死刑事件と上訴

私は、以前の記事において、さしあたりわが国が目指すべきは、死刑事件における手続保障の充実である旨を述べた*1。今回は手続保障との関連で、死刑事件においては上級審での審理を必要的なものとするべきではないか、ということについて述べたい。

周知のとおり、わが国の刑事裁判では、未確定の判決に不服がある場合、上級裁判所に対し、控訴や上告を申し立てて、判決の取消しや変更を求めることができる*2控訴・上告の申立権は、検察官・被告人のほか、被告人の法定代理人または保佐人、原審における代理人または弁護人にも認められる*3。もっとも、被告人の法定代理人または保佐人、原審における代理人または弁護人については、被告人の明示の意思に反して申立てを行うことはできないとされる*4。そして、控訴・上告の申立権は、上訴期間の徒過や、上訴の取下げ等によって消滅することが規定されている*5。このような制度は、当事者の意思を尊重しつつ、慎重な審理を行いうる体制を確保することによって実体的真実の解明と刑罰法規の適正かつ迅速な適用を実現することを目的として構築されたものである*6

刑事裁判においても、当事者の意思が尊重されるべきことは勿論である。ただ、特に重大事件において、判決言渡直後の被告人は、正常な精神状態にないことも多い。捜査段階からの身体拘束や厳しい取調べ。また、公判廷においては、検察官は言うに及ばず、証人として出廷した被害者やその関係者、さらには裁判官からさえ、ときとして厳しい言葉を投げかけられ、その様子が衆目にさらされる。こうした手続を経て、自らの環境を大きく変えるような重い判決を受けた被告人が、混乱し、過度な自責の念に捉われ、あるいは自棄的になってしまったとしても、驚くにはあたるまい。また、被告人の中には、知的障害が疑われる者も少なくない。受刑者の約22パーセントが知能指数70未満であり、測定不能の4パーセントを含めると、4人に1人は知的障害の疑いがあるというセンセーショナルな情報が、社会的にも大きな反響を呼んだことは、記憶に新しい*7。こうした被告人の状態もふまえれば、上訴の取下げを行うか否かという重大な判断については、弁護人等の十分な援助の下に、慎重になされることが望ましい。

ところが現実には、被告人は必ずしも 弁護人等の十分な援助を受けられる状況にあるわけではない。弁護人の選任は審級ごとにすることとされており*8、移審の効力は上訴の申立てによって生じる。したがって、上訴の申立てがなされてから上訴審において弁護人が選任されるまで、被告人には弁護人がいないこととなるのである。安田好弘「必要的上訴の確立を」*9より引用する。

ところで、控訴を申し立てると、その瞬間に手続的には、一審がそこで終わるんです。判決の時に一審が終わるんじゃなくて、控訴申し立てによって一審が終了するんです。一審が終わるということは、一審でついていた弁護人が弁護人としての資格がなくなるということでもあるのです。ですから、その時点から、控訴審で新しい弁護人が選任されるまでの間は、一般に一、二カ月を要しますが、弁護人のいない状態が続くわけです。

現状では、こうした弁護人のいない状況下で被告人自身によって上訴の取下げがなされる可能性も存するのであって、当事者の利益を保護するという観点からはきわめて問題があるものと言わねばならない。また、弁護人が選任されている場合でも、それをもって十分だとすることはできない。上記のとおり、被告人は正常な精神状態にない場合も多く、弁護人と十分なコミュニケーションをとれないまま、上訴を取り下げてしまうというケースもあるからである*10。そして、ひとたび上訴を取り下げてしまえば、これによって上訴権は消滅し、判決は確定する。上訴取下げが無効とされうるのは、その内容に不服があるのに、判決の衝撃や審理の重圧に伴う精神的重圧によって拘禁反応等の精神障害を生じ、その影響下において、苦痛から逃れることを目的として取下げを行ったというような、きわめて限定的な場合のみである*11

このような問題は、特に死刑事件において鮮明にあらわれる。上述のような検察官等からの非難が、死刑事件のような重大な事件において、よりその度合いを増すことは当然であるし、死刑という最高刑が言い渡されることによって被告人が受ける衝撃が、他の刑の場合よりも格段に大きいであろうこともまた論を俟たない。また、死刑事件の場合には、上訴取下げ等を行うにあたって、特別の問題も生ずる。すなわち、他の刑が言い渡された場合、早期に判決を確定させて刑に服することは、自らの犯した罪に真摯に向き合い、更生して社会復帰を目指すうえで 、被告人自身にとっての利益ともなりうる。しかし死刑判決が言い渡された場合、わが国における最高刑を言い渡すこの判決を確定させることは、原則として自らの生命に対する権利という最も重要な権利を失う(もちろん更生や社会復帰もあり得ない)との結果を確定させることを意味する。その意味で、死刑判決に対する上訴取下げ等が、被告人自身にとっての利益ともなりうるなどというケースは、ほとんど考えられないのである。

ここまで縷々主張してきたものの、被告人が正常な精神状態にない場合も多い、ということについて、いまひとつ実感できないという向きもあろうかと思う。多少精神的に不安定であっても、自ら上訴の取下げ等を選択した以上、それによって判決が確定することもやむを得ないのではないか、と。そこで最後に、一つの事実を紹介したい。1993年以降の死刑確定囚(被執行者、獄死者を含む)の人数と、上訴を行わず、または上訴を取り下げたために死刑判決が確定した者の人数である*12。 

1993年3月26日以降の死刑確定囚は、257人。そのうち、上訴を行わず、または上訴を取り下げたために死刑判決が確定した者は41人*13である。

つまり、死刑確定囚の約16パーセントは、上訴を行わず、または上訴を取り下げたことによって、死刑判決が確定したものだ、ということになる。上記のとおり、死刑判決に対する上訴取下げ等が、被告人自身にとっての利益となることなどほとんど考えられないことをふまえれば、異常な割合というほかない。死刑判決を受けた被告人(の少なからぬ部分)がいかに不安定で混乱した精神状態にあるかということは、こうした事実からも明らかであろう。

以上のとおり、殊に死刑事件において、上訴についての判断を十分な援助もないまま全面的に被告人に委ねてしまうことはきわめて危険であるところ、現状では残念ながら被告人の上訴についての判断を十分に援助する体制が整っているとは言えない。また、刑事裁判は、実体的真実の解明や刑罰法令の適正な実現等をも目的とするものであるところ、被告人が自棄的になって多くを語らぬまま上訴取下げ等に及べば実体的真実の解明という目的が損なわれるおそれがあるし、過度に自責の念に捉われ情状事実の主張を潔しとせず黙したまま上訴取下げ等に及べば(他の事件の刑罰との均衡を欠くという意味で)刑罰法令の適正な実現という目的が損なわれるおそれもある。刑事裁判が上記のような公益的な目的を有するものであることに照らせば、少なくとも死刑事件において、上級審での審理を必要的なものとすることが検討されても良いのではないだろうか。

*1:そして、手続保障の充実に伴う費用の増大によって、死刑制度も廃止の方向へ向かうのではないかとの見込みを示した。

*2:刑事訴訟法372条、同法405条。

*3:刑事訴訟法351条1項、同法353条、同法355条、同法414条。

*4:刑事訴訟法356条、同法414条。

*5:刑事訴訟法359条、同法360条、同法373条、同法414条。

*6:刑事訴訟法1条参照。

*7:http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2012-12/05.htmlなど参照。

*8:刑事訴訟法32条2項。

*9:年報・死刑廃止編集委員会編『死刑囚監房から 年報・死刑廃止2015』(インパクト出版会、2015年)126頁以下に収録。2015年7月8日、参議院議員会館で行われた「上川陽子法相による死刑執行に抗議する集会」での発言。

*10:したがって、医療やケアの専門技能を有する者の協力を得られる体制の構築等が図られるべきであろう。

*11:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/166/050166_hanrei.pdf参照。なお、死刑判決に対する上訴取下げのケース。

*12:フォーラム90作成の「93年3.26以降の死刑確定囚」年報・死刑廃止編集委員会編『死刑囚監房から 年報・死刑廃止2015』(インパクト出版会、2015年)223頁以下によった。

*13:なお、この他に控訴を取り下げたものの無効とされた者1人がある。