反「死刑廃止派」のための死刑廃止論
萱野稔人『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書、2017年)を読みました。
死刑廃止論についての理解が浅いように思える箇所も多く、決して手放しで評価できるような本ではありませんでした。特に以下の記述などは失笑もの*1。
死刑反対派はみずからの寛容さこそ道徳的に高尚であるという思い込み(もしくは思い上がり)をすてなくてはならない。
まずは萱野自身に「死刑反対派はみずからの寛容さこそ道徳的に高尚だと思い込んでいる」 などという思い込みをすててもらいたいところですね。そういう人もいるのかもしれませんが、少なくとも死刑に関する法的議論をふまえたうえで廃止を唱えている者の大半は、「寛容」や「赦し」として死刑廃止を求めているわけではないでしょう。少なくない場合において極刑に処されるような者は決して許すことができない*2と思いつつ、しかしそのような者であっても人間である以上生命に対する権利(人権)があるのだから、ゆえなく*3その権利が侵害されるべきではないとして死刑廃止を主張しているのです。
こうした記述からもうかがえるとおり、やたら(従来の)死刑廃止派に対する見当違いな(と私には思える)敵意が目につく本書ですが、しかし本書は結論として死刑廃止を主張しています。きわめて大ざっぱにまとめると、本書は、
- 死刑の犯罪抑止力は証明されていないこと
- 道徳的な見地からは死刑の問題に決着をつけられないこと
を論じて、死刑問題は政治哲学的な観点から考察する必要があるとします。そして、そのような観点からの考察として、
- 冤罪が単なるミスではなく構造的な問題であること
などを指摘し、
- 死刑と同等(以上)の「厳しさ」をもつものとしての終身刑の導入
によって死刑廃止の可能性を探るべきだと主張するものです。
このうち、死刑の犯罪抑止力が証明されていないというのは重要なところです。この点について、「死刑の犯罪抑止力を科学的、統計的に証明することは困難である」とする答弁書*4 や国連が発表した同旨の研究結果などが紹介されているのはよいと思います。
また、足利事件などをとりあげて冤罪が単なるミスではなく構造的な問題であることを指摘しているのもよかった。たとえば基本的に取調べでは、本人が供述を望んでいるかどうかにかかわらず、取調官は被疑者等に働きかけて供述を得ようとするものです。そして積極的に供述しようとしていない者をそうした働きかけによって供述させることは、真実でない供述を引き出してしまうリスクと不可分です。もちろん違法性のある厳しい取調べの方が虚偽供述を生む危険は大きいでしょうが、違法適法にかかわらず、取調べ自体がそうした危険性を内包しており、その危険性は取調べに熱心に取り組むほどに高まる。そうである以上、冤罪は単なるミスではなく構造的に不可避なものとして、刑事制度に織り込んで考える必要があります。その帰結として、取り返しのつかない死刑という刑罰――それ以外の刑罰については、本人への補償等がある程度可能です――は避けるべきなのです。本書はこの点についてなかなかよく考察できていたと思います。
手放しで評価することはできないものの、本書には上記のような見るべき箇所もあり、箸にも棒にもかからないというものでもありませんでした。また、死刑廃止の主張に反感を抱いているような層に対しては、むしろ本書のような論調の方が共感を得やすいのかもしれない、という気もします。死刑廃止の世論を形成するためには死刑廃止派ではなく死刑存置派にリーチする必要があることを考えれば、本書はあるいは私のような者が思う以上に価値ある一冊なのかもしれません。