井上武史の不思議な主張

不思議な主張

井上武史の以下の記事を読んだ。

憲法論議の正常化は可能なのか - 井上武史(九州大学大学院准教授) (1/2)

井上は、与党に対する「立憲主義違反」との批判に対し、その内実にまったく立ち入ることなく、このような批判は無意味であるとする。不思議な主張である。

立憲主義違反」との批判の当否はどのように検討されるべきか

当然のことだが、「立憲主義違反」との批判が妥当であるか否かを検討するにあたっては、まず「立憲主義」という語の意味を確認しておかねばならない。この点、井上は「立憲主義」の定義を明確に提示することのないまま論を進めるので、さしあたり本記事では、「憲法によって政治権力の行使を枠付けて、その恣意的行使を防ぐ思想・実践」*1をいうものとしておく。そうすると、「立憲主義違反」との批判は、「与党のふるまいは、憲法によって認められた(枠づけられた)範囲を潜脱して権力を行使せんとするものである」ことをいうものであると理解できよう。

こうして解きほぐせば(本来は解きほぐすまでもなく)明らかなとおり、「立憲主義違反」とは、「与党のふるまい」に対する、憲法が認める範囲を潜脱して権力を行使せんとするものであるとの否定的評価である。そして、かかる評価の当否を判断するためには、批判者が問題としている個別具体的な「与党のふるまい」を検討することが不可欠である。批判者が最も問題視しているのは、むろん憲法改正を経ない集団的自衛権行使の一部容認であろうが、それ以外にも自民党が発表した憲法改正草案からうかがわれる憲法観や、憲法53条*2に基づく要求にもかかわらずついに臨時国会が開かれなかったことに代表される国会運営のあり方等、批判対象は多岐にわたり、こうした数々の「与党のふるまい」に共通して見られる態度を明快に表現するものとして、「立憲主義違反」という語は用いられている。したがって、「立憲主義違反」との批判の当否を検討するという作業は、こうした多岐にわたる「与党のふるまい」の逐一を、地道に検討していくことに他ならないはずだ。

ところが、井上はこうした個々の「与党のふるまい」について何一つ触れないまま、「立憲主義違反」との批判を無意味だと断じるのである。理解しがたいというほかない。あるいは井上は、これら個々の「与党のふるまい」が批判されるべきものであることは自明の前提としているのだろうか。同記事の以下の記述*3からはそのように読み取ることもできそうであり、それならば十分に理解できる。

立憲主義違反」という言明は、(略)現行憲法が権力を統制しきれていないこと、つまり権力を統制するのに憲法規定が足りないことを告発するものである。そうすると、今後同じことが起こらないように、また、どのような政権にも妥当するように、憲法の規定の点検やその不足・不備の是正が、安保法への立場を超えた共通の課題として取り組まれるべきであった。

ただしそうであるならば、「与党のふるまい」が批判されるべきものであることを当然の前提としている旨は明記しておくべきだろう。同記事は終始「立憲主義違反」との批判をくさすものであるため、この点を明記しないと誤読されても仕方がないと考える。

立憲主義の語が本来の用法で用いられていない」という批判

ところで井上は、なんら資料等を示すことのないまま、「立憲主義とは、ある国の憲法や政治体制が権利保障と権力分立という本質的要素を含んでいるかを点検するための概念であり、政権の行為や特定の政策を批判するため用いられるものではない。」と断定する。このような根拠資料を伴わない断定を直ちに信用することなど到底できない*4

しかし、仮にこれが事実であったとしても、上記のとおり、「立憲主義違反」との批判が何を言わんとしているのかは容易に了解可能である。したがって、その言わんとするところを「立憲主義違反」として主張することでいかなる具体的な弊害が生ずるのか、ということを指摘しない限り、それは「従前の用法と異なる」という業界内部でのスコラ的な議論にとどまるし、具体的な弊害が生ずる場合であってさえ、それは「立憲主義違反」を別の表現に置き換えれば解決する問題であり、議論の本質にまで影響するものではない。

以上のとおりであるから、井上の「立憲主義の語が本来の意味で用いられていない」との批判は、現状では根拠がまったく示されていないものと評せざるを得ず、仮に今後十分な根拠が示されたとしても、これをもって現在なされている与党への批判が「無意味」などということにはまったくならない。

まとめ

以上、井上の記事に対する若干の疑問点等を記した。もっとも、すでに述べたとおり、同記事には論旨のとりがたい部分があり、現時点でこれをとりあげることにあまり意味はないのかもしれない。

*1:今村仁司三島憲一・川崎修編『岩波社会思想事典』(岩波書店、2008年)323頁[犬塚元]。

*2:「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

*3:引用者において一部省略・強調した。

*4:もっとも、「立憲主義」という語が政治体制に言及する際に多く用いられるであろうことは容易に想像がつき、その限度では異を唱えるものではない。私が疑問を呈するのは、「立憲主義」という語を、特定の行為や政策を批判するために用いる例が存しないのか、という点である。