国家は縛るし縛られる

簡単にだけ。

以下の記事に接しました。

官邸の三権分立は違っていたのね、ほんとに|Masaru Seo|note

首相官邸ホームページにある三権分立を説明する図では、内閣から国民に対して「行政」という矢印が向けられており、「内閣が行政によって、主権者である国民を縛る」ことになっている。他の図で表されているように、「国民が世論によって、内閣を縛る」のが正しく、官邸の説明は誤っている、というような内容です。

うーん……。これ、あまり筋のよくない批判なので、ほどほどにしておいた方がいいと思いますよ。まず念のために確認しておくと、憲法65条によって、「行政権は、内閣に属する」こととされています。そして周知のとおり、「行政」とは何かということについてはさまざまに議論がありますが、「法律の執行」がその重要な一内容として含まれることは間違いのないところです*1。国民はこの「法律の執行」の客体となる存在ですから、内閣から国民に対して矢印が向けられるのは別に誤っているわけではありません。ついでに言っておくと、国民に向けられた「行政」の矢印を、「国民を縛る」という意味のみに解するのもやや危ないです。福祉主義を志向する現行憲法下においては*2、(国民を縛るというだけでなく)国民への給付もまた行政の重要な役割であると言いうるからです。

さらに、もう少し根本的なところからもコメントしておきます。ひところはやった立憲主義という言葉をご存じでしょう。これは、「憲法によって国家権力を制限し人権を保障しようとする考え方」などと説明されることが多いと思います。ここで、なぜ国家権力を制限することが人権の保障につながるかというと、国家権力が人権を制約する存在だからです。立憲主義とは、国家権力が個人の人権を制約しうる(これは単に事実としてそうだというにとどまらず、そのような権限を有するということです)ことを前提として、その範囲を画する考え方なのです。したがって、国家権力(の一翼を担う内閣)が国民の人権を制約する、すなわち「国民を縛る」のはあたりまえ。われわれはそのことをふまえたうえで、国家権力による制約が度を越さないように、しっかりと監視する必要があるのです。その意味で、「国民が世論によって、内閣を縛る」という説明も、もちろん誤っているわけではありません。

*1:憲法73条1号参照。

*2:憲法25条以下参照。

勝部元気のツイートは本当に存在するのか

id:ohaoha01 さんの以下の記事に接しました。

2011年代の勝部さん - ohaoha01’s diary

私は、主としてDMを利用したクローズドな場での交流のために一応アカウントを持ってはいますが、つぶやくことはめったになく、ツイッターには詳しくありません。なので、なにか勘違いをしているのかもしれず、そうであるなら教えてほしいのですが……紹介されているツイート、見つからなくないですか?

記事では、「検索方法は @アカウント until:2011-12-31 などで調べると出てきます。」と書かれています。これは、ツイッターの検索欄に「@アカウント until:2011-12-31」を入力するという趣旨だと思うのですが、「@KTB_genki until:2011-12-31」と入力して検索してみても、紹介されているようなツイートは見つかりませんでした。念のため、グーグルでも「@KTB_genki until:2011-12-31」と入力して検索してみましたが、やはり結果は同じで、紹介されているようなツイートは見つかりませんでした。

ところが、記事へのブックマークコメントにはそんなツイート確認できないと指摘する声がまったく見当たりません。みなさん、本当に紹介されたツイートの存在を確認できたのですか? 記事中にはられた画像だけを見て調べもせず紹介されたツイートがあると軽信したとかではなく?

くりかえしますが、私はめったにツイッターを使わないので、界隈の事情には詳しくありません。したがって、槍玉にあげられている勝部元気という人のこともよく知りません。ブックマークコメントを見る限り、少なくともはてなでは全方位的にあまりよい評価をされていない人物なのかもしれません。しかしそうだとしても、してもいないツイートをねつ造して非難することが許されないのは当然です。特に記事の冒頭で紹介されている「電車の中で女の子の耳を見ただけで……」というツイートの画像については、他のものとフォントが違うようにも思われるうえ認証バッジも見当たらず、本当にこのようなツイートが存在していたのか、非常に不安に感じています。きちんとすべてのツイートの存在を確認しているという方は、せめてこのツイートについてだけでも、URLを示してください。単なる私の検索の不手際であることを願います。

なお、これも当然のことなのに誰もおっしゃっていないので念のため指摘しておきますが、仮に紹介されているツイートが存在するのだとしても、出典を確認できないような引用の仕方はきわめて不適切です。

 

【2020年5月3日9時33分追記】

まる1日以上が経過しましたが、ブログ主からのURL提示や記事の修正等はありませんでした。 普通の議論であればもう少し期間をとった方がよいのでしょうが、今回の件はURLを提示するだけでカタがつく話であって時間を要する性質のものではないですし、ことが特定個人の権利利益にかかわり誤っているなら早急に訂正する必要があると思いますので、現時点をもってひとまず「2011年代の勝部さん」はデマ・誤情報を含む記事であると判断します。また、これに伴い本記事のカテゴリを「雑記」から「デマ・誤情報」に変更します。

デマ・誤情報を含むということであれば、これを周知する必要がありますが、残念ながら当ブログには十分な発信力がありません。「2011年代の勝部さん」にブックマークした方には記事を拡散した責任がないとは言えないと思うので、ご迷惑かもしれませんが同記事をブックマークをしている方のうち名前を知っている(多くはこちらが一方的に存じあげているだけですが)幾人かにIDコールをさせていただきます。もちろん、私の検索の仕方が拙いだけで、全ツイートの存在を確認しているということであれば、URLをコメント欄ででも提示してくだされば結構です(むしろ、そうであることを望みます)。そうでないなら、周知へのご協力をお願いします。

id:zaikabou id:anmin7 id:font-da id:sadamasato id:lcwin

なお、名前を挙げた方のうち、lcwin さんについては、つい先日もやりとりをさせていただいたところなので、少しだけ苦言を呈させてください。

lcwin さんは、先日も番組を見ずに文句を言っていると放言されていましたが、今回もやはり確認をせず、無責任に記事に便乗してあてこすりめいたコメントをつけられたのでしょうか。だとすれば、本当にちょっとどうかと思いますよ。

あなたのやっていることは結局のところ、いわゆる正義を叩いているとみれば嬉々として現れて、その真偽も品位も度外視して同調の態度を示しているだけではないですか。いわゆる正義を唱える側には無謬を求めて口をふさぐ一方で、いわゆる正義を叩く側については誹謗中傷も虚偽捏造もほとんど黙認して同調するようなマネをこれからも続けていくつもりですか。それは私の感性では、あまりにも品位を欠くふるまいです。

こんにちの社会では正義叩きが一種の「正義」となってしまっており、それを半ば娯楽のように消費する手合いが掃いて捨てるほどいます(はっきり言って、今の世の中でいわゆる正義を唱えるのは、激しい攻撃に晒される可能性の高い、それなりに覚悟のいる行為です。よく言われる「手軽に他人を叩いて気持ちよくなりたいだけ」という言葉は、むしろ正義叩きにこそあてはまると思います)。自分もその一人になってしまってはいないかということを、lcwin さんには真剣に考えてほしいです。

キモい!!!

仁藤夢乃らの番組、「シリーズ キモいおじさん第1回」を見ました。

https://www.youtube.com/watch?v=ltu5e6rNKzM

バスカフェ(居場所のない10代向けの無料カフェ)で2日間のうちに109件も集まった「キモいおじさん」エピソードなどを紹介していくという内容です。

いや……すごかったですね。本当に気持ち悪いエピソードの連続で、少し鳥肌がたちました。もちろん、今回紹介されたエピソードは、一方の立場から、匿名で、少しぼかして語られたものですから、その全てをそのまま受け取ることはできないし、受け取るべきでもないでしょう。しかし、寄せられた多数の声が全て虚偽であるなどということもまた考えにくく、少なくとも似たような目にあっている女子がそれなりにいるのは間違いないのだろうと思います。そしてそれは、想像するだけで怖気だつようなことです。

10代女子が日ごろどれだけ気持ちの悪い思いをしているのか、その一端だけでも知るために、見る価値のある番組だと思います。個人的な感想としては、しり上がりにおもしろく(というと語弊があるかもしれませんが)なっていったので、最初の方を見て少し退屈に感じる方は、22分あたりから視聴してみるのもよいかもしれません。

 

ところで、同番組のタイトルに「キモい」という語が使われていることには一部で反発があるようですね。私が同番組を見るきっかけになったのは、id:lcwin さんの以下のブックマークコメントでしたが、この方も「キモい」に反発を感じているようです。

仁藤夢乃 Yumeno Nito on Twitter: "男性たちによる差別や暴力の問題を言葉にする番組『シリーズ キモいおじさん』 馳議員や自民党視察団の方々にも観て、何がハラスメントになるのか学んでほしいです。初回のテーマは「セクハラおじさん」。2日で109枚も寄せられた痴漢や性暴力… https://t.co/0pqVk1nTKs"

こういうことに「キモい」と使ってしまうあたり、やるなとは言えないけど、これはこれで品性の問題を感じてしまうんだよね/気持ち悪いといじめられたおじさんも差別されたおじさんもいるのですよ。

2020/04/26 21:18

b.hatena.ne.jp

「品性の問題」というのもどのような趣旨か必ずしも明らかでない表現ですが、「攻撃的でけしからん!」「もっと穏当な表現をつかえ!」くらいの意味でしょうか。しかしそうだとすると、この方の意見には全く賛同できないのですよね。

「キモい」が「使」われているのは上記番組のタイトルだけですから、「こういうこと」 は同番組(の内容)を指すのでなければおかしいと思います。しかし、同番組で紹介されているおじさんの「キモい」行為の相当数は明確な犯罪行為ですし、犯罪行為とは言えないまでも民事上違法である可能性の高いものもかなりありました。私などは、こうした行為を「キモい」と表現するのはむしろ微温的にすぎると感じるくらいなのですが、lcwin さんは犯罪行為・違法行為を「キモい」と評することさえ攻撃的でけしからんとお考えなのでしょうか。というか、そもそもlcwin さんは同番組をご覧になっているのでしょうか。

また、上記ブックマークコメントを見ても分かるように、lcwin さんはいわゆる弱者男性に対して同情的な発言をくりかえしておられるのですが、そのような方が「キモい」 という語を「品性の問題」(品性を欠くという趣旨でしょう)などと論うのも、よく考えたうえで仰っているのだろうかと不安になります。今回紹介されたような被害にあう10代女子の中には、十分な教育を受けておらず、語彙の乏しい者も少なくないでしょう。すでに述べたところとも関連しますが、明確な犯罪行為の被害にあっても、民事上違法な行為によって損害を受けても、「キモい」と表現することしかできない者もいるのではないかと思います。そうした者の発する実感のこもった身体的な言葉としての「キモい」を、あるいはそうした語彙しか持たない者に届けられる(彼女らが)理解可能な言葉としての「キモい」を、品性を欠くとして言下に退けることは、文化資本に乏しい者の口や耳をふさぐ行為にほかならないでしょう。いわゆる「弱者男性」論は、そうした文化資本の格差への配慮を求める思想でもあったのではないですか。いったいこのことを、lcwin さんはどのように考えておられるのでしょうか。

ちなみに少し調べてみたところ、lcwin さんは品性についてぶつくさ言うこともなく素知らぬ顔でブックマークコメントをつけることもあるのですね。たとえば次のもののように。

20代のフェミニストへのイメージ→「偽善者」「女性の権利ばかり主張」「脳みそが病気がち」「生きる価値なし」 - Togetter

すももの人の1枚目の写真が20代男性の回答で、2枚目の写真が20代女性の回答らしい。

2020/04/13 12:51

b.hatena.ne.jp

犯罪行為や違法行為に及んだわけでもないフェミニスト一般に対して、「脳みそが病気がち」や「生きる価値なし」といった、「キモい」とは比べものにならないほど酷い表現が用いられているわけですが、lcwin さんはこれについては気にならないのですかね。もしもそうだとすれば、ずいぶん独特な感性をしておられるなと思います。

以上、たまたま目についたlcwin さんのブックマークコメントを槍玉にあげる形になりましたが、似たような態度をとる方は大勢おられると思います。この機に、一度自らのふるまいを省みていただければと思います。

法律を勉強してみたい人へ

こんな匿名記事に接しました。

「法律のことを勉強してみたい!」と少しでも思ったあなたへ

「とりあえず憲法民法・刑法から勉強するのがよい」という結論だけは同意できるけれど、全体的になんだかなー、という感じです。特に「細かい条文や判例を覚えることにあまり意味はない」というのは、かなり違和感がある。たしかに断片的・雑学的に条文(や判例)を覚えることにあまり意味はないのだけれど、一方で条文(や判例)を離れた法学などというものもあり得ないので。

  1. 条文を知り
  2. 判例を知り
  3. それらを体系的に位置づける

大雑把にいえばこれが法学であり、リーガルマインドを身につけるとは、「条文や判例を体系的に位置づけられるようになる」ということです。なので、条文や判例を知らずにリーガルマインドを涵養することなどできないと思います。

刑法で「捜査や公判のニュースへの理解が深まる」ってのもどうなんですかね。それ刑事訴訟法で扱う話でしょう。

まあ、いちいち論っているとキリがないので、どのような本を読むべきかということについてだけ簡単にコメントしておきます。

上記匿名記事で決定的に問題だと思うのは、六法や判例集もあわせて買うべきことにふれられていない点。六法はインターネットで条文を検索するということも一応考えられないではないけれど(ただし、民法など条文数の多い科目を勉強するなら絶対に小型のものでよいので買っておくべきだと思います)、判例集は買うしかない。特に学者の基本書では、文中で言及した判例についていちいち丁寧に説明していないことが多いので(予備校本だと重要判例の要旨程度は掲載されている)、判例集がないとそもそも基本書をまともに読むことすらできないと思います。これもやはり条文・判例軽視の姿勢のあらわれなんですかね。とにかく、六法と勉強する科目の判例集は買う必要があります。別にどこのものでもかまいませんが、迷うならポケット六法と判例百選あたりを買っておけば無難でしょう。

基本テキストについては、憲法と刑法は学者の基本書でも予備校本でもどちらでもよいと思います。予備校本もかなりよくできているので。学者の基本書だと、憲法芦部信喜高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店、第7版、2019年)が定番ですね。刑法は、総論・各論が一冊にまとまっていることもあり、山口厚*1『刑法』(有斐閣、第3版、2015年)を勧めることが私は多いですが、他にもよい本があるかもしれません。予備校本だと、試験対策講座(シケタイ)やC-Bookあたりですかね。予備校本の難点は、書き物をしたり議論をしたりする際に、出典として示せないところでしょうか(笑)。

一方で民法は、学者の基本書で勉強するべきだと思います。ただ、では何を勧めるかとなるとこれがなかなか難しい。民法は、総則、物権、担保物権、債権総論、債権各論、不法行為(これも債権ですが)、親族・相続といった各分野からなり、しっかり学ぼうとすればそれぞれについて1冊は基本書が必要になります。たとえば、上記匿名記事であげられている佐久間毅の「民法の基礎」シリーズは良い基本書だと思いますが、『民法の基礎1』は総則、『民法の基礎2』は物権についての本であり、他分野についてはさらに別の基本書を買わねばなりません(ちなみに、「民法の基礎」シリーズは今のところこの2冊しか出ていません)。法律書は決してお安くないので、初学者に対して何冊も勧めるというのは、気がひけるんですよね。そういう意味では、潮見佳男『民法(全)』(有斐閣、第2版、2019年)なんかは良いかもしれない。タイトルどおり、1冊で民法の全分野を扱っているので。私自身はこの本を読んでいないので積極的に勧めることはできないのですが、潮見はいちおう名のある学者ですし、彼の『基本講義 債権各論Ⅱ 不法行為法』(新世社、第3版、2017年)などはとても分かりやすかったので、大外れということはないだろうと思います*2

それから、あまりこのことを明言する人はいないのですが、やはり問題集も買っておいた方がよいと思います。知識は問題演習を通じて定着するものです。また、単に基本書の字面を追っているだけでは分からないような問題の所在が、問題を解く中で明確に見えてくるということもあります。最低でも短答式、できれば論述式についても問題演習はしておきたいですね。予備校などがいろいろ出しているので、適当に選べばよいと思います。公務員試験対策のものなどでもよいでしょう。

以上、思いつくままに書き散らしてみましたが、少しでも法律を勉強してみたい人の参考になれば幸いです。 あ、それと、最近読んだ漫画だと、浅見理都『イチケイのカラス』が結構よかったですよ。

*1:平成29年に最高裁判事になった人です。

*2:彼の本の中には、「潮見語」と揶揄されるようなきわめて分かりにくいものがあるのも事実です。ただし、そうした本の殆どはすでに一定以上法を学んでいる者に向けて書かれたものであり、入門者向けの本における潮見の記述には明らかに平易に説明しようとする姿勢が見受けられるので、あまり心配することはないと思います。

「本人が望むなら」でごまかさない

このところ再評価の兆しがある田嶋陽子の、『愛という名の支配』(新潮文庫、2019年)を読みました。

愛という名の支配 (新潮文庫)

田嶋の代表作、と言ってよいのかどうかは分かりませんが、1992年に太郎次郎社、2005年に講談社+α文庫から刊行され、今回が3度目の刊行ということなので、少なくとも長く読み継がれてきた本だということは言えるでしょう。

本書は、経験に根差した「田嶋のフェミニズム」を語るものです。なので、理論的な面からフェミニズムを概観したいという向きには、必ずしも適しないかもしれません。もっとも、そこで暴かれている女性差別の構造は、ラディカルであるだけに、依拠する理論的立場や時代といった「細かな」ことを越えて、ある種の普遍性を獲得しているように思います。

実際に読んでいただくのが一番よいと思うのであまり詳しい内容にふれるつもりはないのですが、私が本書で最も感心した点だけ書き記しておきます。本書は、「差別によって女性がスポイルされている」ことを明確に認めている。それがなにより素晴らしいと思います。本書44頁以下(「第二章 女はドレイになるようにつくられる」)を引用します。  

たとえば、ハンコ屋さんに行って、おじさんといろいろ話をします。おじさんは、スーツを上手に着こなしたりして、なかなかスマートです。ところが、話の途中で用事を思い出したのか、キッとうしろをふり向くと、とつぜんその笑顔がべつの顔になるときがある。その顔で、「オイ、あれはどこへ行った」と言う。すると、「ン?」とか「ハイ」とか言ったり、ときにはだまってヌウッっと出てくる人がいる。それが私の言う”お化け”なんです。そうやって出てきた人は、だいたい、灰色っぽいか褐色っぽいかエンジっぽいか、そんな色の印象なんですね。くすんだ色の細かい花柄のかっぽう着などを着て、お化粧なんかしていませんから、顔も褐色で。

ハンコ屋のおじさんとその妻。この対比は、もちろん分かりやすい一事例を示すものにすぎませんが、しかし残酷なほど鮮明に、スポイルされた女の姿を描き出していると思います。

人当たりがよくて、オシャレなおじさん。まともな受け答えもせず(できず)、身だしなみにも気をつかわない妻。 両者を比較したとき、能力があるのも、人間として魅力的なのも、多分おじさんの方でしょう。

しかしそうなったのは、妻(だけ)のせいではありません。結婚という制度が彼女を家の奥に押し込め、人前に出てしかるべきふるまいをする機会も、自らの足で立って金を稼ぐ機会も奪ってしまった。その結果、能力も社会性もない、つまらない人間を生み出してしまったのです。

あくまでも私の印象にすぎませんが、フェミニストと呼ばれる方の多くは、このこと、つまり「差別によって女性は能力のないつまらない人間にされている(面がある)」ということに正面から向き合っていないように感じられます。その結果、専業主婦であれハイヒールであれ、「本人が望むならオーケー」ということを安易に言ってしまう。

もちろん最終的には、真に本人が望むのであればオーケーということにはなるのですが(その自由は奪われるべきではありません)、そうした自由意思に基づく選択を可能ならしめるためには、 まず専業主婦なりハイヒールなりの「真の姿」を白日の下に晒すことが不可欠なはずです。

いまの社会において職を辞して家庭に入ることはキャリアの中断というよりは断絶に近いこと。復職後のきわめて低い給与水準。結婚前の人間関係も少なからぬ部分は断ち切られてしまうこと。3人に1人は離婚すると言われるこんにち、夫との関係が破たんしたときに、そのようにキャリアも人間関係も奪われた状態で本当に1人で生きていくことができるのか。できないとすれば、意に沿わぬまま夫に従って生きていくのか(それこそ奴隷ではないか)。ハイヒールにしても、さまざまな健康被害が報告されている。専業主婦にせよハイヒールにせよ、女を人間としてダメにする側面というものがあることは間違いないのだと、私は思っています。

そうであるならば、この種の問題は単純に「本人が望むなら」などと述べて片づけてしまってはいけないのでしょう。あえて専業主婦なりハイヒールなりを「望む」というのは、本当に本人の自由な意思によって選びとられたものなのか。社会にとって都合のよい幻想を見せられ、踊らされているだけではないのか。女性解放を真剣に考える者は、まずこうした疑問をもつ必要がある。そして、専業主婦なりハイヒールなりが女をスポイルするものであること、あるいは現にスポイルしていることまでを率直に指摘せねばならないのだと思います。結婚制度は「差別の制度化」(本書62頁)であると述べた田嶋や、ハイヒールのような「不自然な靴を美しいと感じて履いているなんて野蛮」*1と断じた上野千鶴子のように。そのうえでなおそれらを選択するという者に対してはじめて、「あなた(本人)が望むなら」という言葉を口にすることが許されるのではないでしょうか。

言うまでもなく、このようなあり方は万人に嫌われる苦しい道です。しかし真に女性解放を求めるならば避けては通れない道でもある。本書はこの苦しい道を歩むものであり、その一事だけをとっても読む価値のある良い本だと思います。

増田での個人への言及は基本規約違反です・再論

はじめに

先日、はてな匿名ダイアリー(以下「増田」といいます)での個人への言及に関するでいだら(id:daydollarbotch)さんの以下の記事に接しました。

増田に自己または他人のidを記載する行為は規約違反か? - 誰かの肩の上(以下、「でいだら記事」といいます)

記事の内容としては、

  1. はてなの規約等において、増田でのid記載を禁止する規定はない
  2. はてなに問い合わせたところ、増田における他者のid記載は明示的に禁止していない旨の回答があった

ことを主たる理由として、増田での個人への言及が規約違反かどうかは自明でない(でいだらさん自身は規約違反でないと考えている)と主張するものでした。

ところで、増田での個人への言及については私も以下の記事で見解を示しています。

増田での個人への言及は基本規約違反です - U.G.R.R.(以下、「拙見解記事」といいます)

タイトルをご覧いただけば分かるとおり、 私は増田での個人への言及は基本的に規約違反だと考えています。私としては、このような自身の見解は必ずしもでいだらさんの見解と対立するものではないと思っていたのですが、やや不明確なところもあったため、でいだら記事のコメント欄にてやりとりをさせていただきました(でいだらさん、ありがとうございます)。その結果、でいだらさんは以下のようなお考えであることが分かりました。

  • 増田での迷惑行為、嫌がらせに該当しないような特定他者への言及は、(削除依頼に基づく削除があったとしても)規約違反であるとは限らない
  • 迷惑行為等としては、例えば、刑法上の名誉毀損・侮辱に当たる行為や、被言及者が被言及を嫌がっているのに被言及者に精神的苦痛を与えるために言及を重ねる行為などを想定している
  • 増田で行われる誹謗中傷を含まない(いわば「まとも」な)個人への批判は迷惑行為、嫌がらせに含まれない
  • 「削除依頼・削除の有無」は「規約違反か否か」の判定に影響しない

このようなお考えであるとすれば、おそらく私の見解とは異なるところがあるということになると思われます。そこで本記事では、私とでいだらさんの見解の一致するところ、異なるところを整理するとともに、私の見解を改めて説明しておきたいと思います。

増田での個人への言及のすべてが規約違反ではない

まず私とでいだらさんの見解で一致しているのは、「増田での個人への言及のすべてが規約違反ではない」という点です。

でいだらさんがそのような見解をとっていることは明らかでしょう。

そして私も、増田での個人への言及を扱った記事を、本記事も含めてこれまでに6本公開していますが、そのいずれにおいても増田での個人への言及は「基本的に」規約違反であるとか、「ほぼ」規約違反であるといった書き方をしており、そのすべてが規約違反であるという見解をとってはいません。

増田での個人への言及のすべてが規約違反というわけではないのだから、

  1. はてなの規約等において、増田でのid記載を禁止する規定はない
  2. はてなに問い合わせたところ、増田における他者のid記載は明示的に禁止していない旨の回答があった

ことは当然です。逆にそれ以上のことは、これらの事実から直ちに導けるわけではありません。

どのような増田での個人言及が規約違反となるのか

私とでいだらさんの見解が異なるのは、「ではどのような増田での個人言及が規約違反となるのか」という点です。

この点について、でいだらさんが迷惑行為等(≒規約違反*1として想定している「刑法上の名誉毀損・侮辱に当たる行為や、被言及者が被言及を嫌がっているのに被言及者に精神的苦痛を与えるために言及を重ねる行為など」というのは、増田でなくidを出したブログで行っても規約違反となりうるものです。でいだらさんは、「削除依頼・削除の有無」は「規約違反か否か」の判定に影響しないとも述べておられますから、おそらくは、「増田とidを出したブログの違いは個人言及した場合に当該個人からの削除申立てによって照会なく削除されるかどうかという点だけであって、規約違反かどうかを判断するうえでは違いはない」とお考えなのではないかと思います。

しかし、私はこのような見解は誤りだと思います。その根拠についてはすでに拙見解記事で示しているのですが、改めて述べておくと、はてラボ開発者ブログの記事*2(以下「ラボ記事」といいます)に以下のような記載があるからです。

はてなは、はてな匿名ダイアリーについて、投稿者が表示されず文責を問いにくいサービスであるという性質上、特定のユーザーや個人を批判・攻撃する文章を公開する目的での利用を適切とは考えておりません。特に、投稿者が表示されない状況を悪用し、言及された当事者が掲載を望まない内容を意図的に投稿する行為は、嫌がらせ、迷惑行為に該当すると判断して差し支えないものと考えます。

ルールを解釈するにあたって、立案関係者の解説を参照するのは当然のことです。このラボ記事は立案関係者の解説に相当するものと言ってよいと思いますが、その中で、「投稿者が表示されない状況を悪用し、言及された当事者が掲載を望まない内容を意図的に投稿する行為は、嫌がらせ、迷惑行為に該当する」と明言されているのです。

引用文中に増田の「投稿者が表示されず文責を問いにくいサービスであるという性質」への言及があることからも分かるとおり、ここでラボ記事が問題としているのは、増田が原則として発言の責任を取らなくてよい場だということです。

たとえば同じ匿名であってもidを出している場合には、継続的に運用することによって、当該idの人格と言動とはひもづけられます。たとえば増田ではg××××さんやz×××さんへの罵詈雑言が頻繁に投稿されていた(いる?)のですが、これはそれらの方の発言が当該idとひもづけられ、評価されている結果にほかなりません。idを出している場合には、このような形で言動に対して一定の責任をとるだけの仕組みが確保されているのです。

こうした見地からすれば、裏づけの取れる形でidを明らかにしているような増田については、責任をとる主体が明確になっており、「投稿者が表示されない状況を悪用」していないと解する余地もあるかもしれません。しかし、増田での個人言及の大半はidを明かさないまま他者を批判するものです。これは文責を問われない立場から一方的に他者を攻撃するものにほかならず、ラボ記事が問題視する用法そのものですから、「投稿者が表示されない状況を悪用」していると言ってよいでしょう。そして、文責を問われない立場から一方的に攻撃されることを望む者は少ないでしょうから、普通は「言及された当事者が掲載を望まない内容を意図的に投稿する行為」にもあたるものと思われます。したがって、増田での個人への言及は基本的に「投稿者が表示されない状況を悪用し、言及された当事者が掲載を望まない内容を意図的に投稿する行為」に該当し、「嫌がらせ、迷惑行為」としてはてな利用規約6条2項dに違反すると、私は考えます。

なおこのように考える場合、「削除依頼・削除の有無」は、被言及者が言及を望むかどうかを判断する指標として、「規約違反か否か」の判断に影響することとなります。また、誹謗中傷を含まないいわば「まともな」批判については、idを出したブログで行うか増田で行うかによって、利用規約違反にあたるか否かの判断が変わりうることになります。idを出したブログで行う場合には、「まともな」批判は健全な言論活動であって咎められるべきものではありませんから、基本的には利用規約違反にあたりません。しかしこれを増田で行う場合には、文責を負わない立場から一方的に他者を論うことになりますから、被言及者が言及を望まない場合には、基本的には利用規約違反にあたることになります。この点が、私とでいだらさんの見解で最も大きく異なるところだろうと思います。

おわりに

以上、私とでいだらさんの見解の一致するところ、異なるところを整理するとともに、私が増田での個人への言及は基本的に規約違反であるとする理由について、改めて説明しました。正直なところ、私の主張については拙見解記事において必要十分に論じたと考えており、今回内容的に新たに付け加えたところはありません。かみくだいた説明をすることによって、少しでも私の言わんとするところについて理解を深めていただけたなら幸いです。

最後に差し出がましいようですが、でいだらさんに1つだけ進言しておきたいことがあります。すでに拙見解記事でも言及しているのでご承知のこととは思いますが、ラボ記事には以下のような記述があります。

はてな匿名ダイアリーへの投稿が申し立てにより削除されたにもかかわらず繰り返し同様の投稿を行う悪質なユーザーは、はてラボおよびはてな全体のサービス利用停止措置などの対象とし、別のアカウントを取得しての再利用もお断りします。 

削除されたにもかかわらず増田での個人言及をくりかえすユーザーは、はてラボおよびはてな全体のサービス利用停止措置などの対象となるのです。でいだらさんは、このことの意味を十分理解しておられるでしょうか。

率直に申し上げて、でいだら記事は「増田での個人言及は利用規約違反ではないからやってもよい」というメッセージを与えかねないものだと思います。もちろん、記事にそのようなことはひと言も書いてありませんし、実際でいだらさんはそのような意図であの記事を書いたのではないでしょう。そのことは私には分かります。しかし残念ながら、世の中にはそれが分からない者、自分の望む結論を勝手に読みとる者がいるのです。そうした者は、でいだら記事を見て、増田での個人言及にある種のお墨つきをもらったと考えるでしょう。そして、「規約違反ではないのだから」と増田での個人言及をくり返し、結果はてなから利用停止措置をとられる。そのような事態に立ち至る可能性は、それなりに高いと思います。もちろんそれはその者自身の責任でしかないのですが、だからと言って、自身の記事を読んで行動に及んだ結果不利益を被っている者を見て、「自業自得だ」「私には責任はない」と平然としていられますか。私にはちょっと無理ですし、おそらくはでいだらさんも同様ではないでしょうか。もちろん最終的な判断はでいだらさんにお任せしますが、私としては、でいだら記事は取り下げるなり補足をいれるなりした方がよいと思います。

*1:はてな利用規約6条2項dは、「嫌がらせ、迷惑行為」等を禁じています。

*2:http://labo.hatenastaff.com/entry/2014/09/04/182358

増田での言及に対する削除申立ての方法

前回記事に対して、id:quick_pastさんから以下のようなブックマークコメントをいただきました(ありがとうございます)。

増田での個人への言及は基本規約違反です - U.G.R.R.

増田ってそのわりに、頻繁に誰かを名指ししてネタにする記事が多かったけど、あれも全部駄目ってことだったのかな。今度から通報してもいいんだろうか。

2020/02/13 07:48

b.hatena.ne.jp

もちろん、はてな匿名ダイアリー(以下「増田」といいます)で他者を名指してネタにする記事は基本的に全部ダメです。被言及者本人が削除申立てを行えばほぼ間違いなく消えるので、ご不快なものがあれば「今度から」と言わず、これまでの分についても積極的に申立てをしていただけると個人的には嬉しいです。

削除申立てについては、はてなの問い合わせ窓口*1から行うことができます。入力するべき内容はきわめてシンプル。

  • 登録メールアドレス
  • 自身に言及した増田記事(以下、「違反記事」といいます)のURL
  • 違反記事の削除を希望すること
  • 違反記事の投稿者に対して削除依頼を受けた旨を伝えることに同意すること

これだけです。もっとも、最後の点は少しうっかりしやすいと思うので、気をつけてください。

なお、quick_pastさんに言及した最近の増田記事を軽く検索してみました。網羅的ではないですが、ブックマークがついた記事としてはたとえば以下のものがあるようです。 

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よければ参考にしてください。 

*1:http://www.hatena.ne.jp/faq/q/abuse