はじめに
以下の記事を読んだ。
摂食障害と万引きとの関係が注目されるのは喜ばしいことだ。
私は「摂食障害の部分症状としての万引き」を特に窃盗症(クレプトマニア)と分けて考えてはいないので、上記記事とは少し立場が異なるのかもしれないが、少しでも議論に資することを願って、窃盗症について記しておくことにする。
窃盗症は、精神障害の一種であり、DSM-5によれば、その診断基準は以下のようなものである。
- 個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される
- 窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり
- 窃盗に及ぶときの快感、満足、又は開放感
- その盗みは、怒りまたは報復を表現するためのものではなく、妄想または幻覚への反応でもない
- その盗みは、素行症、躁病エピソード、または反社会性パーソナリティ障害ではうまく説明されない
このような窃盗症患者の「窃盗」は、司法においてどのように扱われているのだろうか。
不法領得の意思
周知のとおり、窃盗罪とは他人の財物を窃取、すなわちその所持を侵害して自己または第三者の所持に移転する犯罪である(刑法235条)。
ところで、窃盗罪が成立するためには、他人の財物を窃取することについての認識・認容(故意)だけでは足りず、不法領得の意思が必要であると解されている。不法領得の意思とは、「権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」のことである*1。
したがって、このような一般的理解を前提とするならば、窃盗症患者による「窃盗」については、不法領得の意思を欠き窃盗罪の成立を論じる余地がないのではないか、ということが、本来は問題となるはずである。上記診断基準のとおり、窃盗症患者の「窃盗」は、「個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもな」しに行われるため、「経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思」に欠けるものと見る余地があるからだ。
もっとも、この点を裁判で争う弁護士はあまりいないだろう。というのも、実際には、窃盗症患者も、盗品を個人的に使用する(つまり、経済的用法に従って利用処分する)のであり、ただその主たる動機が衝動制御の問題にあるというにすぎないからだ*2。私が軽く調べた範囲では、窃盗症患者による「窃盗」で不法領得の意思が問題となった裁判例は見当たらなかった*3。
責任能力
そこで、次に問題とされるのが責任能力である。
第三十九条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
このように、刑法は、心神喪失者の行為は罰せず、心神耗弱者の行為はその刑を必要的に減軽することとしている。
ここに心神喪失とは、精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力のない状態をいい 、心神耗弱とは、精神の障害がまだこのような能力を欠如する程度には達していないが、その能力が著しく減退した状態をいう*4。
そうだとすれば、「窃盗」を行った当時、窃盗症患者は心神喪失または心神耗弱の状態にあったと見る余地がある。上記診断基準のとおり、窃盗症患者は、「物を盗もうとする衝動に抵抗できなくな」って「窃盗」を行うものであるため、「精神の障害により」理非善悪の「弁識に従って行動する能力」がないか、または著しく減退した状態にあったことが疑われるからだ。
この点、裁判例では、窃盗症患者の「窃盗」が、店員の目を盗んで商品を持ち出そうとするものかどうか、という点が特に重視されているようだ*5。店員の目を気にするということは、事物の理非善悪が弁識できているということであるし、店員に見つかりそうであれば「窃盗」を中止するつもりである以上、理非善悪の弁識に従って行動する能力(行動制御能力)にも欠けるところはないという理屈である。したがって、およそ犯行の発覚を意に介さず堂々と「窃盗」が行われたような場合には、心神喪失や心神耗弱の可能性が慎重に検討されることとなる*6。
しかし、当然のことながら、他人の目をまったく気にせずに「窃盗」が行われるなどというケースはきわめてまれである。また、上記のとおり、「窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり」が窃盗症の診断基準の一つとされているところ、このような緊張は犯行の発覚をおそれるがゆえに生じるものと思われる。そうだとすれば、窃盗症患者においても、犯行の発覚をおそれて店員の目を気にするのはむしろ自然であって、店員の目を気にせず「窃盗」が行われるようなケースこそが例外的なものであると考えられる。
結果、「窃盗」を行った当時、窃盗症患者が心神喪失や心神耗弱の状態にあったとする主張が、裁判で容れられることはほとんどない。
情状
最後に、窃盗症は、情状として問題になる。完全責任能力が認められるとしても、窃盗症が犯行に一定程度の影響を与えていたのであれば、そのことは、量刑上有利に考慮されるべきであると言い得るからだ。
この点は、前二者以上に事案ごとの相違が激しく、一般化して語ることは甚だ困難であるが、傾向としてはさほど大きく考慮されていないように思われる。というのも、窃盗症患者が行うような軽微な万引き事案では、処遇がかなり定型化されているからだ。
万引きを行った者は、はじめは微罪処分や起訴猶予とされ、裁判にかけられることもないが、回を重ねると罰金刑や執行猶予つきの懲役刑を科されることになる。そして、執行猶予中にさらに万引きを行えば、いかに被害が軽微であれ、多くの場合懲役刑の実刑が科され、再度の執行猶予(刑法25条2項)を獲得することはかなり困難なのだ。
こうした処遇の定型化は、窃盗症が情状として大きく考慮されにくいという傾向を生み出す要因となり得るものだ。つまり、窃盗症患者は、当然その精神障害のために「窃盗」をくり返しており、前科前歴があることが多い。そしてこのような事実が上記のとおり量刑上きわめて重く評価されるため、窃盗症が犯行に影響を及ぼしたという事実をもって、こうした評価を覆せるケースは多くない、ということだ。
おわりに
以上、窃盗症患者の「窃盗」が、司法においてどのように扱われているかを簡単に説明してきた。
すでに述べてきたところからも明らかなとおり、司法においては、窃盗症であることが十分に考慮されているとは言い難い状況にあるように思われる。窃盗症が精神障害の一種であることを理解し、これを治療するという観点をより重視していく必要があるものと考える。
*1:最高裁判所昭和26年7月13日第二小法廷判決(http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/799/056799_hanrei.pdf)。
*2:この点、東京高等裁判所平成25年7月17日判決で参照された医師の意見書の内容が参考になる。
*4:大審院昭和6年12月3日判決(刑集10巻12号682号)。
*5:あくまでも「特に」ということであって、他にも考慮するべき要素が種々あることは言うまでもない。
*6:たとえば、大阪高等裁判所平成26年10月21日判決(http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/953/084953_hanrei.pdf)と東京高等裁判所平成25年6月4日判決とを対照。