「差別ではあるよね」で合意できない理由

以下の記事に接した。

せめて「差別ではあるよね」で合意できないのか

女性専用車両を設けることに賛成はするが、それが差別だと認めろ」という主張だ。大きな反響を呼んでいるが、これから述べる点をもう少し意識すれば、理解が容易になるのではないかと思う。あまり実りのある話題でもないように思うので、簡潔にまとめたい。

女性専用車両を設けることが差別でないとする理由は、ほぼ「差別は悪いものだから」ということに尽きるものと思われる。より分かりやすく述べるならば、「差別」という語は、「不当である」という否定的価値判断を含むものであるから、不当ではない女性専用車両の設置を差別とは言わない、ということだ。そして、このような「差別」という語についての理解は、一般的であり、正しくもある。例えば、デジタル大辞泉は、「差別」について以下のように説明する*1

  1. (略)
  2. 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
  3. (略)

上記記事も、女性専用車両の設置に一定の合理性を認め賛成だとするのだから、これを不当だとは考えていないのだろう。そうだとすれば、上記記事も結局のところ、女性専用車両の設置を一般的な用法における差別にあたるとは認識しておらず、女性専用車両を設けることは差別でないとする者との間にさしたる差はないのではないだろうか。見解にさして相違もないのに、一般的でない語用を行いその語用自体をめぐって争うというのは、ばかばかしいことだ。私があまり実りのある話題でもないと思う所以である。

*1:引用者において一部太字強調を施した。