本当に「被害者の立場から」死刑存置を主張しているのか

先日の記事を書いていて、死刑存置論者の被害感情に対する姿勢について、残念に感じたやりとりを思い出したので、記しておく。平成26年4月に沖縄で行われたシンポジウムにおける、釜井景介と本江威憙とのやりとりである*1

〇釜井氏

……被害者の遺族の方が裁判のときに死刑を求め、死刑判決が出されたとして、果たしてそれによって被害感情というものは癒やされているのか、死刑判決後の被害者の遺族の状況等については何か御存じかという質問が出されています。この点について、本江先生、何かコメントいただけますでしょうか。

〇本江氏

死刑の執行が行われた後の被害感情というのは、私は実際には聞いたことがありません。私が聞いたのは、おおむね犯罪直後、あるいは犯罪から相当たっていても犯人が検挙された時点での被害者の遺族の声をたくさん聞いたというだけであります。

〇釜井氏

被害者遺族に対する判決後あるいは刑の執行後のフォローといったことについて、本江先生が検察庁で勤務された当時、法務省検察庁内部でいろんな検討をされたといったことはなかったでしょうか。

〇本江氏

執行後のことについては、私は内部でも何も聞いていません。

同シンポジウムで質疑応答の進行役を務めていた釜井が、元最高検察庁公判部長で、同シンポジウムにおける死刑存置論講演者であった本江に対して、死刑判決後の被害者遺族の状況等についてたずねた。死刑判決によって、多少なりとも被害者遺族の被害感情はおさまるのかという趣旨の質問である。

これに対する本江の回答は、そのようなことについてはまったく何も知らないという趣旨のものである。死刑判決後であれ、死刑執行後であれ、それによって被害者遺族の被害感情が少しでも癒やされたかどうかなどまったく知らない。そうしたことについて調べようという動きが法務省検察庁内部であったかどうかさえ知らないというのである。

呆れたものだ。

死刑存置論者のなかには、死刑廃止論者に対して、「殺された側の痛みに思いを馳せろ」だとか、「遺族の苦しみを考えろ」だとかいうようなことを、ややもすれば道理の分からぬ者に説いて聞かせるかのような口調で述べたてる者もある。本江自身も、同シンポジウムでの講演において、以下のように述べていた。

近親者の100%近い人が、やはり犯人に対する死刑を求めているという現実がある。死刑廃止論を唱える方はまず、このことをしっかり受けとめ、たくさんの死刑になった事件記録をお読みになって、あるいはたくさんのこの種の事件の法廷を傍聴されて、こういう被害者の遺族たちの苦しみを、叫びを、まず体感してから、静かに死刑を存続していくか、廃止するべきか考えるべきではないでしょうか。

「被害者の遺族たちの苦しみを、叫びを、まず体感」するべきだとする本江の主張は正当である。被害者遺族の苦しみを完全に理解することはできないにせよ、 ともかくもそれと真剣に向き合おうという姿勢がなければ、死刑廃止の主張は人間性を欠くものとなってしまう。そのようなことは、本江に指摘されるまでもなく、誠実な死刑廃止論者であれば全員十分に自覚し、葛藤している。ところが、「被害者の遺族たちの苦しみを、叫びを、まず体感」するべきだとする当の本人は、死刑が被害者遺族たちの苦しみを少しでも癒やしているのかどうかなどまるで知らないというのである。これでは笑い話にもならない。

「元検事としては、やはり被害者の立場からものを言い、これを世の中に伝えていく責務を負っている」

講演の冒頭で述べた本江の言葉が空しく響く。

 

被害感情の鎮静は重要な課題である。だからこそ、これが加害者を吊るすための口実として体よく利用され、十分に果たされないなどということのないように願う。

*1:同シンポジウムの反訳は、『判例時報』2264号6頁以下に収められている。