川崎市新条例はなぜ日本人へのヘイト(笑)を罰しないのか

はじめに

前回に引き続いて、ヘイトスピーチへの対策等を定めた川崎市の新条例*1についてお話しします。

周知のとおり、本条例が刑事罰の対象としているのは「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動です*2。今回は、「なぜ本邦外出身者への言動だけが対象なのか」という点について説明したいと思います。

立法に際して注意するべき点

まず前提として、立法をするに際しては次の2点(だけでもないのですが)に注意する必要があります。
1点は関連法令との整合性に意を用いること。そしてもう1点は、立法事実による裏づけを確保することです。

2点目については、少し説明しないと分かりにくいかもしれませんね。立法事実とは、ある法の立法目的およびそれを達成する手段の合理性を裏づける社会的・経済的・文化的な一般事実のことです*3。大変おおざっぱな言い方をしてしまえば、次のようなことです。すなわち、ある法を制定するためには、そうした法がぜひとも必要だと言えるような社会状況にあることが求められる。ここで、「そのような社会状況にあること」が立法事実である、というイメージです。立法事実がないのに、法を制定して人びとの権利を制約してしまうことは許されません。

関連法令との整合性

ヘイトスピーチ解消法

たとえば、いわゆるヘイトスピーチ解消法を見てみましょう。同法は、正式名称を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」といいます。この正式名称からも分かるように、同法は少なくとも一次的には、「本邦外出身者」に対する差別の解消を目指すものです。

ところで、この「本邦外出身者」については同法2条に定義があり、「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」をいうとされています。同法の審議過程では、このような定義だとアイヌ民族等が「本邦外出身者」に含まれないこととなり、こうした者への差別を容認するものとも読まれかねないとの問題意識に基づくものと思われる指摘が、共産党の仁比聡平からなされました。これに対して、発議者の一人である自民党西田昌司は次のように答えています*4

まず、いわゆるこのヘイトスピーチですけれども、現在も問題となっているヘイトスピーチ自身は、いわゆる人種差別一般のように人種や人の肌とかいうのではなくて、特定の民族、まさに在日韓国・朝鮮人の方がターゲットになっているわけですよね。ですから、そういう立法事実を踏まえて、この法律に対して対象者が不必要に拡大しないように、立法事実としてそういう方々が中心となってヘイトスピーチを受けているということで、本邦外出身者ということを対象として限定しているわけでございます。

ここにおいて西田は、同法(案)が在日韓国・朝鮮人ヘイトスピーチの標的になっているという立法事実をふまえて対象を本邦外出身者に限定した旨を明言しています。そして同法は、附帯決議において、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであることが確認されたものの、「本邦外出身者」という文言やその定義については、一切変更を加えられることなく成立しました(なお、附帯決議がなんらの法的拘束力も有しないのは周知のことかと思います)。

以上のとおり、ヘイトスピーチ解消法は、在日韓国・朝鮮人に対する深刻な被害が発生しているという立法事実をふまえて、対象を「本邦外出身者」への差別に限定したものだったのです。

川崎市新条例

そして、今般成立した川崎市の新条例が、このように対象を「本邦外出身者」への差別に限定したヘイトスピーチ解消法をふまえたものであることは明らかです。

本条例では、「不当な差別的言動」や「本邦外出身者」といった重要な用語についてヘイトスピーチ解消法の定義に従っていますし*5、本条例11条ではより直截に、市が「法4条2項に基づき」*6市の実情に応じた施策を講ずることにより、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消を図る旨を規定しています。

こうしたヘイトスピーチ解消法と本条例との関係性に照らせば、本条例がひとまず刑事罰の対象をヘイトスピーチ解消法に倣って「本邦外出身者」への一定の差別的言動に限定したのは、自然なことと言ってよいでしょう。

立法事実

さらに、本条例を制定した川崎市には在日コリアンの集住地域があり、彼らを標的としたヘイトデモがくりかえされてきたという経緯もあります。

たとえばヘイトスピーチ解消法が成立*7するまでの3年間を見てみると、平成25年に3回、平成26年に4回、平成27年に3回のヘイトデモが、川崎市で行われているようです*8

さらに最近でも、平成30年6月、在特会*9の元会長桜井誠通名)を党首とする日本第一党の最高顧問瀬戸弘幸が立ち上げた団体が川崎市の教育文化会館で集会を開こうとし、反対する市民らとの間で激しいもみ合いになった事案があります*10。なお、この団体は、その後同年12月*11、翌平成31年2月*12にも差別的言動を行わないよう同市から「警告」を受けながら、同市の公の施設において集会を開いています。

このように、川崎市は他所と比べても特に本邦外出身者の被害が深刻な自治体なのです。今回の条例は、こうした立法事実に鑑み、特に「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動に限って、刑事罰の対象としたものと考えられます。

言うまでもないことですが、本条例は表現の自由憲法21条1項)に対するかなり強度な制約です。ですから、その対象となる行為はできるだけ限定する必要があります。そうした見地からすれば、刑事罰の対象となる行為を「本邦外出身者」に対する一定の差別的言動に限ったのはむしろ自然で、立法事実が存するわけでもない者に対する言動まで対象としていれば、それこそ違憲の疑いが濃くなっていたでしょう。日ごろ「君の意見には反対だがそれを主張する権利は命をかけて守る」とおっしゃっているような方々は、「日本人に対する差別表現*13の自由までは制約されなかった」と喜ぶべきところだと思います。当然のことですが、念のため。

まとめ

本条例が「本邦外出身者」への(一定の)言動のみを刑事罰の対象としている理由は、以上のとおりです。まとめると、

  • ヘイトスピーチ解消法が対象を「本邦外出身者」への差別に限定していることとの整合性
  • 川崎市において、特に「本邦外出身者」が深刻な被害を受けているという立法事実

の2点ということです。

本条例の附帯決議について(蛇足)

蛇足ながら、最後に本条例の附帯決議について軽くコメントしておきます。

本条例では、自民党から附帯決議案が出されており、その中には当初次のような文言がありました*14

本邦外出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、本邦外出身者のみならず、日本国民たる市民に対しても不当な差別的言動が認められる場合には、本条例の罰則の改正も含め、必要な施策及び措置を講ずること。

これは、以下のように修正されたうえで可決されました。

本邦外出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、本邦外出身者以外の市民に対しても、不当な差別的言動による著しい人権侵害が認められる場合には、必要な施策及び措置を検討すること。

修正は主に3点。

まず、当初は「不当な差別的言動が認められる場合には……措置を講ずる」とされていたのが、「不当な差別的言動による著しい人権侵害が認められる場合には……措置を検討する」と改められた点。これは、立法事実としてきちんとしたものを求めるという趣旨でしょう。

次に、当初は「本条例の罰則の改正も含め、必要な施策及び措置を……」とされていたところ、「本条例の罰則の改正も含め」との文言が削除された点。これは上記のとおり表現の自由に対する強度の制約となる罰則については、慎重に臨む必要があるとの考慮に基づくものでしょう。

そして最後に、「日本国民たる市民」が「本邦出身者以外の市民」に変更された点。この変更の意味するところは、本記事を読んでこられた方なら容易に了解できると思います。修正後の文言は、ヘイトスピーチ法解消法の制定過程において問題となった「アイヌ民族等への差別」を明確にフォローしているのです。

これらの修正は、おおむね妥当なものだと思います。特に「日本国民たる市民」から「本邦出身者以外の市民」への修正は良いですね。すでに指摘した「アイヌ民族等への差別」のフォローという点で良いのはもちろんですが、感覚的にも、「日本人差別」という類の言葉は、一部の人びとによって反差別をくさしマイノリティを攻撃する道具に貶められてしまっている印象があるので、そうした言葉を避けているという点でも気分が良いです。

*1:川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例。

*2:本条例12条ないし14条、23条、24条。

*3:芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第5版、2011年)372頁参照。

*4:平成28年4月19日参議院法務委員会における発言。

*5:本条例2条、12条参照。

*6:なお、ここに「法」とはヘイトスピーチ解消法を指します。本条例2条参照。

*7:平成28年5月26日。

*8:前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体 ―共犯にならないために―』(三一書房、2019年)15頁の「川崎市のヘイト・スピーチ関連略年表」を参照しました。

*9:在日特権を許さない市民の会

*10:https://www.kanaloco.jp/article/entry-31089.html

*11:https://www.kanaloco.jp/article/entry-39949.html

*12:https://www.kanaloco.jp/article/entry-149154.html

*13:(笑)。

*14:なお、附帯決議案については、当初のもの、修正後のものともに、自民党川崎市議会議員矢沢たかお公式サイトの記事「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例の制定について④」(https://yazawa-t.jp/kawasakishijinkenjyourei-4/ )中で紹介されているものを参照しました。