具体的に何が行われたかは重要という話など

以下の記事とそれに対する反応に接しました。

「人権派」な人の性加害案件を見て、父の精神的虐待を思い出した話 - 宇野ゆうかの備忘録

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本題に入る前に、とても大事なことを2点述べておかないといけません。

1点目。本記事では宇野さんの父親および広河隆一の言行について言及します。その際の記述は、いちおう宇野さんおよび広河に被害を受けたと訴える女性たちの言い分を前提として行いますが、これは「仮にそうだったとして」という程度の趣旨で、それらの言い分が正しいとするものではありません。

2点目。本記事は宇野さんの上記記事を批判するものではまったくありません。宇野さんが父親の言動等によって本当に苦しい思いをしたことは確かであり、そうである以上そのことについて私などが口を挟むべきでないと思うからです。また、私はいわゆる「#metoo」運動に一定の理解を示すものですが、こうした運動の要諦は、事実が那辺にあるかを探求することにではなく、当事者があげる切実な憤りないし苦悩の声に共感し連帯の意思を示すことで、彼ら・彼女らをエンパワーすることにこそあると思うからでもあります。

さて、以上を前提として本題に入ります。といっても、これから述べるのはいずれも過去に扱ったテーマばかりなので、簡単にコメントを加えたうえで適宜該当の過去記事を紹介するという形をとることにします。

まず気になったのは、宇野さんの父親を広河隆一と並ぶような悪人であるかのように扱う反応が散見されたことです*1。この点についての批判がまったく見当たらなかったことが、本記事作成の最大の動機です。

たしかに、こうして宇野さんが辛い思いをされているのですから、宇野さんの父親も完璧な人間ではなかったのかもしれません。よりよい関係性の築き方が、探せばきっとあったのでしょう。

しかし宇野さんの父親は、宇野さんの記事を前提としてさえ、手をあげることはおろか声を荒らげることすらなく、「不機嫌さによる無言の威圧や、声量は大きくはないが低く鋭い声の調子という、微妙な感情の表出」を行ったというにとどまるようです(もちろん性的虐待も行っていません)。

くり返しますが、これによって宇野さんが辛い思いをされたということを否定するつもりは毛頭ありません。しかし人間、疲れていたり意に沿わないことがあったりすれば、多少機嫌が悪くなったり口数が少なくなったりするのは自然なことです。何があろうと穏やかで公正なふるまいを心がけよ、というのは要求としてかなり高度なものであり、「手をあげない」「大声を出さない」というだけでも、親としてはそれなりの水準に達しているという見方も可能でしょう。少なくとも、三者、宇野さんの父親を、複数の女性に対して性暴力をふるったのではないかとされている広河と同列に論じて悪人扱いするのは、あまりにも宇野さんの父親の人格権を軽視した乱暴な議論であるというべきです。

ネット上では、こうした個別具体的な事例に着目しない乱暴な議論が往々にしてなされます。 「差別」だとか「反差別」だとかいう抽象的なコトバに逃げ込んで実際に起きたことから目をそらしていると大切なことを見落とす、というテーマについては以下の記事で扱いましたので、参照してください。

「ポリコレ棒」について - U.G.R.R.

なお、宇野さんの父親にあるいは見られるのかもしれないある種の甘えの背景には、互いに助けあいあるいは迷惑をかけあう、家族という共同体がかつてのように強固に存在しているといった幻想があるのかもしれません(もちろんそのことは何の免罪符にもなりませんが)。このテーマについては以下の記事で扱いましたので、参照してください。

自由主義が不自由を招く? - U.G.R.R.

もう一つ気になったのは、これもネット上ではよく見かける「ダブル・スタンダード」批判と思しき反応です。つまり、たとえば「人権派を名のりながら人権を抑圧している」という類のもので、これに対して私が発するべきは、突き詰めれば次の一言だと思います。

「それで、あなたはどう考えるのですか」

問題はきわめてシンプルです。仮に人権が抑圧されている状況があるのならば、あなたがその状況を是とするか、非とするか。それだけです。「人権派」なるものがどうであるかは、まったく関係がありません。殊更に「ダブル・スタンダード」を難ずる方というのは、標的を攻撃することにばかり熱心で、自らの立ち位置を明らかにするケースはきわめて稀です。それは自ら責任を引き受けることを回避する、姑息な態度だと思います。

このテーマについてはいくつか記事を書いた覚えがあり、前掲の「『ポリコレ棒』について」もその一つですが、(おそらく)最初に書いたものとしてひとまず以下の記事を挙げておきますので参照してください。

リベラルとダブル・スタンダード - U.G.R.R.

*1:念のために強調しておきますが、私が気になったのはあくまでも「反応」の方であって、宇野さんの記事自体ではありません。