「主権」の意味

伊勢崎市議会議員伊藤純子の以下のツイートに接した。 

私は地方議員にあまり高い知的水準を求めるのもいかがなものかと思っており、今回のツイートについてもそこまで厳しく批判をするつもりはないのだが、しかしいちおう公務員には憲法尊重擁護義務が課されているところでもあるし*1、個人的に少々懐かしい話題でもあるので、簡単にだけふれておきたい。

「主権」という語は、一般に3つの異なる意味で用いられる。芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第5版、2011年)39頁より引用する。

主権の概念は多義的であるが、一般に、①国家権力そのもの(国家の統治権)、②国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、③国政についての最高の決定権、という三つの異なる意味に用いられる。

統治権、最高独立性、最高決定権。この「主権」の意味の見きわめはいわゆる短答プロパーであり、統治分野の中では最頻出の部類に属する知識なので、憲法の短答式(択一式)試験を受ける者であれば、誰もが真っ先に押さえるところだ。それぞれ有名な例を1つずつ挙げておくと、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とするポツダム宣言8項*2の「主権」は統治権の意味、憲法前文が「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」というときの「主権」は最高独立性の意味、憲法1条が天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基く」というときの「主権」は最高決定権の意味である。

以上をふまえて伊藤のツイートに戻ると、このツイートは、前半では統治権の意味での「主権」を説明し、後半では「主権」が国民にあるかどうか、つまりいわゆる「主権在民」「国民主権」のコンテクストで用いられる「主権」について論じているように見える。そして、上記「主権の存する日本国民の総意に基く」の例からも明らかなとおり、「主権在民」「国民主権」というときの「主権」は最高決定権の意味である。そうすると伊藤のツイートは、前半で統治権の意味での「主権」について説明しながら、後半では最高決定権の意味での「主権」について論じている(ように見える)ということになる。つまり、「主権」の意味の見きわめが全くできていない(ように見える)のだ。伊藤のツイートに頓珍漢な印象を受けるのは、このためである。

*1:憲法99条。

*2:http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html