対話の作法

前回記事への反応としてチャタレイ事件に言及するものがいくつかあったのだが、同事件の意義ないし問題点を理解されているかどうか若干疑わしいように思えたので、時間がとれればこれを説明する記事を書きたい。ただ、このところは他にすることがあるうえ、時期的にむしろ君が代の起立斉唱命令について論じたい気持ちの方が強いので*1、結局は書かずに終わってしまうかもしれない。

ともあれ今回は、そうした内実のある話をする前提として、主張のやりとりを行う際に最低限留意してほしい事項を簡単にだけ述べておく。以下の2点である。

  • 自身の主張が相手に正しく伝わるよう心がける
  • 相手の主張を正しく理解するよう心がける

1点目については、私自身も前回記事に関して反省するべき点があると思いながら記している。私は前回記事において以下のように述べた。

本来的には私的領域に属し、公共的利害に関係しない性表現は、これによって政治的意思決定に関与するといった「自己統治の価値」を有するものとは言いがたい。

この一文が間違っているわけではないが、ここで私が「公共的利害に関係しない」との表現を用いたために、人権制約の一般原理たる「公共の福祉」との混同に基づく反応を誘発してしまったことは否めないだろう。「自己統治の価値」との関係で言及している以上、いわゆる「公共の福祉」論と文脈が異なることは自明であろうと安易に考えてしまったが、法教育を受けていない方がしかるべき切り分けをできないのは当然であり、これは私の落ち度である。「公共的利害に関係しない」と殊更に述べずとも文意は変わらないのであるから、この文言は削るべきであった。

2点目について、「相手の主張を正しく理解する」とは、「読みとるべきことを読みとる」ことと「読みとれないことを読みとらない」ことから成るが、失礼ながらいずれもできていない方がかなり多いという印象だ。前回記事への反応を見ても、最初の数行さえ読み通せていないのではないかと思われるものが相当数あったが、これは単純な能力の不足というばかりでなく、最初から相手が誤っているという前提で主張に接していることに起因する部分も大きいのではないかという気がする。主張に対してフラットに接することができればそれが一番良いのだろうが、それが難しいならば実際的な対処法として、まずは「相手が正しく、理解できないのは自身の能力不足が原因である」という前提で主張に接してみることをおすすめしたい。こうした手法は、自身より明らかに学識がある者と主張のやりとりを行うときには特に有効である。わが国では「疑問を持つこと」の重要性ばかりが強調されており、それは確かに重要ではあるのだが、本当に最初の段階では与えられるものを素直に吸収することからはじめる必要がある。守破離の「守」を経ずしてその先のことをやろうとしてもうまくいかない場合が多いということは、心にとどめておいていただきたい。

 

以上、主張のやりとりを行う際に留意していただきたい事項について述べてきた。このような言わずもがなのことを改めて述べるのは気恥ずかしく、申し訳ない気持ちさえあるのだが、しかし重要なことではあるので、ご容赦願いたい。 

*1:去年も論じたいと思いながら他事にかまけ手つかずのまま再びこの時期をむかえてしまった。