田嶋陽子と私のフェミニスト批判

このところ再評価の兆しがある田嶋陽子の、『愛という名の支配』(新潮文庫、2019年)を読みました。

愛という名の支配 (新潮文庫)

田嶋の代表作、と言ってよいのかどうかは分かりませんが、1992年に太郎次郎社、2005年に講談社+α文庫から刊行され、今回が3度目の刊行ということなので、少なくとも長く読み継がれてきた本だということは言えるでしょう。

本書は、経験に根差した「田嶋のフェミニズム」を語るものです。なので、理論的な面からフェミニズムを概観したいという向きには、必ずしも適しないかもしれません。もっとも、そこで暴かれている女性差別の構造は、ラディカルであるだけに、依拠する理論的立場や時代といった「細かな」ことを越えて、ある種の普遍性を獲得しているように思います。

実際に読んでいただくのが一番よいと思うのであまり詳しい内容にふれるつもりはないのですが、私が本書で最も感心した点だけ書き記しておきます。本書は、「差別によって女性がスポイルされている」ことを明確に認めている。それがなにより素晴らしいと思います。本書44頁以下(「第二章 女はドレイになるようにつくられる」)を引用します。  

たとえば、ハンコ屋さんに行って、おじさんといろいろ話をします。おじさんは、スーツを上手に着こなしたりして、なかなかスマートです。ところが、話の途中で用事を思い出したのか、キッとうしろをふり向くと、とつぜんその笑顔がべつの顔になるときがある。その顔で、「オイ、あれはどこへ行った」と言う。すると、「ン?」とか「ハイ」とか言ったり、ときにはだまってヌウッっと出てくる人がいる。それが私の言う”お化け”なんです。そうやって出てきた人は、だいたい、灰色っぽいか褐色っぽいかエンジっぽいか、そんな色の印象なんですね。くすんだ色の細かい花柄のかっぽう着などを着て、お化粧なんかしていませんから、顔も褐色で。

ハンコ屋のおじさんとその妻。この対比は、もちろん分かりやすい一事例を示すものにすぎませんが、しかし残酷なほど鮮明に、スポイルされた女の姿を描き出していると思います。

人当たりがよくて、オシャレなおじさん。まともな受け答えもせず(できず)、身だしなみにも気をつかわない妻。 両者を比較したとき、能力があるのも、人間として魅力的なのも、多分おじさんの方でしょう。

しかしそうなったのは、妻(だけ)のせいではありません。結婚という制度が彼女を家の奥に押し込め、人前に出てしかるべきふるまいをする機会も、自らの足で立って金を稼ぐ機会も奪ってしまった。その結果、能力も社会性もない、つまらない人間を生み出してしまったのです。

あくまでも私の印象にすぎませんが、フェミニストと呼ばれる方の多くは、このこと、つまり「差別によって女性は能力のないつまらない人間にされている(面がある)」ということに正面から向き合っていないように感じられます。その結果、専業主婦であれハイヒールであれ、「本人が望むならオーケー」ということを安易に言ってしまう。

もちろん最終的には、真に本人が望むのであればオーケーということにはなるのですが(その自由は奪われるべきではありません)、そうした自由意思に基づく選択を可能ならしめるためには、 まず専業主婦なりハイヒールなりの「真の姿」を白日の下に晒すことが不可欠なはずです。

いまの社会において職を辞して家庭に入ることはキャリアの中断というよりは断絶に近いこと。復職後のきわめて低い給与水準。結婚前の人間関係も少なからぬ部分は断ち切られてしまうこと。3人に1人は離婚すると言われるこんにち、夫との関係が破たんしたときに、そのようにキャリアも人間関係も奪われた状態で本当に1人で生きていくことができるのか。できないとすれば、意に沿わぬまま夫に従って生きていくのか(それこそ奴隷ではないか)。ハイヒールにしても、さまざまな健康被害が報告されている。専業主婦にせよハイヒールにせよ、女を人間としてダメにする側面というものがあることは間違いないのだと、私は思っています。

そうであるならば、この種の問題は単純に「本人が望むなら」などと述べて片づけてしまってはいけないのでしょう。あえて専業主婦なりハイヒールなりを「望む」というのは、本当に本人の自由な意思によって選びとられたものなのか。社会にとって都合のよい幻想を見せられ、踊らされているだけではないのか。女性解放を真剣に考える者は、まずこうした疑問をもつ必要がある。そして、専業主婦なりハイヒールなりが女をスポイルするものであること、あるいは現にスポイルしていることまでを率直に指摘せねばならないのだと思います。結婚制度は「差別の制度化」(本書62頁)であると述べた田嶋や、ハイヒールのような「不自然な靴を美しいと感じて履いているなんて野蛮」*1と断じた上野千鶴子のように。そのうえでなおそれらを選択するという者に対してはじめて、「あなた(本人)が望むなら」という言葉を口にすることが許されるのではないでしょうか。

言うまでもなく、このようなあり方は万人に嫌われる苦しい道です。しかし真に女性解放を求めるならば避けては通れない道でもある。本書はこの苦しい道を歩むものであり、その一事だけをとっても読む価値のある良い本だと思います。