低能先生が残した問題(2)

低能先生と一般ユーザーとの差

前回の記事で、低能先生の悪罵はほとんど総叩きといってよいほどに厳しく指弾されているものの、彼程度の悪罵を投げつける者ははてなにはいくらでもいる旨を述べた(だから問題ないということではもちろんなく、他人事のような顔をして低能先生を批判する方々も自らを省みられてはいかがかという話だ)。そうであるとすれば、低能先生と一般的なはてなユーザーとを決定的に分かつものはなんだったのか。それはやはり、IDコールの乱発、ということになるのだろう。

はてなには、IDコールという機能がある。これは、はてなブックマークコメントやはてなブログにおいてはてなユーザー○○に言及する際、「id:○○」と記述することによって、当該ユーザーに通知が送られるというものだ。低能先生はこの機能を利用して、多数の方に対してIDコールを行っていたようだ。このような行為は一般的なはてなユーザーは行わないし、コールされた方にとってわずらわしく感じられる場合もあろうことも容易に予想される。今回被害にあわれたid:hagexさんは、1日に7回もコールされたことがあるという*1。いかなる経緯でそのようなことになったのか存じあげないが、一般論として、日に7回ものコールというのは少々多きにすぎ迷惑行為と判断されても仕方のない場合もあるだろう。こうしたIDコールの乱発が、彼に対する「荒らし」という評価を基礎づける重要な要素となっていることは確かなように思われる。

IDコールの意義

一方で、被言及者への言及通知は、本来批判されるようなものではない。私自身、ブログ記事等において他者に言及する際には原則としてIDコールを行っているし、他者が私に言及する際にはIDコールをあわせて行ってくださることを希望する*2

およそ議論は、批判者等との双方向的な意見の応酬を通じて発展し果実をもたらすものである。批判された者は、批判されたことを知らなければ、自身の誤りを正すことができないし、批判の方が誤っている場合に反論することもできない。批判対象のあずかり知らぬところで行われる批判は、相手に反論の機会を与えぬまま自己満足に浸る、自慰的な行為であると言ってよい。したがって、原則として批判を行う際にはそのことを批判対象に知らしめるべきであり、むしろ批判対象に知らせることなく批判を書き捨てるような態度こそ、「陰口」などとして責められるべきものであるはずだ。

以上のとおりであってみれば、低能先生が言及時に行うIDコールは、ある面においては、まっとうな行為であるとさえ言えなくもない。 

低能先生が戦ったもの

そうであるにもかかわらず低能先生のIDコールが問題とされるのは、おそらくはその量の多さゆえなのだが、ではなぜそのように多数のIDコールを行ったのか。それは、彼が戦ったのが「ネットリンチ」であったためだと思われる。 

ここにネットリンチとは、たとえば△△速報や××ニュースといったまとめサイトが行っている晒し上げのようなものだ。どこからか非常識な言動などを見つけてきて、これに対して多数によっていっせいに攻撃を加える。ポイントは「多数によって」という点で、この数の力によって言説に変質が生じるのである。これは、学級会での吊るしあげを想像していただければ分かりやすい。「甲は掃除をさぼっていて良くないと思います」との発言がなされたとする。この発言自体は穏当な批判にとどまるものと言ってよいだろう。ところが、これに追随して教室中の者が口々に同旨の発言を甲に対して行ったとしたらどうか。彼らの発言は、個々に見ればいずれも穏当なものであるにもかかわらず、それがいっせいになされることによって暴力性を帯び、ときには穏当な批判の範疇を逸脱することさえあるだろう。これが数の力による言説の変質ということだ。

はてなブックマークにおいては、記事に対する反応が一覧として表示されるため、かかる言説の変質が生じやすい。またはてなブックマークコメントの100字という文字数制限や「お気に入り」というSNS的機能*3のためか、ちょっと気の利いたコメントを仲間内で交わしあうというくらいに考えている者が多く、批判者として批判対象に向きあうという当事者意識がやや希薄でもある。その結果として、はてなブックマークは、構造的にネットリンチが発生しやすい状態となっているのである。

そして、低能先生が発生したネットリンチと戦うとき、その批判対象は当然ネットリンチに参加した(と彼が判断する)全員となるため、IDコールも多数とならざるを得ない、ということではないだろうか。

はてなブックマークがはらむネットリンチ誘発の危険については私も由々しき問題であると思う。私自身は、ぐだぐだと悩み続けた挙句、他者批判については基本的にすでにあるブックマークコメントにはてなスターをつけることで態度を示し、新たな視点を提示するのでない限り自らコメントをしない、という微温的な方針をとっているが、それが唯一の選択肢だとはまったく思わない。ひとたびネットリンチ的な状況が発生した場合これに加担している者らに対してIDコールを行うことも、上述した批判を批判対象に知らしめるという意義のみならず、当事者意識の希薄なはてなブックマークユーザーを否応なくネットリンチの当事者として状況に向きあわせるという意義をも有する1つの選択肢ではあるようにも思われるのだが、これをIDコール乱発として禁止するべきなのかどうか。難しいところだ。もっとも私はすでに述べてきたとおり低能先生の具体的な言動についてはほとんど存じあげていない(漏れ聞くところではかなり無差別の通り魔的なIDコールだったようでさえある)ので、これは低能先生の個別具体的な行動から離れた一般的な問題ではあるが。

おわりに

以上、2回にわたり今回の事件に関連する問題について述べてきた。1つは、口汚いののしりを低能先生のみの問題として処理してしまってよいのかということ(前回記事)。そしてもう1つは、はてなブックマークがはらむネットリンチ誘発の危険にどう対処するべきかということである(本記事)。各位において考えを深めていただければ幸いである。

*1:http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825

*2:余談だが、以前私のブログ記事に対してなんらの通知なく言及するブログ記事に接したことがあり、そこではこれでもかというくらい私に対する口汚い評価が連ねられていた。私のブログ記事に対しては、はてなブックマークコメントで悪罵を投げつけるような方もいらっしゃる(自身のブログ記事についたはてなブックマークコメントは、ブログ主が容易に了知できる)のだが、本人のいないところで悪口雑言の限りを尽くすそのブログ主に対して、私はそうしたはてなブックマーカーに対するのとは比較にならないくらい強い軽蔑の念を抱いたことを覚えている。

*3:「お気に入り」に追加したユーザーのはてなブックマークを閲覧することができる機能。

低能先生が残した問題(1)

はじめに

はてなユーザーの関係する大事件が起きてしまった。はてなで「低能先生」と呼ばれていた人物が、id:hagexさんを殺してしまったようなのだ。すでにこの事件については多くの方がコメントを寄せているが、まだ十分にふれられていない点もあるように思うので、私もひと言述べておきたい。

両人に対する私の認識

両人に対する私の認識は、「存在自体は知っているが……」という程度であり、ほとんど知らないといっても差し支えのないようなものではあるが、それでもおぼろげなイメージはあった。予めこの点を明らかにしておかないと不公正かもしれないと感じたので、以下に記しておく。

hagexさんについては、品のない大衆紙のようなブログを運営されている方、という認識だ。ひょっとしたらいくつか記事を読んだこともあるのかもしれないが、少なくとも記憶に残っているものはない。念のため自身のはてなブックマークを確認してみたが、彼のブログ記事は1つもブックマークしていなかった。彼に対する印象は、フラットかややネガティブといったところであった。

低能先生については、短文スタイルで多数人を捌く良くも悪くも匿名掲示板的な人物、という認識だ。もちろん匿名ゆえ本人かどうかは分からないのだが、それらしき人物の書き込みをはてな匿名ダイアリーで何度か見かけていると思う。もっとも、こちらについても具体的な内容について記憶に残っているものはない。彼はIDコールの乱発が問題になっていたようだが、私自身はコールを受けたことはない。彼に対する印象は、完全にフラットであった。

低能先生の悪罵について

2018年6月27日現在、低能先生の言動に対するはてなユーザーの評価は、悪罵をくり返す「荒らし行為」以外のなにものでもない、ということでほぼ一致しているようだ。ほとんどの方が彼の悪罵を厳しく批判しており、私もそれにおおむね同意するものではあるのだが、しかしそれにしても批判者のほとんどが見事なまでの切断処理を行い自らの言動について省みる様子のないことは残念に思う。率直に申し上げるが、決して少なくない数のはてなユーザーが低能先生と大差ないレベルの悪罵を日常的に投げつけている現実に、われわれは真摯に向きあうべきである。

たとえば、本記事の作成にあたり「低能先生」関連の記事を渉猟している際にid:yoko-hiromさんとid:anschlussさんとのこんなやりとりを見かけた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/366527688/comment/yoko-hirom

http://b.hatena.ne.jp/entry/366533130/comment/anschluss

「低能先生の同類は多数おり、それが安倍支持層として社会に影響を与えている」という趣旨のyoko-hiromさんの主張に対し、anschlussさんが「ちょっと何言ってるか分からない」とのコメントを行ったものだが、問題はanschlussさんのコメントに付けられたタグである。確認していただければ分かるとおり、コメントには「パヨク」「キチガイ」のタグが付けられている。これがその名の由来ともなった低能先生のスタンダードな悪罵「低能」といったいどう違うというのか。くり返しになるが、これはあくまでもタイミングよく目にとまったから紹介したにすぎず、この程度の悪罵は、多くのはてなユーザーが日常的に用いている*1

「バカにバカと言って何が悪い」式の開き直りを行う者もよく見るが、こうした者が同じ口で低能先生の誹謗中傷を批判しているのであれば、それは無理解を端的に露呈しているものと評せざるをえないだろう。「相手がバカである」というのはバカと発言する者の主観的な評価にすぎず、低能先生も彼なりの根拠に基づいて「相手は低能である」と評価しているのである。そしてもちろんそれ以前の問題として、そもそも「バカ(低能)」という評価の当否は、基本的に他者へ悪罵を投げつけることの正当性を左右するものではない。

すでに述べたとおり、私も大半のはてなユーザー同様、低能先生の悪罵は批判されてしかるべきものだと考えている。そうであればこそ、はてなユーザー各位におかれては、いま一度自らの言動を省み、改めるべきは改めていただければ幸いである。

次回記事の内容(予定)

本当は一度に書ききってしまうつもりだったのだが、書いているうちに気が重くなってきてしまったので、残りは次回にまわそうと思う。次回記事では主に低能先生が問題視していた「集団リンチ」について述べたいと思うが、例によって気が変わり書かない、ということになるかもしれない。

*1:余談だが、私のブログのトップページにもid:noturmomというユーザーの「雑魚」という悪罵がはてなブックマークコメントとしてつけられている(http://b.hatena.ne.jp/entry/237626966/comment/noturmom)。

別ブログ開設の件

前回記事はホットエントリーにも入り一定の周知を果たせたものと考えているが、2018年5月10日現在、特にご要望をいただいていないため、別ブログの開設は行わないこととする。もっとも、前回記事でとりあげた話題は沈静化するどころか狂騒の度を増しているようだ。一般の方は仕方がないとして、一部法曹までもがこの騒ぎを煽り立てているのには閉口する。しかも実名で。理解しがたい軽挙である。そうした法曹の中で本記事を目にする者がいるならば、自らの行動が、多少なりとも実務に通じた者の目にどううつるか、いま一度よく考えてもらいたい。

「ネトウヨ」による懲戒請求への「反撃」について

以下のような記事を見かけて、このところモヤモヤしていた。

余命ベギラゴン ~懲戒請求を煽る人、煽られる人~ - Togetter

【5分でおさらい】ネトウヨの皆さんが弁護士に集団で懲戒請求中の件 - NAVER まとめ

バカげた懲戒請求を行われた弁護士らが、懲戒請求者に対して訴訟提起を検討しており、懲戒請求者がちょっとした恐慌状態に陥っている、というような話だ。弁護士らは示談金として10万円を提示しているようで、率直に言って弁護士が訴訟をちらつかせて小銭稼ぎのようなまねを行うのはまったく感心しない。その一方で、バカげた懲戒請求が引きも切らないというのもまた事実であり、これに与するようなこともしたくない。どうしたものか。……このような葛藤を抱えていたのだが、今般以下のツイートに接し、自分の中で一応の結論を出した。

やはり無学な者がその知識のなさゆえに狼狽するさまを見ながら放置することは、私にはできない。そこで、私の提供した情報によるバカげた懲戒請求の増加という事態を避けつつ最低限の知識を与えるべく、需要があるならば、公開範囲を私が承認した者に限定した別ブログを立ち上げて、この件に関連する一般的な話を簡単にだけしようと思う。読みたい方は、この記事へのコメントやブックマークコメントにてその旨表明されたい。メールをくださってもよいが、私はあまり頻繁にメールチェックをしないので気づくのが遅れるかもしれないことをご了承いただきたい。

なお、反応が少ない場合には別ブログの立ち上げを行わないこと、立ち上げた別ブログについては承認希望をいただいても私の判断で承認しない場合があること、をあらかじめ申し上げておく。

2018年5月4日追記

id:houjiTさんから以下のようなブックマークコメントをいただいた*1

懲戒請求に関する資料の束がツイッターに挙げられてたけど、アレ見る限り、馬鹿にかけられた迷惑分相当の金をもらいに行くって感じだったな。根拠なく稼ぎと断ずる方が知識なさそう

確かに私がどの程度の学識を有するかという点は気になるところだと思うので、(基本的には過去記事等を読んで各自で判断していただきたいのだが)いちおう司法試験・二回試験に合格している旨を申し上げておく。ただしこの点を明らかにした以上かさねて強調しておくが、仮に別ブログを立ち上げることとなってもそこで行うのはあくまでも「この件に関連する一般的な話」である。

佐川証言プレイバック

佐川宣寿の証人喚問は証言拒否の多さばかりが取りざたされ、証言内容自体も国会を愚弄する悪質なものであったことに必ずしも注目が集まらなかった憾みがある。佐川の立件は見送られる方針であるとのことだが*1、ここで改めて佐川証言のうち私の印象に残ったものをふり返っておく。なお、佐川証人喚問のすべての尋問のテキストは、NHKのサイト*2から入手できる。 

 

最初に前提となる事実を簡単に説明する。平成29年2月24日衆議院予算委員会において、共産党宮本岳志から森友学園と近畿財務局との交渉記録の有無について問われた佐川は、次のように答弁していた。

○宮本(岳)委員 近畿財務局が昨年六月に売買契約を締結した国有地の売却に関する交渉記録も、今言ったように、あるかどうかわからないという答えでありました。

この交渉記録あるいは面会記録、これは全て残っておりますね。

 

○佐川政府参考人 昨年六月の売買契約の締結に至るまでの財務局と学園側の交渉記録につきまして、委員からの御依頼を受けまして確認しましたところ、近畿財務局と森友学園の交渉記録というのはございませんでした。

 

○宮本(岳)委員 いつ廃棄したんですか。

 

○佐川政府参考人 お答え申し上げます。

面会等の記録につきましては、財務省の行政文書管理規則に基づきまして保存期間一年未満とされておりまして、具体的な廃棄時期につきましては、事案の終了ということで取り扱いをさせていただいております。

したがいまして、本件につきましては、平成二十八年六月の売買契約締結をもちまして既に事案が終了してございますので、記録が残っていないということでございます。

ところがその後1年近くが経って、森友学園と近畿財務局との交渉を記録した文書は存在したことが判明する*3。以上をふまえて行われたのが、平成30年3月27日の証人喚問における宮本と佐川との以下のやりとりである。 

日本共産党 宮本岳志議員 日本共産党宮本岳志です。この森友問題、昨年2月15日の私の当院、財務金融委員会の質問から始まりました。いわばこの問題は、この質問を端緒にして私とあなたの間で争われてきたと言っても過言ではありません。

そこで聞くんですが、あなたは昨年2月24日の衆議院予算委員会で、面会等の記録は平成28年6月20日の売買契約締結をもって破棄してると、こういう答弁を私に初めてなさいました。この答弁は虚偽答弁でありましたか。

 

佐川氏 委員おっしゃるとおり、2月半ばから委員のご質問で始まったことでございまして、今のお話の6月20日をもって廃棄をしたという私の答弁は本当、財務省のちょっとここで何回かおわびしておりますように、財務省の文書管理規則の取り扱いをもって答弁したということでございまして、そういう意味で本当に丁寧さを欠いたということでございます。

申し訳ありませんでした。

平成29年2月24日の答弁は虚偽であったかと問う宮本に対して、当時の答弁は文書管理規則の取扱いをもって行ったものだとする佐川。実際に交渉記録の存否を確認し、それが存することを知りながら「存しない」と答弁したならば虚偽である。しかし当時自分が確認したのは(交渉記録の存否ではなく)文書管理規則であり、規則上破棄されることになっていることから「存しない」と答弁したもので虚偽ではない、という理屈だ。

すでに引用したとおり、佐川は平成29年の答弁において、「昨年六月の売買契約の締結に至るまでの財務局と学園側の交渉記録」という個別具体的な案件について、「委員からの御依頼を受けまして確認」したと述べている。そうである以上、確認の対象となるべきは当然交渉記録の存否であり、「確認したのは文書管理規則である」と強弁したうえで「丁寧さを欠いた」の一言をもって片づけることは許されない。さらにそうした確認の結果、佐川は「交渉記録というのはございませんでした」と断言している。仮に確認したのが(実際の交渉記録の存否でなく)文書管理規則であるというならば、確認していない実際の交渉記録の存否について本来断言することなどできないにもかかわらず「存在しない」と断言したことになる。これもまた、「丁寧さを欠いた」ですませてしまってよいことではない。

この後、宮本からの度重なる詰問に対しても、佐川はついに自らの虚偽答弁を認めることはなかった。あまりにも姑息な言い逃れであった。

 

以上、佐川証言のうち私の印象に残った部分をふり返ってみた。煩瑣になるのを避けるため1点にしぼったが、佐川証言にはほかにも多々悪質さを感じるところがあったし、自民党丸川珠代による誘導尋問や、自身で1000文字以上しゃべって佐川は9文字(「間違いございません。」)といった調子で進められた自民党石田真敏による尋問という名の演説など、尋問の側にもまじめに真相を追及する姿勢に欠けるものがあった。残念なところを挙げればきりがない証人喚問であった。証人喚問終了後、「佐川無双」などとはしゃぐ理解しがたいコメントも見かけたが、佐川による姑息な言い逃れは国会ひいては国民を愚弄するものにほかならず、真相追及の姿勢に欠ける尋問もかかる愚弄に加担するものと言わざるを得ない。

*1:https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/040/151000c

*2:https://www3.nhk.or.jp/news/special/sagawa_testimony/

*3:https://www.asahi.com/articles/ASL296H23L29UEHF00F.html

福山雅治や木村拓哉でもセクハラはNG

以下のまとめに接した。

痛いニュース(ノ∀`) : 【悲報】 女性弁護士「福山雅治さんや木村拓哉くんなら、セクハラされてもOK」 - ライブドアブログ

ミヤネ屋という番組において、住田裕子宮根誠司と行ったセクハラ(ボディタッチ)についての次のようなやりとりを紹介するものだ。

住田弁護士 「イヤらしいおじさんが触ってきて『ウフフ』なんて言ったら絶対アウト」

宮根誠司福山雅治さんなら?」

住田弁護士 「そうなんですよぉ。そういう時はOKなんですぅ。一般論としてはダメ」

宮根誠司木村拓哉くんなら?」

住田弁護士 「OK」

宮根誠司男性差別じゃないですか?」

住田弁護士 「そうなんです」

例によって一部から「これでは女性の主観でなんでもセクハラにされてしまう」「オジサンは駄目でキムタクならいいというのは男性差別だ」といった類の声があがっているが、的外れである。

まず前提として、セクハラとされうるのは「性的な言動」のみであるから、「なんでもセクハラにされてしまう」との指摘はあたらない。そして、番組で問題とされているボディタッチが「性的言動」にあたることは厚労省の指針等に照らしても明らかであり、だからこそ住田も「一般論としてはダメ」と明言している。

そのうえで、「性的な言動」を誰からされるかによって受けとり方が異なることは当然である。これを差別だとするのはナンセンスというほかない。この点については、どなたの言葉かは失念してしまったのだが、「(この種の「男性差別」論は)夫とセックスするなら俺にもヤラせろというに等しい」との説明が最も端的にそのおかしさを表現していると思う。

ただし正直なところ、住田が「木村拓哉」「福山雅治」といった個人名を出した問いかけにのってOKとの評価を示したのはいかがなものかと思う。彼らからのボディタッチでもいやだという方は大勢いるということが見えにくくなるし、下品でもある。また、仮にボディタッチされた本人がいやではなかったとしても、過度なボディタッチが周囲の者に対しても不快の念を生じさせ、職場環境が悪化するということは十分にありうるところである。

したがって結論としては、住田は「(私は)キムタクならOK」との趣旨の発言をするべきではなかったし、実際誰であれ職場において不必要なボディタッチをするべきでないということにはなる。

留置権と同時履行の抗弁権

留置権と同時履行の抗弁権との違いがピンとこないという記事を見かけた。

やはり基本的には、条文、判例、基本書をきちんと読みこむというのが大切だろうと思う。当然のことではあるが、条文については意外とおろそかにする方が多い。

一方、こうした作業を経てもなお理解できないことは少なくないというのも、また事実だろう。そのような不理解の多くは、イメージを持てていないということに起因する。物事を理解するうえでイメージを持つことはとても重要である。ここにイメージとは、全体像などを大づかみに把握するためのものであるから、どうしても誤りや不正確な部分を含むことが多い。ところが、基本書等、活字として世に出まわっているものは、基本的に間違ったことは書けないので、イメージを過不足なく伝えられていない。そのため、基本書等を通じての学習だけでは、どうしてもイメージを持てず理解できないという事態が生じてしまうのである。これは、ほぼ活字として世に出まわっているもののみを通じて学習せざるを得ない独学者*1にとっては大きな壁だろうと思う。

以上を前提として留置権と同時履行の抗弁権との違いについて私からコメントしておくと*2、両者がそれぞれどういう権利なのか、ということを意識してみるとよいかもしれない。留置権は、担保物権と言われるように、物権の一種である。これに対して同時履行の抗弁権は、物権ではない。双務契約において対立する両債務の牽連関係から、相手方の請求があった場合に、相手債務の履行があるまでは自身の履行を拒むという形での防御を認めた、拒絶権である。このような違いをイメージとして頭に入れておくと、理解が進むのではないだろうか。

なお、私が見かけた記事はずいぶん以前のものであり、記事を公開された方自身はすでに問題を解決しているであろうから、本記事は、留置権と同時履行の抗弁権との違いについて疑問を持つ方一般を対象としている。

*1:大学で学ぶ者はこの点を講義等の口伝えによってフォローするわけである。

*2:これはつまり、ここでのコメントは正確な説明というよりもイメージを持ってもらうことを目的とする、という趣旨である。