明確性なんていらない(いる)

はじめに

献血ポスターの話自体にはあまり興味がないのですが、先日来「過度に性的」をめぐって理解の足りないコメント等をたびたび見かけるので、この種の問題を語るうえで最低限必要な知識について簡単に説明しておきたいと思います。そもそもどういう話かについては、さしあたり以下のまとめを参照してください。

宇崎ちゃん献血ポスター批判派の「過度に性的」は言語化されていない - Togetter

要するに、献血ポスターを批判する者は、「過度に性的」であることを問題視しているようだが、「過度に性的」とはどのようなことをいうのか言語化されていない。規範を明確にするべきだ、という主張ですね。

そもそも、「過度に性的」であることを問題視している、という前提自体が誤訳に基づく誤った理解ではないか、との批判もなされているようですが*1、その点については本記事では扱いません。本記事では、原理的に規範というものを完全に明確化することはできないのだという話、そしてその結果として、規範に求められる明確性はそこまで高いものではないのだという話をします。

規範の明確性を徹底することはできない

まず理解してほしいのは、規範が不特定多数に向けられたルールだということです。そして、不特定多数に向けられたものである以上、その内容がある程度抽象的、つまり不明確になってしまうことは避けられません。

何でもいいですが、たとえばヘイトスピーチを禁止するルールを定めることになったとしましょう。このとき明確性だけを考えるのならば、たとえば「『○○人は殺せ』と言ってはいけない」というように、具体的な言動を挙げるのが最も紛れが少なく分かりやすい方法です。

しかし、このようなルールだと対応しきれない事態が無数に生じうることは、すぐに分かると思います。たとえば○○人でなく「××人は殺せ」ということは上記ルールになんら抵触しませんし、「○○人は犯せ」ということについても同様です。こうしたバリエーションはいくらでも考えられ、その全てをカバーしたルールを作ることはおよそ不可能です。

そこで実際にこうした言動を禁止する場合には、ある程度抽象化して、たとえば「特定の民族・国籍に属する者に対して危害を加えるとする発言をしてはいけない」というようなルールとすることになるでしょう。こうしたルールにすれば、「危害を加える」とは具体的にはどのようなことをいうのか等は若干分かりにくくなる(明確でなくなる)ものの、「○○人は殺せ」だけでなく「××人は殺せ」や「○○人は犯せ」、さらにその他のバリエーションにも対処することが可能になるからです。

以上のとおり、多様なケースへの対処を可能にしようとすれば、規範はある程度抽象的で不明確なものとならざるを得ません。まずはこのことをきちんとふまえる必要があります。

判例が求める規範の明確性の程度

そうは言っても、規範が不明確だと、自分がしようとしている行為が許されるかどうかの判断ができないなど、いろいろと不都合も生じます。ですから規範には、さまざまなケースに対処することができるだけの抽象性を保ちつつ、同時に明確でもあることが求められるのです。

それでは、規範に求められる明確性とはどの程度のものなのでしょうか。この点に関して、俗に徳島市公安条例事件と呼ばれている最高裁昭和50年9月10日大法廷判決を見てみましょう。これは、集団示威行進に参加したAが、集団行進者に対して、マイクで呼びかけるなどして蛇行進をするよう刺激を与え、もって交通秩序の維持に反する行為をするよう煽動したなどとして徳島市の集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、「条例」といいます)3条3号、5条違反等で起訴された事件です。条例3条3号、5条を引用しておきましょう。

(遵守事項)

第3条 集団行進又は集団示威運動を行うとする者は、集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため、次の事項を守らなければならない。

(1) (略)

(2) (略)

(3) 交通秩序を維持すること。

(4) (略)

 

(罰則)

第5条 第1条若しくは第3条の規定又は第2条の規定による届出事項に違反して行われた集団行進又は集団示威運動の主催者、指導者又は煽動者はこれを1年以下の懲役若しくは禁錮又は5万円以下の罰金に処する。 

本件では、主として「交通秩序を維持すること」という要件の明確性が問題とされました。このような一般的、抽象的な文言ではいかなるものをその内容として想定しているのか不明確であるから、罪刑法定主義を保障した憲法31条に違反し無効だというのです。なお念のために確認しておきますが、本件で問題となっているのは刑罰法規です。刑罰法規は、刑罰というきわめて強力な手段によってその実効性を確保しようとするものですから、その内容が不明確で判断できないということになると、人びとのこうむる不利益も大きなものとなってしまいます。そのため、一般に刑罰法規については、規範の中でも最も高い明確性が要求されます。このことをふまえて、本件における裁判所の判断を見てみましょう*2

しかし、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といつても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

最高裁判所大法廷はこのように述べたうえで、条例3条3号について、「道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解される」とし、通常の判断能力を有する一般人が具体的場合において自らのなそうとする行為がかかる禁止に抵触するかどうかを判断することはさして困難ではないとして、違憲無効の主張を退けました。

すでに述べたとおり、本件はデモ行進等を規制する条例中に遵守事項として挙げられた「交通秩序を維持すること」 との文言の明確性が争われたものです。ここで注目してほしいのは条例がデモ行進等の規制にかかるものだということ。そもそもデモ行進は、通常は車両の運行に供される車道を多人数で行進するものなので、これを行うこと自体が一定程度の交通秩序の阻害を伴います。だからこそ、デモ行進に際しては警察官が動員され、交通整理やデモ隊の誘導等が行われるのです。

こうしたことをふまえれば、「交通秩序を維持すること」との文言が明確性との関係ではらむ問題が、いっそう分かりやすくなるのではないでしょうか。まず、もともと「交通秩序を維持」という文言自体、抽象的で明確性を欠く憾みがあることについては、問題なく了解していただけるでしょう。しかしそれだけにとどまらず、あらゆるデモ行進は一定程度交通秩序を阻害するのだから、どれだけ静穏に行われるデモ行進であっても「交通秩序を維持」していない(そもそもできない)ということに、理屈上はなり得ます。そうすると、すべてのデモ行進は条例に反することになるのでしょうか。そうでないとすれば、許される程度の交通秩序の阻害と許されない程度の交通秩序の阻害とがあることになりますが、条例の文言中にその判断基準はなんら示されていないようにも思えます。あるいはこう言い換えてもよいでしょうね。「交通秩序を維持すること」という遵守事項に反するような過度な交通秩序の阻害とはなにかについて言語化されておらず不適切ではないか、と。うーん、どこかで聞いたような???

こうした問題に対して最高裁判所大法廷が出した答えは、すでにご紹介のとおりです。すなわち、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準」 であれば明確性の原則に反するとは言えない。そして、「交通秩序を維持すること」という文言はそうした判断が可能な基準なので明確性の原則に反しない、というものでした。これは噛み砕いて言えば、常識のある人なら条例の基準で分かるからオッケーということです。すでに述べたとおり、刑罰法規は最も高い明確性が求められる規範です。しかし、その刑罰法規においてさえ、求められる明確性はこの程度のものなのです。

おわりに(おわらないかも)

以上、規範の明確性について簡単に説明してきました。今回取り扱った具体例は公権力が定めた刑罰法規という最も高い明確性が要求されるもののみであり、書くべきことはまだ(少なくとも本記事と同程度の分量の記事1本以上くらいは)あるのですが、若干長くなってきたのでいったんここで切りたいと思います。

いずれにせよ、現在のネットでは規範の明確性を声高に求める人ばかりが目立っているように思えます。じっさい明確性は重要ではあるのですが、規範というものの性質上、それを徹底することなどできないこと、そして刑罰法規においてさえそこまで高い明確性が求められておらず、ネットで声高に叫んでいる人びとのようなレベルで明確性を求めるのは、現実味のない「お花畑」な主張であることを理解していただけると幸いです。

*1:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1466097

*2:引用者において一部太字強調を施しました。