どう見ても「ホモ」ネタ

以下の記事に接した。

『ドラえもん』でLGBT差別な表現が……この時代にまだ「同性愛はキモい」と発信するか?! | ヨッセンス

2018年8月3日に放送された『ドラえもん』が、LGBTへの差別意識を助長する酷い内容だったという。私はその回を視聴していないが、上記記事が問題にしているのは、てんとう虫コミックス22巻に収録の「ジャイ子の恋人=のび太」を元にした話のようだ。これは「ジャイ子のび太を好いていると誤解したジャイアンが、妹ジャイ子の恋を成就させるべく、のび太に(ジャイ子への)アプローチの指導を行う」というような筋なのだが、上記記事は主として以下の点を問題視している*1

ジャイアンのび太ジャイ子に告白させようと、練習するシーンです。

 

その練習をのび太ジャイアンが空き地でやってたんだけど、それをスネ夫が見て「オゲー!」ってなる描写

 

なにがひどいかと言うと「男が男を好き」ということを意図的に笑いに転換させていること

事情を知らずにのび太ジャイアンの告白練習を見たスネ夫が「オゲー! 」ってなる、という描写がいわゆる「ホモ」をネタにしている、との指摘だ。上記記事中で紹介されているクロスさんのツイート*2が使用している放送のキャプチャー画像を見る限り、少なくとも告白練習の場面あたりはおおむね原作と同じ流れで話が進んでいるようであり、そうであるならば指摘は妥当だろう。

この点に関して、2018年8月13日現在、スネ夫が驚いたのは告白対象が男だからではなくジャイアンだからだ、しずちゃんジャイアンに告白してもスネ夫は驚くだろう、とするid:fockさんのブックマークコメント*3が人気を集めているが、さすがに無理のある解釈だと思う。

理屈で言えば、id:ChieOsanaiさんが指摘するように*4しずちゃんの告白を目撃してもスネ夫は「オゲー! 」とはならない、ということになるだろうし、そんな小難しいことを考えるまでもなく、告白練習の場面を普通に見れば、あれがいわゆる「ホモ」をネタにしていることは一目瞭然だろう。だからこそ、クロスさんの上記ツイートのリプライ欄には「(悲報)ドラえもん、深夜ホモ漫画になる」といったツイート*5が現れるし、問題の放送当時の感想と思しきツイートを探してみても、「何だこのホモアニメは…(困惑)」「ホモ回だったか」といった類のもので溢れている(ほぼそれ一色と言ってもよいほどだ)。原作ではスネ夫にセリフはなく驚愕の表情を見せるのみなのだが(藤子・F・不二雄の「驚愕の表情で笑わせるテクニック」は本当にうまいと思う)、それでも私はかつて原作を読んだ際、あの場面を明確に「ホモ」ネタとして受け取り、笑った(それは自覚なき差別であると指弾されても仕方がないと思う)。

fockさんやそれに賛同する方は、どのような立場をとるにせよ、あれが本当に「ホモ」ネタでないと思うのか、いま一度自問してもらいたい。誤解をおそれずに言うが、私はあれを「ホモ」ネタでないという方々に、大好きな『ドラえもん』を汚されたと感じている。とても腹立たしい。もしも自身の主張のためにあのような妙な解釈をされているのであれば、そうした作品を歪めるようなまねは、どうかやめてほしい。

さて、告白練習の場面が「ホモ」をネタにしていることを前提としたうえで、これをどうするべきか、というのはなかなか難しい問題だ。私は、少なくとも漫画については基本的に修正の必要はないと考えている。『藤子・F・不二雄大全集』の末尾には、「読者のみなさまへ」という、作中の差別表現等についての藤子・F・不二雄プロ及び小学館の考え方を記した文章が収められているのだが、私も大筋においてこれに同意するからだ。この文章は巻によって若干内容が異なるのだが、ここでは「ジャイ子の恋人=のび太」が収録されている『藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん 7』のものを引用する。

 本全集では、作品が描かれた時代の意識をそのまま読者に伝え、歴史的事実と作品の生まれた社会状況を正しく把握することが、藤子・F・不二雄の作品を正しく捉え、評価することであるとも考え、できるだけ当時のまま掲載することを基本に編集いたしました。

 

 もちろん、差別的表現に対する指摘については、真摯に受け止めると同時に、あらゆる差別や偏見をなくすために努力していくことが、藤子・F・不二雄の漫画創作の底辺に流れる志に添うものであると信じております。

 また、作者がすでに故人で、第三者が手を加えることは、著作者人格権上の問題ともなりかねず、改訂は最小限にとどめることが、こういった問題を考えていく上で最も適切な処置であると考えます。 

作中の差別表現等についても時代的制約をふまえたうえで正面から向きあうことが作品の正しい評価に資する。また、すでに亡き作者の意向をふみにじることとならぬよう創作物として尊重する必要もある。さらに付け加えれば、過去の差別・偏見をなかったことにすることと、差別・偏見をなくすこととは別でもあろう。漫画についてはこの考えでよいとしても、アニメについてはどうか。『ドラえもん』のアニメは、いちおう原作があるとはいえ、あくまでもこんにちの社会において新たに作られるものである。その中で、差別や偏見を助長するような表現をどの程度まで許容するべきか。原作をどの程度まで尊重するべきか。結局は個々の事案で判断していくしかない、難しい問題となるのだろう。

今回の放送については、問題となっている箇所がまさに一番大きな笑いのポイントであり、下手にいじると作品の魅力が大きく損なわれかねないため、もし修正するならばかなり難しい課題となることが予想される。一方で、差別・偏見としてはそこまで露骨というわけでもないため、私個人としては、いちおう現状のままでよいのではないかな、と思っている。ただしそれも、あくまでも今回の放送が差別・偏見を助長しかねない内容であるとの指摘を真摯に受けとめ、傾聴したうえでのことである。上記記事への反応*6の中には目を覆いたくなるような罵詈雑言も見られるが、修正にまで同意するかどうかはともかくとして、指摘に対して誠実に耳をかたむける姿勢はもちたいものだ。 

ドラえもん 22 (てんとう虫コミックス)

ドラえもん 22 (てんとう虫コミックス)

 
ドラえもん 7 (藤子・F・不二雄大全集)

ドラえもん 7 (藤子・F・不二雄大全集)