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「押しつけ憲法」論は誰も問題にしていないのか

はじめに

マッカーサーの書簡が発見されたということで、いわゆる「押しつけ憲法」論をめぐって多くのコメントが寄せられている。

はてなブックマーク - 東京新聞:「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料:政治(TOKYO Web)

私自身は、条項の発案者が誰であれ、日本国憲法が有効に成立したとの結論は揺るがないと考えており、また今回の書簡が憲法9条の発案者を明らかにするうえでどれだけの意義を有するかという点についてもやや懐疑的なのだが、それはともかく、こうした話題で散見される「日本国憲法が押しつけかどうかなどどうでもいい(誰も問題にしていない)」といった類のコメントについてはかねてより問題があると思ってきたところであるので、この際記しておくことにする。なお、参考までに同種の話題における過去の反応も紹介しておく。

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「誰も問題にしていない」わけはない

まず、あまりにも当然のことだが、「押しつけ憲法」論を「誰も問題にしていない」などということはありえない。特に昭和29年7月の自由党憲法調査会における松本烝治の証言以降は、「押しつけ憲法」論が根強く主張され続けてきたことは周知の事実である。

また、仮にこうした経緯を知らなかったとしても、論理的に考えれば、「押しつけ憲法」論を「誰も問題にしていない」などということが考えにくいのは明白だ。冒頭紹介したコメント群が寄せられた元記事は、その見出しからもうかがわれるとおり、「押しつけ憲法」論に対する反論を補強しうるものとして「憲法9条は幣原が提案した」とするマッカーサー書簡の発見を報じているところ、反論の対象となる議論が存在しないのに反論だけが存在することなどありえない、すなわち「押しつけ憲法」論を問題にする者がいてはじめて、それに対する反論は提出されるからである。

「主流派は問題にしていない」という程度の意味であると解した場合

冒頭で紹介した類のコメントについて、「押しつけ憲法」論を「改憲勢力の主流派は誰も問題にしていない」という程度の意味であると好意的に解釈しても、やはり問題は残る。

「主流派は問題にしていない」とすら考えにくい

まず、「押しつけ憲法」論を「改憲勢力の主流派は誰も問題にしていない」とすら考えにくい、すなわち、「改憲勢力の主流派」(≒自由民主党)はおそらく「押しつけ憲法」論を「問題にしてい」るであろうことを指摘せねばならない。

自由民主党の使命

現総裁の安倍晋三が時折口にするとおり、憲法改正自由民主党結成以来の党是である。占領終結後、「押しつけ憲法」を排し自主憲法を制定することで真の独立を実現するべしという保守派の主張の高まりの中、昭和30年、憲法改正を唱える自由党民主党が合同し*1自由民主党は結成された。こうした経緯で結成された自由民主党は、結成以来憲法改正を掲げ続けており、その動機に「押しつけ」への反発が色濃く滲んでいることは、例えば結成時に発表された「党の使命」*2を見ても明らかである*3

国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。

思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。(略)初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。

このように、少なくとも「改憲勢力の主流派」(≒自由民主党)は、「押しつけ」を排し「自主独立」を実現することを「使命」としているものと考えられる。なお、「押しつけかどうかなどどうでもいい(誰も問題にしていない)」という方の多くは、「近時の社会情勢の変化に対応できていない」ことを「問題にしてい」るように見受けられる*4が、上記のとおり自由民主党は、60年以上前から憲法改正を掲げ続けているのだから、「近時の社会情勢の変化」は同党が改正を主張する主たる動機とは考えがたいこともあわせて指摘しておきたい。

自由民主党の近時の動き

改憲勢力の主流派」(≒自由民主党)が「押しつけ憲法」論を「問題としてい」るであろうことは、憲法改正をめぐる近時の動きからもうかがうことができる。

平成24年の政権復帰以降、自由民主党改憲への動きを強めているが、具体的にどの部分を改正する必要があるのかという点については煮え切らない態度をとり続けている。ひところは憲法の改正要件にかかる憲法96条の改正をにおわせていたが、「裏口入学」との批判を受けると途端に表立った主張をやめた。近時は緊急事態条項の新設を打ち出しているものの、「どの条文をどのように変えるかは今後の議論によって収斂していく」として、あくまでもこの点にかかる明確な発言は避ける構えだ*5

本来、なんらかの事態に対応するために必要であると考えて憲法改正を唱えるのであれば、たとえば近時の○○という社会情勢の変化から、△△という条項を新設する必要がある、××という既存の条項を修正する必要がある等、「どの条文をどのように変えるか」ということは当然当初から明確にされるはずのものである。それを行わない自由民主党の唱える憲法改正の主張は、結局のところなんらかの必要性に迫られてのものと言うよりは改正それ自体を目的とするものであり、そのように改正それ自体を目的とするのは、日本国憲法が押しつけられたものであることを問題視している、すなわち「押しつけ憲法」論を「問題としてい」るためであると考えるのが自然であろう。

また、自由民主党が平成27年4月に発行した『ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?』*6という漫画は、「なぜ憲法を改正するの?」「憲法改正でどうなるの?」「国民投票ってどんなこと?」「みんなで考えよう!」という4つの章から成っているが、そのうちの「なぜ憲法を改正するの?」の章でもっとも大きく取り上げられているのは、「日本国憲法の基を作ったのがアメリカ人」だということである*7。つまり、自由民主党自身が憲法改正を行う大きな理由のひとつとして「アメリカ人が(短期間で)作ったこと」を挙げているのであって、この点でも同党が「押しつけ憲法」論を「問題にしてい」ることは明らかなものと言える。

安倍の発言

現総裁の安倍も、たびたび日本国憲法が「押しつけ」 的なものである旨の発言をしている。

たとえば、平成27年11月28日に行われた創生「日本」の会合では、「憲法改正をはじめ占領時代につくられた仕組みを変えることが(自民党)立党の原点」との発言があったようである。また、これは以前にも紹介した平成28年2月4日に開かれた衆議院予算委員会での大串博志の質問からの孫引きとなるが、安倍は『安倍晋三対論集 日本を語る』の中において、日本国憲法について、「左翼傾向の強いGHQ内部の軍人たちが、(略)短期間で書き上げ、それを日本に押し付けた」と述べているとのことだ。さらに、平成12年5月11日に開かれた衆議院憲法調査会では、日本国憲法が、「私たち日本人の精神に大きな影響を、この五十年間に結果として及ぼしているんではないか、このように思います。強制のもとで、ほとんどアメリカのニューディーラーと言われる人たちの手によってできた憲法を私たちが最高法として抱いているということが、日本人にとって、心理に大きな、精神に悪い影響を及ぼしているんだろう、私はこのように思います。」とさえ述べている*8

「アメリカ人の作った憲法のせいで日本人の精神に悪い影響」云々の発言に至っては、もはや常軌を逸している観さえあるが、ともあれ自由民主党の現総裁である安倍も明確に「押しつけ憲法」論を「問題にしてい」るのであって、この点でも「改憲勢力の主流派」(≒自由民主党)が「押しつけ憲法」論を「問題としてい」ることがうかがわれる。

小括

以上のとおりであるから、自由民主党は「押しつけ憲法」論を「問題にしてい」ると考えられるため、「押しつけ憲法」論を「改憲勢力の主流派は誰も問題にしていない」と言うこともできない。

仮に「主流派は問題にしていない」が事実だったとしても

そして、仮に「押しつけ憲法」論を「改憲勢力の主流派は誰も問題にしていない」のが事実であったとしても、「押しつけかどうかはどうでもいい(問題にしていない)」といった類のコメントを「押しつけ憲法」論を否定する側に寄せるのはやや筋違いとなる場合もあることには留意するべきである。

「押しつけかどうかはどうでもいい(問題にしていない)」とのコメントは、多少なりとも批判のニュアンスを含みうる。すなわち、「押しつけかどうかなどという本質的でないことを問題にするべきでない」との否定的評価を含意しうるのであり、実際寄せられたこの種のコメントにも批判的な論調のものが少なくなかったように思う。

しかし、たとえ主流でなくとも現に「押しつけ憲法」論が主張されており、それが誤っているのだとすれば、論拠を示してこれを否定するのは当然であって、なんら批判されるべきことではない。むしろ、傍流としてであれ「押しつけ憲法」論を主張する側に対してこそ、「そのような本質的でないことを問題にするべきではない」との批判は向けられるべきなのである。したがって、些末な問題を殊更に争点化することへの批判として「押しつけかどうかはどうでもいい(問題にしていない)」といった類のコメントをする場合、それは「押しつけ憲法」論者に対して行うべきであり、「押しつけ憲法」論を否定する者に対して行うのはやや筋が違うと言うべきであろう。

おわりに

以上、「日本国憲法が押しつけかどうかなどどうでもいい(誰も問題にしていない)」といった類のコメントについて、思うところを述べてきた。私とてその逐一を仔細に検討したわけでもなく、すべてを言下に否定し去るつもりもないが、この種のコメントをされる方におかれては、そもそもそれが正しいかどうか、そして(当該コメントを批判としてされる場合には)批判を向ける相手が適切か、ということについて、いま一度確認していただければ幸いである。

*1:いわゆる保守合同

*2:https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/#sec08

*3:引用者において省略し、あるいは太字強調を施した部分がある。

*4:その当否は今は措く。

*5:参考:http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160712/ddm/005/010/192000c

*6:https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/pamphlet/kenpoukaisei_manga_pamphlet.pdf

*7:この漫画の内容自体もおおいに批判されるべきものであると考えるが、本記事では扱わない。

*8:以上の安倍の各発言について、引用者において適宜省略し、あるいは太字強調を施した。