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京都朝鮮第一初級学校の公園「不法占拠」

私は、確定判決のある事件については、判決文を読んでその事案を把握したような気になってしまう傾向がある。この点については、常々自戒せねばならないと思っているところだ。あくまでも裁判所は事案の解決に必要な限度で事実認定等を行うにすぎない。殊に民事訴訟においては、私的自治の原則が妥当することから、真実の解明が要請されているわけですらない。ごく初歩的な常識だが、どうしても意識が薄くなってしまう。

中村一成『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して』(岩波書店、2014年)は、こうした傾向に対する自戒の念を新たにさせる一冊であった。

ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して

ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して

 

同書は、在特会らの京都朝鮮第一初級学校(以下、「第一初級」という。)に対するヘイトデモをめぐる闘いの軌跡を描いたルポである。

この事件については、私も過去、判決をもとに、具体的にはどのような行為がなされたのかを簡単にまとめる記事を書いた。この記事ないしそのもととなった判決が事件のいわば骨格を示すものだとすれば、同書はその骨格に肉付けを行うものであると言えよう。

在特会らのヘイトデモに対して被害者らが刑事告訴にふみきるまでの葛藤や、ヘイトデモによって変わってしまった近隣住民との関係などについての描写も、私にとっては従来あまり意識することのなかった視点を提示するものであり、有意義だったが、本記事では、在特会によるヘイトデモのきっかけとなった、第一初級の公園「不法占拠」に関する報告を紹介したい。

同書によれば、第一初級の公園利用には協定があった。

集住地域ゆえに運動場のなかった第一初級は、公園をグラウンド代わりに使い始めた。このことについて、1963年ごろに京都市、近隣自治会連合会、第一初級の三者間で協議が行われ、数度にわたる交渉の結果、公園の「西南側入り口門を中心に金網を張り、南側に児童遊具を作り、現在使用中の部分は学校側で継続使用しても問題ない」との内容で協定が成立したのだという。この協定について確認できないとする京都市側の説明に対して、同書は主に以下のような事実を挙げて反駁する。

  • 協定の約5か月前の段階で、公園をフェンスで南北に分けた図面を京都自身が作成していること
  • 第一初級の50周年や60周年の記念式典はこの公園で行われ、京都市や市教委の代表者も臨席していること

事案を詳細に把握しているわけではないので責任ある判断はできないが、少なくとも第一初級の公園使用にはそれなりの経緯があった、という程度のことは言ってよいのではないか、というのが私の感想だ。なお、第一初級はバザーの収益で公園に鉄棒とブランコを寄贈し、1991年には市から感謝状を贈られたこともあるという。第一初級と地域との関係は必ずしも悪いものではなかったことがうかがえる。

こうした公園使用の経緯については、とりあげられる機会が少ない。しかし、上記のような事実があるとしたとき、第一初級による公園使用を「不法占拠」の一言で片づけることができるのか、そしてまたそのような経緯のある問題に対して、外部の者が軽々に介入することが適当なのか*1、ということについては、いま一度考える必要があるのかもしれない*2

なお、第一初級は、平成21年7月の段階で、翌年1月末までに、公園に設置したサッカーゴール等を撤去することを約束している。そしてこのことは、ヘイトデモに参加した在特会会員の一人が事前に確認していた。それにもかかわらず、ヘイトデモは決行されたものである。これらの事実が判決において認定されていることを、最後に強調しておきたい。

*1:なお、本件において在特会らが実際に行ったような権利侵害を伴う行為が許されないものであることは当然である。ここでいうのは、仮に権利侵害等を伴わない穏当な方法で介入が行われたとして、なおそれが適当と言えるのか、という問いである。

*2:なお、この問題提起はなんらかの結論を示唆するものではないことを、念のため付言しておく。難しい問題であり、私自身態度を決めかねている。