「TERF」と性自認を重視する「TERF」批判者というような――があると認識しているように見えます。

しかし、このような認識は必ずしも正しくありません。私の見る限り、「TERF」側も性自認を重視する立場が主流であり、トランス女性を女性として扱うことに異議を唱える者は多くはないようです。

女性であることをいかに証明するか

それでは、両者の間で真に対立が生じている問題は何なのか。

仮に第二の問題について、性自認を重視する立場で一致できたとしましょう。そうすると、次に問題となるのは「女性であることをどのように証明するか」ということです(第三の問題)。そしてこの第三の問題こそが、「TERF」と「TERF」批判者との間で真に対立を生じている点なのです。

当然のことですが、互いに面識のない不特定多数者によって利用されることが一般的である浴場や更衣室等について、「女性用設備は女性のみが利用できる」環境を構築し維持するためには、利用者の側に女性であることの一応の証明を求めざるを得ません。これは原理的には、トランス女性であるか「普通の」女性であるかにかかわらず、すべての女性に求めるべきことです。

このとき、生物学的な性と性自認とは一致する例が多いことから、生物学的に女性である者についてはその事実をもって一応の証明があるとしてもよいかもしれません。一方でそうでない者に対しては、性自認が女性であることを他のなんらかの手段によって一応証明してもらう必要があります。その証明はいかなる手段によるべきか。これはとてもこの場で簡単に論じられるようなことではありません。

厳格さを求めるなら、マイナンバーカード等によって(変更された)戸籍上の性別を示してもらうのが確実でしょう。もっとも、戸籍上の性別を変更するためにはかなり厳格な要件が求められますから、それでは厳しすぎると見ればより緩やかな他の手段も考えられるかもしれません。また、同じ女性用設備でも、たとえば局部まで晒すことになる浴場と下着程度にとどまることが多いであろう更衣室とでは、女性のみの利用が確保されなかった場合に生じる不利益にも差がありうるでしょうから、そうした設備ごとの特性に着目して求める証明の程度を変えてみるのも一策です。いずれにせよ、自己申告のみで証明が十分であるということは難しいでしょう。くり返しになりますが、公衆浴場や更衣室といった設備の多くは互いに面識のない不特定多数者によって利用されるものです。そのような身上を把握することのできない不特定多数者の言が真実であるかどうか、確かめる術はないからです。

この難題について適切な解決策を見出すための議論を、「TERF」は求めている。ところが「TERF」批判者の側ではその要求を「トランス女性が女性であることを否定するものだ」と受け取っている。これが「TERF」と「TERF」批判者との間に生じている対立の実態なのだと思います。

おわりに

以上をまとめると、「TERF」が求めているのは、基本的には第三の問題、すなわち「女性専用設備は女性のみが利用できる」環境をいかにして構築・維持するかという点についての議論です。ここにいう「女性」にトランス女性が含まれること(第二の問題)を、彼(女)らは必ずしも否定していないように、私の目には映ります。ところが、「TERF」批判者の側ではこれを、「TERF」が生物学的に女性でない者を女性と認めていないという第二の問題として受け取っているように見える。ここに両者の不幸な行き違いがあるのではないでしょうか。

「女性専用設備は女性のみが利用できる」環境が確立されることは、トランス女性も含めたすべての女性の利益となることだと思います。本記事が、そうした環境を確立するための議論の一助となることを期待します。