人権とリベラル(2)

人権には大別して自由権参政権社会権の3つがあるが、これらすべてが最初から認められていたわけではない。国家による不当な介入を排除しさえすれば自由競争の中で社会は健全に発展するとの考えのもと、人権はまず自由権としてスタートを切ったと述べました

しかし産業革命の進展する19世紀の社会において、自由競争は極端な貧富の差をもたらし、貧しい人にとって自由とは飢える自由でしかなくなっていきます。これは例えば、低賃金での重労働を、労働者は契約自由の建前上拒めることになっているけれど、それは蓄えのない彼にとって餓死を意味する、というようなイメージです。

そこでこうした状況を克服し、貧しい人も本当の意味で自由に生きていけるようにするために、1919年のワイマール憲法において、はじめて社会権の規定が設けられました。これは自由を単なるお題目に終わらせないための手段を与えるものであり、今やそのようなものとしての社会権もまた自由の一内容をなすと考えられていることはすでに紹介したとおりです(国家による自由)。

こんにちのリベラルは以上のような歴史的経緯もふまえ、自由権参政権社会権のすべてを重視しています。このうち社会権をも重視するという点を「liberal自由主義的)」という語の素朴なイメージからは少々理解しにくいことが、リベラルに対する誤解の一因ではないかとわたしは考えています。

「リベラルは、自由を確保するための手段をも自由の一内容として重視する」

これを押さえておけば、少しはリベラルを理解しやすくなるかもしれません。

参考文献

芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第6版、2015年)